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必要な人

 このところずっと毎日のように着続けで、すっかりくたびれてしまったリクルートスーツに包まれて、私は駅のホームのベンチに座り込んでいた。

 今日もまた会社の面接。

 作り笑いして、自分自身にウソをついて、『御社の社風が私にはピッタリで・・・・・・』なんて口からでまかせを言いに出かける。

 自分が嫌い。何もできないくせに、何でもできるフリをする自分が嫌い。信じてもいないことを調子にのって口にする自分が嫌い。平気でウソをつき、それでも平然としていられるようになった自分が嫌い。

 就職活動って、結局、自分自身をどんどん嫌いになっていくための儀式だ。

 そんな儀式を必要とする世の中なんて、滅んでしまえばいい。

 でも、一番許せないのは、そんな世の中の有り様を、嫌いながら拒絶もせずに、当然のこととして受け入れている自分がいることだ。

 だから、自分自身が一番嫌い。


 電車が来る。

 そろそろベンチから腰を上げて、ホームの列に並ばないと。

 心では、そう思っているのだけど、どうしても立てなかった。

 目の前で電車が止まってドアが開いた。電車は、大勢の男女を吐き出し、積み替え、やがてホームから離れていく。

 私は、ただその一部始終を死んだ魚の眼をして眺めているだけだった。

 いつか将来、そんな男女の一員として、私も電車に乗るのだろうか?

 そんな自分を想像することさえもできない。そんな将来があるなんて信じられない。

 昨日受け取った手紙の文面を思い出す。

『残念ながら・・・・・・』のお決まりのフレーズではじまる文面。

 もう、何十社目だろうか? ことによると、百社をすでに越えている。

 たしか30社まではカウントしていた。でも、バカらしくなって止めた。

 どこからも受け入れてもらえない私。

 どこの企業からも必要とされない私。

「私って、世の中から必要とされていないのかな・・・・・・」

 無意識のうちに、そうつぶやいている自分に気がついて、もっと落ち込んだ。


「ああ、そうだな。必要とされていないかもな」

 突然、残酷な言葉が降ってきた。

「え?」

 顔を上げると、スーツ姿の男性。見知った顔だった。

「よっ! 久しぶり」

「津本先輩!」

 大学のサークルの一つ上の先輩だった人。去年も超氷河期で、見ている私たちが気の毒におもうほど散々苦労していた。でも、結局は就職して、今はどこかにつとめている。たしか、親戚が経営している小さな会社に。

「そんな弱気な発言するなんて、いつもバイタリティあふれる元気っ子の織田にしては珍しいな」

 そういいながら、満面の笑みで微笑んでくる。だけど、今さっき言われた言葉が私の心臓をえぐりつづけている。

「そうですか、私って、やっぱり・・・・・・」

「だから、そんな暗い顔すんなよ。織田らしくもない」

 慌てた様子で、慰めようとしてくれる。今さら、ひどいことを言ったと気がついて、良心がうずいたって、もう遅いんだから!

 うっすらと目尻に涙を溜めて、うつむく私の耳朶をからかうような先輩の言葉が打つ。

「なあ、織田のことを世の中の人たちは必要としないかもしれないが、すくなくと俺は必要としているんだぜ!」

「えっ!」

 思わず、涙の滲んだ眼で見つめ返す。でも、

「なんてな。ウソだぴょん!」

 ひ、ヒドイ!


「よっこいしょ」

 両手で顔を覆って泣いている私の横の席に、津本先輩が年寄り臭い掛け声を口にしながら座る。

 そのまま、しばらくの間、黙って私の隣にいて、私の頭に手を置いて、髪を撫でてくれていた。あたたかくて不器用で大きな手だった。

 それから、さっきまでとは違う真剣な口調で、私に語りかけてきた。

「さっきも言ったように、織田のこと、世の中は必要としていない。俺もそう思うぜ。なにしろ、去年、俺も俺自身のことをそう思っていたし、今でもそう思っているからよ」

「・・・・・・」

「でも、同時にこうも思う。俺や織田のことを世の中が必要なんてしていないように、他の世界中の人間たちで本当の意味で必要とされている者は一人でもいるのかって。世の中でただ一人その人でなくちゃ絶対にいけないものを持っている人間って本当にいるのか? 他のだれとも交替の効かない人間なんて存在するのか?」

 ぶっきらぼうな声音。すこし乱暴で、すこし優しい。

「たぶん、そんなヤツは今の世の中にはいないと思う。いや、もっと言えば、人類がこの地球に誕生してから、そういう絶対的に替えが効かないような世の中に絶対的に必要とされていた人間なんて、片手で数えられるほどにもいなかったと思う」

「・・・・・・」

「本当に極々小数しか・・・・・・」

 いつの間にか、涙は乾いていて、ただ先輩の声に耳を傾けているだけの私がそこにいる。

「だからって、俺たちがそれを受け入れる必要なんてないと思う。世の中に必要とされている人がいないからと言って、俺たち自らが自分自身をそういう人間であるとみなす必要はないと思う。いや、そうじゃないな。俺たちは、自分自身だけはそんな人間ではないと信じなきゃいけない。誰かに必要とされている人間であると信じなきゃいけない。そういう人間になろうとしなきゃいけない」

 気がつくと、先輩が私に爽やかな笑顔を向けていた。

「だから、俺たちは毎日頑張るんだ。血反吐を吐きながら、毎日苦しみながら。世の中に必要とされるような人間になろうとして。一生懸命にな」

 さっきから先輩の顔をじっと見つめ続けている自分に気がついた。そういえば、他人の顔をこんな風に見つめ続けたのって、いつ以来だったろう。相手の考えを読み取るために、その表情を分析するなんていうくだらないマネをすることなしに。ただ、無心に・・・・・・


「というわけで、俺、これから仕事行ってくるわ。誰かに必要な人と思ってもらえるようにさ。今日も血反吐をたくさん吐くためにさ」

 そういいながら、先輩は立ち上がった。それから、ポケットから名刺を取り出す。

「はっきりいって、経営は苦しいし、給料は安いし、仕事もきつい。いつ倒産するかもわからない。しかも、土日祝日ってナニそれ? ってなところだけど、もし、織田を必要としてくれるところがどうしても見つからなかったら」

 そういって、私に自分の名刺を押し付けて、ちょうど到着した電車に飛び乗っていった。

 私は、手の中の名刺をジッと見つめた。聞いた事もないような会社名。『有限会社』っていう四文字が頭に付いている。

 ホームに発車のベルが鳴り響く。

 顔を上げた。

 電車の中の先輩と視線が合う。さっきまで泣いていたその顔のままで、笑顔を浮かべようとした。先輩も苦笑気味。そして、ドアが閉まって、電車は動き出す。ゆっくりと着実に加速していく。

 私は、ハッと気がついて、カバンの中から携帯を取り出した。そして、ずっと忘れていたメールアドレスを選んでメールを打った。

『私も、誰かに必要な人だと言ってもらえるように頑張ります。でも、私としては期待するのだけど、その誰かとは、私の大好きな人だったらいいな』

 文面を読み返してみて、思わず赤面した。消したくなる。でも、消すのが惜しい気もする。

 結局、消去も送信もできずに、私は携帯をしまった。

 そして、ちょうど次の電車がホームに滑り込んできたので、私は立ち上がる。それぞれの目的地へ向かう人々の列の最後尾に並ぶために

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