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ザ・バンブービューティ

 俺の幼馴染みで、許婚の千登勢が久しぶりに我が家を訪れた。

「久しぶり、元気にしてた?」

 千登勢を一目眼にした途端、息を飲んだ。なにも言えない。二匹の子犬のように田畑を駆け回り、一緒に泥まみれになってふざけあっていたあの千登勢が、たった半年ほどで、こんなに綺麗な女になったのだ!

「なに、何か言ったらどうなの?」

 千登勢は、ぷっと頬を膨らませる。子供のときから、不満があるといつもする仕草だ。そして、俺は、そんな千登勢の姿を眼にするたびに、たまらなくいとしいと感じていた。

「変わらないな」

「え?」

「あ、い、いや・・・・・・」

「どう、私、綺麗でしょ? 惚れ直した?」

 くるりと俺の前で回ってみせる。爽やかで甘い匂いが千登勢の体から漂ってきた。匂い袋の香り。奉公に出る前には、まったくそんなものを身につけたりなんかしなかったのに・・・・・・


 千登勢が奉公に出たのは半年前だった。

 隣町の金持ちの家。行儀見習いを兼ねての奉公だった。

 千登勢が仕えているのは、その家の娘だった。都でも噂になるほど大層綺麗な人だそうだ。なんといっても隣町のことだ。そんな綺麗な人が昔からいたのなら、俺たちが子供の頃から知っていてもいいはずだが、まったく耳にした記憶はない。どういうことだろうか?

 もっとも、その噂にはさらに奇妙な話もついていた。

 ある日、その金持ちの家の庭にある竹の一節が光り始め、奇妙に思った家の主が触れると、その光る節が外れ、中から清らかな女の赤児が生まれたという。その女児を天からの授かりものと信じた主が自分の子供として育てると、たった3ヶ月ほどで美しい女に成長したという。不思議なこともあるものだ。もっとも、噂は噂にすぎない。その噂もどこまで本当のことなのか・・・・・・

 千登勢は、その美人に仕える始めると、どんどん綺麗になっていった。

 なにかの用事のついでに、我が家へ顔をだす度に見違えるような変身を見せ、美しい娘に変わっていったのだった。

「私のご主人ね。とても気難しい人なの。私がグズグズしていると、すぐに叱られちゃうし、他の人と無駄なおしゃべりをして、お仕事をサボっていると、すぐに叩かれたりしちゃうの」

 どうやら、すごく厳しい主人のようだ。

「だから、私以外の奉公人たちは、みんな一ヶ月も持たずに、すぐに嫌になって逃げ出していったわ」

「ん? なら千登勢はなんでずっと仕えているんだ?」

「だって、ご主人って、人を美しく見せる方法はよく知っているのだけど、本当に自分ひとりじゃなにもできない人なんですもの。自分で服を着ることもできないなんて、信じられる?」

「・・・・・・いや」

「誰かが、常にあの人についていてあげなくちゃ。ね、そうでしょ?」

「あ、ああ・・・・・・」

 だからといって、千登勢がその誰かであるべきとはちっとも思わないのだが。でも、千登勢は、すっかり今の主人に夢中なようだ。まあ、千登勢がそれでいいなら、別に構わないのだが。


 千登勢は、それからもどんどん綺麗になり、千登勢の主人の噂もどんどん広がっていった。

 都の貴族も庶民もみんな一目、千登勢の主人を目にしたいと、その竹林に囲まれた屋敷の周囲にあつまるようになり、垣根の隙間から中をのぞきこもうと一生懸命になった。

 でも、千登勢の主人は、家の奥まった部屋にこもったきりで、ほとんど姿を現さない。

 さすがに、実物も見る機会がないのに、噂ばかり先行している状況では、男たちも真相を疑うようになる。

 しだいに、千登勢の主人の屋敷に集まる男たちの姿は減っていき、ついには都の5人の有力貴族や貴公子たちだけになった。

 ある日、千登勢の主人は、その5人の貴族たちを集めて、噂でしか耳にしたことがないこの世に一つしかない宝物をとってくるように依頼した。もし、その宝物を手に入れる者がいれば、その人の元へ嫁ぎましょうとまで約束した。

