秘薬
科学者。それは、この不可解な世の中に眠る真実を解き明かそうとする者。世界を構成するすべてのものを知り、理解しようと努力する者。
私は、そういう者だ。
これまでの充実した研究生活の中で、さまざまな発明発見をおこない、多くの論文を著し、世界中から多大な賞賛を浴び、今やそれ以上の批判を受けてさえもいる。
だが、私は科学者だ。世界の真理を追究し、神しか知りえないモノを私の知識にくわえることをこそ至福のものとしている。とはいえ、そういう私の科学に真摯であろうとする姿勢は、人々には理解しがたいようだ。
ただただ、真実の探求には邪魔にしかならない道徳や倫理などというくだらないモノに重きをおかないだけなのだが。
その結果だろうか?
私を称するとき、人は必ず『狂った』という称号を冠せる。そう、みなは私のことをマッドサイエンティストと呼ぶのだ。
おそらく、私が本気になれば、究極の殺人兵器である人造人間の製造や致死率100%の殺人ウィルスの培養、世界中の軍事関連のコンピューター乗っ取りなどなど、なんでもできるだろう。つまり、人々が『マッドサイエンティスト』にイメージしがちな世界征服などというくだらん野望すらも、私にとってはたやすいことだ。
だが、なぜ私がそんなくだらないことに時間をとられなければならない?
私には、今、もっとしなければいけないことあるのにだ。
今は、そんな馬鹿げたことに時間を浪費している場合ではない。そのようなことは、老後の楽しみにでも取っておけばよい。
今、私の心を夢中にしているもの。それは人体の神秘。心理の不可思議。そして、大昔の魔術師や錬金術師の時代から、営々と研究され続け、結局、いまだに何人たりとも完璧なものを作り上げることができていないあの薬を私の手で誕生させることだ。
あの神秘の薬、究極の秘薬を。
私は右腕の助手・みどりくんを従え世界中を飛びまわり、秘薬作りに欠かせない材料の調達を目指した。
いつも研究室に閉じこもってばかりの研究生活を送っていた私。正直、体力にはまったく自信がなかった。
なのに、材料を探すためには、いまやあの飼い犬の名を奪った探検家ばりの活躍を要求される。
幸い、昔作った筋力増強ボディスーツや、即効性の疲労回復薬などが大いに役立つ。
あるときは、アマゾンのジャングルの中でジャガーに襲われ、怪我をした助手を庇いながら戦い、新型光線銃でジャガーを追い払うことができた。
また、あるときには、サハラ砂漠でサソリにかまれた助手の傷口に唇をあて、毒を吸出し、命を助けたこともある。
さらに、シベリアで吹雪に見舞われたときには、助手を背負い、近くの町に命からがら転がりこんだこともあった。
本当に、危機の連続だった。
こうして、生き延びていられること自体、奇跡だといえるだろう。
もちろん、世界中を飛び回って、私自身がマヌケな失敗をしでかしたことも多々ある。
たとえば、ポリネシアの海にもぐっていたときに、足がつってしまって溺れかけたりだとか、パリの町中で迷子になってしまって、ホテルに戻れなくなってしまったりとか。
そういうときに、いつも私を助けてくれたのは助手だった。
溺れた私を近くの陸に引き上げ人工呼吸を施してくれたり、日暮れのパリをとぼとぼと途方にくれて歩く私を見つけ出してくれたり。
本当に、我が助手には感謝の言葉のかけようもないほどである。
だが、最近、助手の様子がなにかヘンだ。
もともと私のようなものと自ら行動をともにしてくれるような変わった性格だったが、最近、その挙動が一段とおかしい。
まず、私と眼を合わすのを避けるようになった。彼女になにか用事があって呼びかけると、今までは、しっかりと私の眼を見て返事をしていたのだが。一体、なんだろうか?
