彼氏にするなら
前回1月に投稿してからすでに5か月。
気にはしていたんだけど、日ごろの忙しさにかまけて、後回しになってました。すみません。
というわけで、2012年に書いた作品からいくつか集めたつづきです。
いつ頃だったか、お父さんと話していてイイ男の話になったことがあった。
そのころ付き合っていた彼氏、私的にはとてもイイ男に思えていた。私にはその人しか目に入らなくて、いつまでもずっと、その人と一緒にいるつもりだった。けど、進学先が違い、一緒にいられる時間が少なくなって、気がついたら自然消滅していたっけ。
で、お父さんの話。
「イイ男っていうのはな、車持っていて、運転のうまい男だな」
なんで、そんな話になったのだろう?
でも、笑っちゃう。運転のうまい人だなんて。
お父さんは、バスの運転手を30年以上勤めた人。そして、その間、ずっと無事故無違反だった。つまり、お父さんは、私の彼氏には自分と同じような人がいいって言ってるんだね。
いつまでも娘の一番でいたいなんて言ってるわけだ。うふふ。
で、その後、卒業して、就職して、職場の先輩と恋をして、私は結婚した。
とてもいい人だし、私にはもったいないぐらいの人だと思う。私、その人と暮らせて、十分すぎるくらい幸せだ。
でも、ただ一つ不満に思っていることがある。
あまり運転がうまくないの。つまり、お父さんが望むような人じゃなかった。
あの人が運転すると、慎重すぎるぐらい慎重だし、スピードもあまり出さない。いつもスピード違反にならない範囲でしかアクセルをふまない。助手席に乗っていると、あまりにも退屈で刺激がなくて、いつも居眠りしてしまう。そんな運転だった。
大学時代に付き合っていた昔の彼氏の場合は、交通規則だとか、制限速度なんてものは無視しちゃって、いつも周りの景色がすごい勢いで後方へ飛んでいった。助手席に乗っているだけで、心臓がバクバクして、興奮して、いつもワクワクしていたっけ。楽しかったなぁ~
なのに、あの人の運転だと、グッスリスヤスヤ・・・・・・
ホント、あの人って運転が下手なんだから。こんなんじゃ、お父さんに私の旦那さまですって、胸張って紹介できないじゃない! まったく、もう!
先日、お父さんが家の階段を踏み外して、足をくじいてしまった。
毎日、車でしかいけない遠くの病院まで通わなくちゃいけないのだけど、母は免許をもっていない。兄夫婦は遠くに住んでいて、お父さんの送り迎えなんて無理。しかたがないので、私が自分の車でお父さんの送り迎えをすることになった。
毎朝、家を出て、お父さんを実家へ迎えに行き、助手席に乗せる。しばらく走ると、お父さん、かならずダメ出しをしてくるの。
「エンジンふかせすぎ!」「ブレーキかけるの遅すぎ!」「左右確認ちゃんとしたか?」
助手席で、力んでいるからなにかと思ったら、なにもないところで、一生懸命ブレーキを踏んでいるし。ホント、ぶちぶちうるさいんだから!
帰り道も同じ。もうヤダ! これだから、自分の運転に自信をもっている頑固親父ってやつは!
そんなことを家に帰って、旦那さまに愚痴っていたら、こんなことを言い出してくれた。本当に気の優しいイイ人。うれしくなっちゃう。
「わかった。じゃ、明日からボクがお義父さんの送り迎えしてあげるよ」
でも、旦那さまは運転が下手な人。そんな人がお父さんの送迎だなんて・・・・・・
お父さん、怒って別れてしまえなんて言い出しかねないわ。
「だめよ。そんなの。それに、あなただって会社があるじゃない」
「ああ、いいって、それぐらい、大したことじゃないさ。君の大切なお父さんのことだろ? ボクにとっても大切な人だからさ」
不覚にも涙がこぼれてしまった。
次の日も、その次の日も、私、頑張って運転をしたわ。
旦那さまに甘えたりしたら、最後、離婚しなきゃいけなくなる。そんなの絶対イヤだもの!
