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マラソン大会

 はっ はっ はっ はっ はっ

 白い息の塊が、次々口から飛び出る。

 一瞬、私の鼻の先に留まるけど、直後にはその白い塊に顔から飛び込んでいく。そして、吐き出したばかりの息のぬくもりが頬に伝わる。

 はっ はっ はっ はっ はっ


 今日はマラソン大会。

 私たち女子は5キロのコースを走り、男子は10キロ。

 折り返し地点は過ぎ、残り1キロを切ったとはいえ、普段から走ったりするような生活をしていない私。すでに疲れきって、もう足を前にだすのも億劫だ。

 女子の出発から10分後にスタートし、折り返し地点からさらに先、5キロを余分に走ってきたはずの男子が、もう何人も私の傍らを駆け抜けていく。

 彼らはまだまだ元気そう。

 もしかしたら、ゴールした後さらにもう一周してくることになったとしても、このまま元気な足取りは変わらず、何事もなかったかのようにコースを駆け抜けてくるのかもしれない。

 私には、到底真似なんてできはしない。そんなことをする気もない。

 もう、だいぶ手前から走ることを止めて、とぼとぼと歩いている。

 できれば、ここでリタイヤして、このまま学校へ戻らずに家へ帰りたい。

 でも、今は体操服姿。制服や家のカギの入ったカバンは学校のロッカーの中。嫌でも学校へ戻らなきゃいけない。

 正直、すでにとてもうんざりだ!

 なんで、こんな長い距離を私が走らなきゃいけないの? 走ってなにになるの?

 どうして、みんなはあんなに一生懸命走っていくの?

 荒い息を吐き出しながら、顔を真っ赤にして走るのが、たのしいの? 苦痛じゃないの?

 私には理解できない。


「お、堀内。もうすぐゴールだぞ。最後の力を振り絞って、とっととお前も走れ!」

 同級生の男子が私の歩いている姿を見つけて声をかけて追い抜いていく。

 それには返事をする気にもならなくて、肩で息を吐き出すだけ。

「堀内、歩くな。走れ。余計つらくなるぞ。がんばれ!」

 もうくたくたで、これ以上頑張れないから、私は歩いているの。ほっといて!

 次々追い抜いていく男子たちの背中を睨みつけるようにしながら、とうとう私は立ち止まった。

 もう一歩も歩けない。歩きたくない。

「どうした、堀内? 転んで怪我でもしたか?」

 また、追い抜いていく同じクラスの男子が声をかけていく。私はそれを無視して、膝に手をあててその場でじっとしている。

 そんな私の様子を横目に見ながら、ほとんどの男子たちは、荒い息を弾ませながら通りすぎていくだけだった。

 だれも、私のことを本当には気にしていなかった。

 大抵、いつも教室の隅で静かに文庫本を読んでいる私。

 もちろん、教室には何人かの友達がいるし、それなりにだれとでも仲良く話ができる。

 でも、それだけ。

 私は、彼女たちのように、おしゃべりに夢中になれないし、綺麗に装うことにも、あまり興味がわかない。

 私は彼女たちのようにはなれない。彼女たちのようにたのしめない。今の時間を生きるということに精一杯になれない。

 お昼を一緒に食べる友達も、ファッション雑誌を一緒に覗き込んであれこれ言い合う友達も、だれもかれも、私よりも生き生きとして、楽しそうに教室ですごしている。

 もし私も、あんな風に生き生きと過ごせたなら。そんなことをふと夢想することもあるけど、でも、すぐにそんな考えは捨てる。

 だって、私は彼女たちほど、かわいくも、きれいでも、かしこくも、運動神経がよくも、胸がおおきくも、肌が白くも、瞳が輝いても、性格がよくも、ない。

 なにもかも、私は劣っている。輝いていない。くすんでいる。

 そんな私が、他のみんなと同じようになんて・・・・・・


 疲れた。もう、これ以上、一歩も歩けない。

 もうすでに、私の周りには、一緒に出発したはずの女子の姿はまったく見えず、続々と男子だけが通り過ぎていくばかり。

 男子の先頭集団のように、元気一杯という様子ではなくなってきているが、それでも、まだみんな走るのを止めようとはしていない。

 私と違って、黙々と足を動かしている。口を開くのもしんどそうだけど。

 道の端で膝に手をついて、私はそんな彼らの様子を眺めていた。

「堀内さん、おつかれ~ ふぅ~ ここって、もうちょっとでゴールだよな?」

 ずい分、久しぶりに声をかけられた。

 目だけをあげる。笑いかけてくる目がそこにあった。

「うん」

「そっか」

 彼は、長く連なる男子たちの列から外れると、私の隣で立ち止まった。

「堀内さん、大丈夫? どこか怪我とかした?」

 これまでの追い抜きざまに声をかけていく男子たちとは違って、彼は立ち止まって私に声をかけてくれている。だから、いままでと同じようにして、返事をしないってわけにもいかない。