 5人の貴族たちは、御簾ごしに見えるその美人の影を見つめ、確信した。この人は、噂どおり。いや、噂以上の美人だと。宝物を手に入れられれば、そんな美人を我が物にできる。彼らは大いに奮い立った。

 ある貴族は、偽物を用意し、宝物だと偽って千登勢の主人に渡した。もちろん、そんなものは、すぐに見破られてしまう。目論見がはずれたその貴族は逆上し、力づくで千登勢の主人に言うことをきかせようとしたが、逆に、屋敷内の女たちに取り押さえられ、屋敷からほうほうの体で追い返されてしまったという。なぜか、力が体から抜けて、動けなくなってしまったらしい。

 ある貴公子は、怪しげな商人から、多額の金銭と引きかえに宝物を買い取ったが、それは偽物だった。また、ある皇子は自ら四方を旅し、宝物を探したがみつからず、病を得、また、ある者は、高いところから転落して、大怪我を負った。

 結局、5人の有力貴族の誰一人として、千登勢の主人が依頼した宝物を手に入れることのできた者はいなかった。


 5人の有力貴族・貴公子たちが絶世の美女に入れ込んだ末に、手玉に取られただけで、なにも得ることができなかったという噂は、帝の耳にまで届いた。

 帝は、よく知っているそれら貴族たちを見事に手玉に取ったその美女を一度見てみたいと思った。だから、手紙をやって宮中に呼び寄せようとした。でも、その女は帝の命すら拒んで屋敷を出ようとはしない。

 ある日、帝は狩りに出かけた。

 その帰り道、急に予定を変えて、都への帰り道をそれた。その女の屋敷へ向かったのだ。

 突然の帝の来訪に、屋敷の者たちは慌てふためいた。屋敷の者たちが混乱している間に、帝はやすやすと屋敷の奥へ踏み込み、その女、千登勢の主人と対面したのだった。

 噂どおり、いや、噂以上で、言葉では到底言い表せないほどうつくしい。帝の知っているどの女よりも美しい女がそこにいた。

 輝くような肌。優美な曲線を描く眉。すっと通った鼻筋。小ぶりながらみずみずしく光る口。やわらかくなめらかな頬。すべての光を飲み込むような真っ黒で長い髪。そして、黒い宝石を埋め込んだように輝く瞳。見たこともない絶世の美女がそこにいた。宮中にいるどの妃妾もくらべものにならなかった。

 たちまち、帝は恋に落ちた。帝は、その女を宮中につれかえりたいと思った。

 無理やり腕をとって、引きずるようにして、屋敷から連れ出そうとした。

 だが、どうしたことか、女が屋敷中に焚きこんでいる香の匂いをかいだ途端、帝の手は力を失い、その女はたやすくその手から逃げ出していく。

 帝はなんどもなんども連れ出そうとしたが、結局は同じことの繰り返しだった。

 とうとう、帝は連れ帰ることをあきらめるしかなかった。


 それから、半年が過ぎた。

 ある日、突然、都から使いが来て、俺たち村の若い衆を徴発していった。なんでも、どこかのお屋敷の警護に狩りだされたようだ。

 どこの屋敷だろうか? その屋敷を襲おうとしているのは、なにものだろうか?

 目的の屋敷につくと、すでに都から派遣されてきた兵士たちが警護についている。

 屋敷の周りだけでなく、屋根の上にも、弓矢を構えた兵たちがいるようだ。とても厳重で、ものものしい警護だった。

 俺たちは、屋敷の中に入れてもらえず、庭の隅で矛を持たされて、待機させられていた。

 やがて、日が暮れる。大きな満月が東の空から昇っていく。それを眺めていると、昼からなにも食べていないので、腹が鳴りはじめた

 俺ともう一人の男は、村からついてきたまとめ役の男に命じられて、屋敷へ予め用意されているはずの晩飯をとりにいかされた。だから、俺たちは庭を回りこみ、屋敷の横手から台所へ入った。

 すでに、俺たちの分の晩飯は用意されており、持っていくだけの状態になっていた。

 早速、もっていこうと思ったのだが、間の悪いことに強烈な尿意を感じた。

 俺は、そこらにいた下女に厠の場所を教えてもらい、持ち場へ戻る前に用を足しておくことにした。

 だが、この屋敷は広かった。似たような暗い廊下がいくつもあり、厠からの帰り、たちまち迷子になってしまった。

 しばらく、適当に歩いていると、明るい広間に出た。かいだことがない香の匂いがたち込めている。甘くまろやかな匂い。そして、どうしてか全身から力が抜けていくような感覚がある。