お父さんに腹を立てても我慢して、我慢して。
そして、とうとう、私、熱を出して倒れてしまった。相当、ストレスを溜め込んでいたみたい。
旦那さまは、ベッドの中で動けない私をやさしく看病してくれて、私が眠ってしまうまで傍にいて手を握ってくれた。だから、安心して、すっかり眠り込んでしまった。
目が覚めたら、夕方。倒れたのは、前日の夜だったから、もう20時間ぐらい眠っていたってことになる。
もちろん、あの人は会社へ出かけていていない。
たっぷり寝たものだから、気分もすっかり良くなっている。それに、元気になった途端、現金なもので、食欲がでてきて、お腹がさっきから鳴りっぱなし。
冷蔵庫の中に、あの人が私の昼ごはんとして用意しておいてくれたおかゆを見つけて食べた。美味しかった。
それから、ふと気になったので、実家に電話をかけてみる。
今朝はお父さんの送り迎えできなかったけど、ちゃんとタクシー呼んで病院へいったのかしら?
コール3回で実家の母が出た。
『もしもし?』
「あ、お母さん? 私」
『ああ、なに? あんた、病気になったんだって?』
「え? あ、うん。そう」
『もう、具合いいの?』
「うん、たっぷり寝たから、もう元気もりもりだよ」
『そう、よかったわね』
「でね。今朝、お父さん、病院行ったの? タクシー呼んだ?」
『ん? なに言ってんの? あんたの旦那さんがいつもの時間に迎えに来てくれて、送って行ってくれたわよ』
「えっ?」
血の気が引く。そ、そんな・・・・・・
一瞬、頭の中に、離婚届のイメージが。私の戸籍につく、大きなバツ印が・・・・・・
あはは、あはははは・・・・・・
力ない笑い声が無意識のうちに口から漏れていた。
『ちょっと、あんた、どうしたの? まだ、熱があるんじゃないの? まだ無理しちゃダメよ。寝てなさい』
お母さんの心配そうな声が耳元の携帯から聞こえる。
「う、うん・・・・・・」
電話を切り上げ、携帯を机の上に投げ出したとき、私は、自分のパジャマの裾が濡れているのに気がついた。
なんで、こんなところがぬれているのかしら? 水でもこぼした?
指先でゴシゴシとこする。その指先の爪の上で水滴がはじけた。
ああ、私、泣いているんだ。
大粒の涙が、私の頬を伝わって落ちていた。
旦那さまが帰ってきた。
「ただいま」
私は、ベッドの中で背を向けて寝ているフリ。こんなぐしゃぐしゃな顔を見せらんない。
「寝ているのか。そっか。今まで、頑張っていたもんな。よっぽど疲れが溜まっていたんだろうな」
旦那さまはベッドの脇で中腰になって、毛布をかけなおしてくれた。
「こんなに疲れているのに、気がつかなくて、ごめんな」
どこまでもやさしい人。私にとって最高の旦那さま。こんな人と別れるなんて考えられない。そんなの絶対イヤ! たとえ、両親に反対されても、勘当されても、絶対に別れたりなんかしたくない!
ううん、絶対、離婚なんてしない! 親を捨てても、この人といつまでも一緒にいる!
そう決めたら、また、涙が溢れてきた。
とても、悲しくて、満ち足りた気分だった。
突然、寝ているはずの私が、嗚咽をもらして泣き出したものだから、あの人、とても驚いたみたい。おろおろしている。全然、悪くもないのに私に必死に謝ったり、機嫌をとろうとしたり。結局、優しく抱きしめてくれた。あったかい。
そんな中で、私の携帯が鳴った。実家からだ。
「なに?」
予想よりも冷めた声ででてしまう。
『ああ、お前か。調子どうだ? すこしはマシになったか?』
お父さんだった。
「うん。大丈夫」
『そっか』
それから、沈黙。どう話を切り出すべきか迷っているのだろうな。これから重大な話をしようというのだろうから。
私は、辛抱強く待った。たとえ、どんな話だったとしても、断る決心をして。絶対に、あの人と別れたりしないんだから!