そのくせ、私が研究室で実験に取り掛かっていると、隣で私の横顔を穴の開きそうなほど熱心に見つめていたりする。なにか用事でもあるのかと思って、そちらを見ると、途端に慌てて視線をそらす。
う~ん・・・・・・
もし、私が、もう10ぐらい若ければ、この状況から一つの必然的な結論を導き出し、有頂天になるところであろうが、残念ながら私と彼女との年齢差は25もある。そんなはずはないのだ。
私など若い彼女にとっては元々圏外だろうし、私自身がどんなに熱烈に彼女を求めたとしても、彼女が私のモノになるなんてことは絶対にありえないだろう。
それが現実というものだ。
じゃ、一体、彼女はなぜこんな奇妙な行動をとるのだろうか?
分からない。この世界に私が理解できないことがあるなんて・・・・・・
それはそれで、ショックな出来事だった。
ともあれ、私の秘薬作りは順調に進み、とうとう昨日、試作第一号が完成した。
それを祝って、助手と二人、コーヒーでささやかな乾杯をしたのだが・・・・・・
「みどりくん、試験管の中の試作第一号、量が昨日よりも減っていないか?」
机の上の並べられていた試験管の一つを手にとって、質問すると、今日は珍しく化粧をしているのか、とても魅力的に見える助手のみどりくんが、赤い顔をして目を泳がせた。
「そ、そうですか? 私には、昨日と同じ量に見えますけど?」
「そうかなぁ? 減っていると思うのだが・・・・・・」
「・・・・・・」
みどりくんは、とうとう顔を伏せる。
「ん? どうした?」
「そ、その、博士・・・・・・」
みどりくんは、なにか言いにくそうにしながら、じっと私の顔を見つめてくる。すごく久しぶりに彼女と眼が合った。
――ドクンッ!
心臓が大きく跳ねる。
な、なんだ! なんだ、これは!
頬が熱くなる。目尻が興奮に濡れる。
目の前の彼女から漂ってくる甘い体臭のせいか、いつもクールなはずの脳がクラクラする。
う、うう・・・・・・
ま、まさか!
私は一つの可能性に気がついた。思わず、うめき声をもらしてしまう。
「みどりくん、君はまさか・・・・・・」
私に呼びかけられたみどりくんは、肩をビクンと震わせ、思い詰めた表情で、私に告げるのだった。
「私。先生の試作第一号を昨日のコーヒーの中に混ぜてしまいました」
「き、君はなんてことを・・・・・・ あれは。あの薬は・・・・・・」
「はい。分かっています。でも、私は、私は・・・・・・」
キッと私を睨んでくる。そして、叫んだ。
「私、先生のことが好きなんです!」
彼女の告白を耳にしているうち、しだいに体の芯が冷えていく。自分が冷静になっていくのを感じていた。圧倒的な満足感とともに。
どうやら、昨日のコーヒーの中に、私も隙をついて入れていた試作第一号の秘薬・惚れ薬は、キチンと彼女に効力を発揮しているようだ。
うむ、実験は成功した!
私の目の前でみどりくんはとうとう大粒の涙をこぼし始めた。
「わ、私、先生のことがずっと好きでした。初めて会ったときから、あのときからずっと・・・・・・」
時がとまる。
「・・・・・・えっ?」
みどりくんの話に耳を傾けながら、私の顔から血の気が引く。
そ、それは、どういうことだ? コーヒーに秘薬を入れたからこそ私に惚れたのでは?
なら、前からずっと私のことが好きだったなんてことにはならないはず。秘薬をコーヒーに入れたのはつい昨日なのだから・・・・・・
こ、これは一体。
私の惚れ薬の実験、みどりくんが私に惚れたのだから成功したといえるだろう? いや、それとも、実験の前から私のことが好きだったというのだから失敗したことになるのだろうか?
どっちが正しいのだろうか?
そもそも彼女は本当のことを言っているのだろうか? 前から好きだったとウソをついているのでは?
分からない。
また、新たな謎が生まれた。世界の神秘というものは、まだまだ奥が深いようだ