 広間の奥では御簾が垂らされており、その前で老女が端然とした姿勢で座っている。

 俺はおそるおそるその老女に声をかけた。

「す、すいません。台所へもどりたいのですが、案内してもらえませんか?」

 俺の声にその老女が振り返る。御簾の中で、誰かが小さく『あっ!』と叫んだような気がした。

 その老女は、若い頃は相当な美人だったのだろうなと感じさせる気品漂う風情だった。

 が、

「これ、下賤の者、無礼である。どこへなりと立ち去れい!」

 怒鳴られながら、平手打ちをくらってしまった。

 ここは貴族の屋敷というわけでもないし、周囲を竹林に囲まれた田舎のちょっとした金持ちの屋敷。御簾の前に控えているということは、御簾の中の人は、この屋敷の主の身内かもしれないが、老女自身は、ただの使用人。そんな使用人が、俺のことを下賤呼ばわりできるほど、高貴な出であるはずなんてない。ったく、無礼なのはどっちだ! 何様のつもりだ!

 俺は、ぷりぷりしながら、適当に廊下を歩いていたら、なんとか台所へ戻ることができたのだった。


 俺たちは、屋敷の台所から人数分の晩飯の包みを抱えて、持ち場に戻り、それを食べた。

 しばらくして、猛烈な眠気が襲ってきた。天地がグルグルと回り始める。

 近くの仲間が何人か倒れたのが見える。だが、俺たちはそいつらを助けに駆けつけることはできない。俺自身も倒れる寸前の状態なのだから。

 そして、俺は気を失った。

 後で聞いた話では、満月が空の真上に来た時、月の裏から、天人たちの一団が舞い降りてきて、俺たち屋敷の警護の者たちに不思議な術を施したらしい。

 その術を受けた俺たちは、たちまち意識を失い、朝になって陽が昇ってくるまで、兵士たちも俺たちも全員が眠りこけていたそうな。

 その間に、この屋敷に住まう絶世の美女(おそらく、あの老女が守る御簾の影にいた人のことだろう)は天人たちに連れ去られ、月の世界へと帰っていったという。


 その日を境に、千登勢の主人の噂はパタリと聞かれなくなった。

 それからほどなく帝は病気になり、やがて崩御なされた。千登勢の主人が月へ帰っていったのが、よほど堪えたらしい。なんでも、千登勢の主人がこの世界から去る前に、帝宛に贈り物が送られていたというが、千登勢の主人がこの世にいないのでは、そのようなものを持っていても仕方がないとして、東の国の山の上でそれを焼かせてしまったという。噂では、その贈り物は不老不死の薬だったらしいのだが。

 改元が行われ、新しい帝が即位した。

 千登勢が村に戻ってきたのは、それからさらに半年がたったころだった。ヒマをだされたらしい。

 千登勢は、本当に本当にうつくしくなっていた。肌が輝くように白く、着古した服を着ているというのに、垢抜けて見えた。道端ですれ違う男たちは、だれもが必ず足を止めて振り返り、千登勢の姿が見えなくなるまで見送った。

 もちろん、千登勢を誘惑しようとする男も絶えず、何人もの都の貴族たち・貴公子たちが自分の妾にしようと、千登勢の親たちに掛け合いにきた。

 でも、いくらカネを積まれようが、見栄えのよい男に誘われようが、千登勢は決して首を縦には振らなかった。一途に俺の嫁になることしか考えていないようだった。



 ある日、俺の家を訪ねてきた千登勢が不思議な話をはじめた。

「あの方は、もともと美しい人だったのだけど、それだけでなく、どうすれば自分をもっと見目麗しく見せられるかということをよく理解しておられたお方だったわ」

 肌や髪の手入れの方法、化粧の仕方、着こなしのうまさ、立ち居振る舞いの見事さ、どれもすばらしかった。それだけでなく、媚薬的な効果のある香の製法、人間心理などにも精通していた。