やがて、
『なあ、お前の旦那のことなんだけどな』
ほら、来た!
『明日の朝も、送迎してくれないか?』
そんなの絶対イヤ! 断る! ・・・・・・ことわ?
「・・・・・・え?」
『今朝の運転すごくよかった。お前なんかよりも、断然、うまいじゃないか。さすが、俺の娘。男を見る眼があるな』
「な、な、な・・・・・・」
予想外の一言に絶句しているしかない。
『できれば、これからもずっと送り迎えしてもらえると助かるんだが』
「なんで? なんでなのよ! あの人、運転うまくないじゃない! スピード出さないし、慎重すぎるし、退屈じゃない!」
『はあ? なに言ってる? お前の旦那の腕は確かだよ。今朝乗ってみてよく分かった』
「そ、そんなぁ~」
そんなバカな! ありえない!
お父さんが言うには、旦那さまは、今朝、お父さんを迎えに行くと、いつものような慎重でスピードをださない、安全運転をして見せたみたい。
でも、なんであんな運転でうまいなんて言えるのよ! わけわかんない!
『あのな? お前の運転は、確かに速いし、刺激的だが、決定的に下手糞だ』
「な、なんでよ!」
『はぁ~ 車なんてものはな、アクセル踏んで、ブレーキを遅らせれば、だれだってスピードが出せるようにできているんだ。その上で、速い遅いは、運転者の反射神経と車の性能の差でしかない』
「・・・・・・」
『速く車を走らせるには、レースに出るというんでなけりゃ、運転のうまさなんて関係ない!』
「そ、そんな・・・・・・」
『本当の意味で運転がうまいっていうのはな、車を速く走らせるってことじゃない。周囲の車の流れ、路面の状況、規制や道幅、わだちなんかの周囲の環境、車内の状況。それらのことのすべてを的確に把握して、総合的に判断し、次に起こることを予想しながら、その一歩先に合わせて車を操作していく。そういう運転手こそが、本当の意味でうまいって言えるだよ』
「・・・・・・」
『お前は、その点では失格だな。残念だが。だけど、お前の旦那は大したものだ。お前だって助手席に乗っていれば気がつくだろ? あいつは、滅多なことでは急ブレーキをかけないし、急発進することもない。どんな道を走っていても、ほとんど揺れないし、カーブに差し掛かっても、体が振られることもない』
「う、うん・・・・・・」
たしかに、そう。
『だから、助手席に乗っていても安心できる。居眠りしたくなる。実際、俺も帰りは眠ってしまったからな』
「うん・・・・・・」
『なぜだと思う? なぜ、あいつの運転はそれだけ安定していられるか?』
「え、えっと・・・・・・」
『あいつは、運転中、常に周囲の状況に最大限気を配っているからだよ。判断が早いし、状況把握が的確。その上、次に発生しうる事態への予測も頭の中でしっかりおこなっている。大したものだ。相当、頭がよくなけりゃできない芸当だ』
「そ、そうなの・・・・・・?」
『ああ・・・・・・』
なにこれ? べた褒めじゃない! あの偏屈で頑固なお父さんが人のことを褒めるだなんて・・・・・・
『お前、いい人を見つけたな。なにがあっても絶対に放すんじゃないぞ! いいな!』
「え、あ、うん」
『離婚なんかしてきても、うちに入れたりしないからな!』
「うん!」
とても、とても、うれしかった。とても、とても、満足していた。
こんなことって。こんなことって、あるんだ!
思わずにっこりして、隣で心配そうに私をずっと見つめていたあの人に微笑みかける。あの人も微笑み返してくれている。
『お前から伝えといてくれんか? 明日からもよろしくってさ!』
だから、私、大きく元気に返事をするのだった。
「うん!」って。でも、
『というわけで、お前は明日から来なくていいからな! わかったな!』
「えっ?」
『下手糞なお前の運転じゃ、ストレスで俺の方が寝込んじまうよ!』
ちょ、ちょっと! なんでよぉ~!