「ううん、大丈夫。疲れただけだから」

「そっか。実は俺も疲れた」

「そ・・・・・・」

「・・・・・・」

 普段から大した接点もない男子。話の接ぎ穂もなく、私たちは、ただ黙ってそこに並んでいるだけ。そうしている間に、私たちの目の前を何人もの男子が駆け抜けていく。


「じゃ、休憩もしたし、そろそろ行かない?」

「え? あ、うん・・・・・・」

「なんなら、手を引っ張ってあげようか?」

「えっ?」

 な、なんで? そ、そんなこと・・・・・・

「そ、そんなことしてもらわなくてもいいです!」

 思わず、強い声がでた。

「そっか」

 彼は冗談のつもりだったと教えるかのようにニコリと微笑み、歩き出した。私はまだ動かず、深呼をくりかえす。気づくと、彼もすこし先で立ち止まり、笑顔で私を振り返っていた。

「ほら、行こう」

 仕方なく、私も歩き始めた。その笑顔に促されるように。


 私は、走るなんてできない。歩くので精一杯。

 それは彼もわかっているようで、私の歩調に合わせて、隣をゆっくりと歩いている。

「なんで、マラソンなんてしなくちゃいけないんだろう?」

「学校の行事だからね」

「私、マラソンなんて大っ嫌いなのに」

「ああ、俺もどちらかというと好きじゃないな」

 後方から真っ赤な顔をして、荒い息を弾ませながら私たちに近づいてくる太めの男子の姿が目にはいった。

「里見、ガンバレ~」

「お、おう、中山もな」

 隣の彼は、私たちを追い抜いていく太めの男子・里見くんにあたたかく声援を送る。

「里見、頑張るなぁ。たいしたもんだ」

「・・・・・・」

「あいつ、最近、勉強とかも頑張ってるらしくて、こないだのテストで学年順位が50ぐらいあがったって喜んでたぜ」

「へぇ~ そうなの」

「ああ」

 まただ。頑張っていない私。頑張る里見くん。小さくなっていく彼の後姿を眺めながら、卑屈になっていく自分自身が情けない。でも、そんな自分をどうにもできない。


「どうしてみんなあんなに頑張れるんだろう?」

「ん?」

「あんな風に頑張れないよ。私、みんなより、なんでも劣っているし、みんなより、全部ダメ」

 吐き捨てるように呟くと、隣で中山君はしずかにうなずいているようだ。

「それは俺も、そうだな。他のヤツより優れてるって胸張れるようなことってないな」

 チラリと見ると、隣で中山君は苦笑を浮かべている。

 ちょっと意外な感じがした。マラソン大会の途中で立ち止まっている私に寄り添い、自分も走るのを止めて一緒に歩いてくれている人。とても優しい人。

 なのに、そんな人でも、自分が人よりも優れていないなんて感じているのだろうか? 劣等感をもっているのだろうか?

「ううん、そんなことないよ。中山くんって、すごく優しい人だもん。多分、クラスの中でだれよりも優しい人だと思うよ」

「ん? ああ、ありがとう」

 それに引きかえ私は・・・・・・

「褒めてくれてうれしいよ。けど、俺、今まで他人と比べて、何かがどうこうとか考えたことないな」

「え?」

「他人は他人、自分は自分。他人と比べて、自分はアレができないとか、これが劣っているなんてね」

「・・・・・・」

「俺は俺でいたいし、他人の中で俺の順位がどうとかいうので、俺自身を計りたくはないな。もちろん、俺のそばにいるヤツも、そんな風にして、順位付けとかして見たりしないし」

「・・・・・・」

「結局、順位付けするっていうのは、順位だけが大事で、人間そのものは置き換えても構わないってことだろ? なんかの順位ばかり見て、その人の持ってる他にある魅力的な人間性はどうでもいいってことだろ? そんなの俺、嫌だな」

「・・・・・・」

 どう答えたらいいんだろう? 私には分からない。ただ、中山君はとても強い人だということだけは、はっきりとわかった。とても優しくて、とても強い人。

 それから、すこし頬に赤みを差しながら、

「堀内だって、みんなの中で何番目とかいうんじゃなく、俺にとっては堀内は堀内なんだし・・・・・・ 他のヤツで置き換えられないよ」

 中山くん、私の眼をじっと見つめてくる。無言でじっと。

 その瞳から視線をはずすことができなくて、私も見つめかえしていた。無言で。

 いつの間にか、二人とも見つめあったまま、立ち止まってしまっている。


 ずい分、周囲を走っている人影がまばらになってきた。

 ふと、中山君の表情が柔らかくなる。

「そろそろ行こうか。遅くなる」

「・・・・・・うん」

 そうして、私たちはゆっくりと走り始めた。一歩一歩踏みしめるように、しっかりと大地を足の裏で捉えながら。

 いつの間にか、私の中では、もう走るのが嫌だとは感じていなかった。

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