眼鏡女子に関する一考察
今朝は、身支度を整えているときに、すごくドキドキした。
生まれてはじめてのコンタクトレンズ。
小学校の高学年のころから眼が悪くなって、中学・高校とずっと眼鏡を掛けていた私に、大学の合格祝いだといって、社会人の姉が買ってくれたものだ。
あの透明な樹脂を眼の中に入れる。緊張した。怖かった。でも、やっとの思いで眼に装着し、恐る恐る周囲を見回したとき、世界が変わったことに気がついた。
とても、世界が近くなった。
すぐ目の前にレンズという障壁がないというだけで、見ているものがグンと近づいたのだった。
ショルダーバッグの中の書類をなんども確認して、家を出る。
今日は先月合格発表があり、私の名前がそこにあることを確認した大学へ向かう。入学手続きのためだ。
私の高校からは、10人ほどが受験し、約半数が合格した。けれど、私以外の合格者はみんな他の大学を第一志望にしており、結局、この大学へ入学することに決めたのは私だけだった。
はぁ~
だれも知り合いのいない、友達のいない大学へ4月から通うのか。
新しい友達や知り合いができるのだろうか? うまく大学になじめるのだろうか?
すこしの期待とたくさんの不安。
でも、今日から私はあの地味な眼鏡っ子ちゃんじゃなくて、普通の眼鏡ナシの女子の顔。
よし、がんばろッ!
ホームで電車を待ちながら、小さく気合を入れた。
不意に、だれかに見られているように感じた。
こっそりとそちらを見る。
隣のシートの男性が私のことを見ていた。
なんだろう? ナンパかなにか?
でも、ちょっと様子が違うような。なんだか盛んに首をかしげている。それに、どこかで見覚えがあるような気もしないでもない。
え~と・・・・・・?
「ちょ、ちょっといい? もしかして、吉野さん?」
「え?」
どうして、私のこと知っているんだろう?
警戒して、相手を見つめ返すと、
「あ、やっぱり吉野さんだ。眼鏡じゃなかったからビックリしたよ」
私の警戒心を解きほぐすような満面の笑み。でも、知らない人。
「俺、隣のクラスの佐々木」
「佐々木、くん・・・・・・?」
正直言って、その名前にも心当たりなんてない。でも、隣のクラスってことは、廊下ですれ違ったりだとか、体育かなにかで一緒に授業を受けたりだとかしたから、私にもなんとなく見覚えがあるのだろうか?
「へぇ~ あ、もしかして、イメチェン? 大学デビュー?」
「・・・・・・」
「すごい変わったね。見違えちゃったよ。まるで、別人みたい。さっき声かけるとき、すごく吉野さんに似ている人がいるけど、違う人だったらどうしようって、心臓バクバクだったよ」
どう答えていいか分からなくて黙っている。
「あ、これから吉野さん、入学手続きに行くんでしょ?」
「えっ? なんで?」
な、なんで、この人、私がこれからなにをするか知っているんだろう?
佐々木くん、かたわらの自分のカバンを持ち上げた。
「一緒だから」
「・・・・・・? でも、入学するのって、私たちの高校からは私だけなんじゃ? それに、さ、佐々木くんは受験のときいなかったじゃない?」
「ん? ああ、俺、推薦だから」
「え?」
「俺、こう見えても、結構、成績はいい方なんだ」
すこし自慢げに言ってのけた。
――ガタン、ガタン
電車がリズムよくレールの上を走っている。
「ね、よくマンガとかで、地味で目立たない女の子が眼鏡を取ったら実は美人でって話あるじゃん?」
「う、うん・・・・・・」
一瞬、ドキドキしてしまう。つい、眼鏡のときのクセでフレームを押し上げようとして、眼鏡がないことに気がついて、慌てて膝に手を戻す。
「あれって、結構、ウソだよな」
「・・・・・・」
って、いま、この人なに言った? なに言ってるの?
眼鏡を取ったら美人ってのがウソって、今日初めてコンタクトにした私の前でそんなこと言う?
それって、私は眼鏡をとっても不美人だっていうこと?
なにこの人? なんなの!
さっきは、自慢げに推薦組だっていっちゃうし、今度は、私のことバカにするようなこと言って!
ムカッとして、キッと睨んでやる。
でも、佐々木くん我関せずって顔で、自分のつま先に視線を固定させたまま、ボソボソと話をつづける。
「結局、もしそんな子が本当にいたとしても、その子の魅力って、眼鏡で隠れてしまう程度の大した魅力じゃないってことじゃない?」
「・・・・・・」
冷ややかな気分で赤い首筋を眺めている。佐々木くんは血色がいいのだろう。
「でもさ、吉野さんって、学校でもすごく可愛くてさ、ずっと憧れてたんだけど、眼鏡取ったら、なんていうか・・・・・・」
思わず、体が硬直してしまう。
いま、この人なんて言ったの? なにか、大切なことを聞き逃したような。
一瞬呆然として、さっきまでの冷ややかなものも、大学への期待や不安も、何もかも全ての感情が私の中で消え去った。
ハッと気がついたときには、佐々木くん私の方を見ている。赤い顔。ひきつった笑み。
「よかったら、俺と付き合うのを前提に、結婚してくれないか?」
必死の表情。たぶん、私も彼と同じように真っ赤になっているのかしら? 顔が熱いし。
なんて、考えていて、彼の言い間違いに気がついた。
「逆でしょ・・・・・・」
「えっ?」
一瞬、佐々木くんキョトンとして、それから、ビックリした顔をした。
「あっ!」
「結婚を前提に付き合うんでしょ?」
「うん・・・・・・」
恥ずかしげにうなずく。耳まで赤いのが見えた。
「あ、別に、君が嫌なら結婚してくれなくてもいいし、浮気してもいいんだよ。他に好きな人がいるなら、それでもいいんだ。あきらめる。ただ、俺が一方的に、この3年間、ずっと片思いしてただけだから。想ってたってこと伝えたかっただけだから・・・・・・」
そ、そうなんだ・・・・・・ 全然、気がついてなかった。
大体、ずっと眼鏡をかけている地味っ子な私に、ひそかに想いを寄せてくれる人がいるなんて、想像もしていなかった。
って、ちょっと待って! 一つ引っかかることがある。とても、大事なこと!
「私、別に浮気なんてしないもん!」
「え?」
「佐々木くんと付き合っても、浮気するようなことしないもん!」
「・・・・・・」
佐々木くん、目を見張ってる。
「お、俺と付き合っても、って・・・・・・」
「あっ・・・・・・」
私が何を口走ったのか今さら気がついて、急に恥ずかしくなった。あわてて視線をそらす。
今さらながら理解した。佐々木くんと同じように、私もテンパってる。
ともかく・・・・・・
「俺、吉野さんのこと、大事にするよ。俺も絶対に浮気なんてしない!」
佐々木くん、私の手をとってきて、私のことをじっと見つめるから、その目にひきつけられるようにして、私も見つめ返すしかなくて、
「うん・・・・・・」
電車が減速を始めた。そろそろ私たちが下りる駅。
私たちは座席から立ち上がり、ドアのところへ移動した。
「それと、改めて思うんだけどさ」
「え?」
佐々木くん、なにもない網棚を見上げながら、ポツリとつぶやいた。
「眼鏡外したら美人な子って、眼鏡してても美人だよな」
「そう?」
「ああ、吉野さんみたいにさ」
そして、私たちは手をしっかりとつなぎ直した。