 だが、身の回りのこととなるとからきしダメだった。箸の上げ下ろし一つ満足にできず、毎朝、顔を洗うのすら人任せだった。

「あの方は、私のどこが気に入ったのか、いろいろと私にご自分の知っておられることを試されたの。肌や髪の手入れだとか、化粧の工夫だとか、着こなしの妙だとか。礼儀作法にもうるさく注意を受けたわ。そして、男には脱力の副作用があるけど、見るものをこの上なく美しく見せてしまう香を焚かれたりしてね。あ、そうそう、人って神秘的な背景のあるものに接すると、そのものを実物以上に評価するでしょ? だから、ヘンな噂をながしたりもしていたみたい」

 俺はただ驚いて、千登勢の口元を見つめ続けることしかできなかった。

「そしたら、その噂、都にも届いちゃったみたいで、都から毎日大勢の公達衆がおこしになられたわ。最初のうちこそ、ご主人とともに適当にあしらっていたのだけど、そしたら、ついに帝までもがおこしになられて。私、ビックリしちゃった」

 千登勢は、子供のころのまま、明るくケラケラ笑う。

「でも、帝は私を宮中にお召しになられたいっておっしゃられるけど、私には心に決めた人がいるじゃない? 必死にお断りしつづけていたのだけど・・・・・・」

 帝の恋心は断られれば断られるほどに激しく燃え上がった。毎日のように千登勢に会いにこられるようになる。ついには、屋敷にお泊まりになられることをご所望なさるようになった。そうなると、千登勢の身を守り抜くのは難しいし、千登勢自身、帝の寵愛を受け入れる気はさらさらなかった。困り抜いた挙句、屋敷の者たちは一計を案じたらしい。

 千登勢は、実は月の国の人であり、次の満月の夜に不思議な力をもつ天人たちが、迎えにくると言い出したのだ。

 それを知った帝は、配下の兵士や近隣の若者たちを狩りだして、その満月の日、屋敷を警護するように命じたという。

 だが、警護の者たちは、屋敷のものたちが用意した眠り薬を仕込んだ晩飯のせいで全員が眠らされ、そして、千登勢は月の天人たちの手によって、無事に月の国へ連れ去られたのだった。


「じゃ、あのとき、俺たちが警護していた屋敷は・・・・・・」

「ええ、あのとき、御簾の裏で待機していると、あなたが現れて、びっくりしちゃったわ」

「え?」

 あのとき、御簾の裏から驚いたような声が聞こえていたが、そのせいか。俺は納得する思いだった。

 そういえば、あの時、御簾の前に老女がいた。ずい分無礼で、乱暴だったな。ってことは、まさか?

「そう、あの人があの屋敷のご主人」

「そうだったのか・・・・・・」

「あのあと、真相を全部手紙にしたためて、あのお方の知っている綺麗になる秘法をすべて書き出した書物を添えて帝に献じたのだけど、帝は、それを全部燃やしてしまわれたみたいね」

「らしいな」

 なにを考えているのか、千登勢はしばらく黙って開け放った戸口から東の空を眺めた。

 それから、千登勢はポツリとつぶやくように言った。

「あのお方は相当な年だったでしょ? あのあと、ご主人は半年ほどで命が尽きられたの。すっかり衰弱して、最後には足腰が立たなくなって、寝たきりになってしまわれたけど、でも、最後までとても美しい人だったわ」

 そうして、千登勢はぽろぽろと大粒の涙をこぼした。上品に、美しく、清らかに。


 千登勢は帰っていった。

 今でも千登勢は、亡くなった主人の教えを守り、肌や髪の手入れ、化粧の仕方、着こなし、立ち居振る舞い、焚き込める香の調合、すべてを実行しているらしい。

 そのせいか、顔かたちは、前から知っているのと変わらないが、対面すると俺が気おされるほど美しい。千登勢といるだけで、俺は劣等感に苛まれる。

 こんな垢抜けない惨めな俺が千登勢を妻に迎えていいのだろうか? もっと、帝すら袖にする千登勢にふさわしい男がいるのではないだろうか?

 いや、でも、俺は千登勢のことが子供の頃から好きだった。千登勢を他に男に取られたくなんかない!

なら、どうすれば・・・・・・

 答えはひとつしかない! 俺自身の男を磨かねば! 男を磨いて、千登勢と並んでも見劣りのしない立派な人間にならなくちゃいけない!

 だから、俺は願うのだった。どこかに俺を従者として雇ってくれる月の男はいないものだろうかと。

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