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屋根の雪

ひさしぶりに記事更新です。2012年に書いた作品の中からいくつか集めてみます。

しかし、これだけ数が増えると、以前転載した作品とかぶってないか調べるだけでも結構手間だなぁ

 私の車の前を、近くのスキー場帰りのバスが、屋根にうず高く雪を載せて走っていく。

 これから都会へ帰るのだろうか?

 高速のインターチェンジへ続く道には雪がなく、空は晴れている。

――トン

 軽い音がフロントガラスでした。

 幼稚園のお迎え帰りで、疲れて眠っている娘が座る助手席の前の隅の方がすこし濡れているようだ。

 なんだろう?

 また、

――トン

 今度は、私の前。

 目の前だったから正体が分かった。

 前のバスから落ちてくる雪の塊が、後ろを走る私の車に当たっているのだ。

「もう、やぁねぇ~ 傷ついたら、どうしてくれるのよ!」

 そう口に出して言いながら、でも、心の中では別のことを考えていた。


「あのさ、俺、ここに座ってもいいか?」

 美術の時間。学校に備え付けの塑像をデッサンしている私に、彼が最初にかけてきた言葉だった。

 私の隣の席が空いていたので座りたいようだ。

「え? うん」

「そ、サンキュ」

 彼はそう言って、私の隣でスケッチブックを開いた。

 ふと見ると、すでに、こことは違う角度から描いたその像の絵があるのに、また最初から描きなおすつもりらしい。鉛筆を立て、片目を閉じて、像を眺めている。

 チラッと私を見た。

 眼が合って、微笑んでくる。

 ちょっとドキッとして、慌ててスケッチブックに顔を伏せた。

 やがて、授業終了のチャイム。

 あのあと、像を見るフリをして、何度も私は隣の彼を盗み見た。

 その気配を感じたのか、彼が首を動かそうとする。そのたびに、私は何気ない風を装いながら、顔を伏せていた。

 結局、私の絵、途中までしか完成しなかった。

 スケッチブックのそのページをちぎって先生に提出し、席に戻って荷物を片付ける。

 と、私の手元が不意に暗くなった。近くに人が立ったのだ。彼が。

 彼は白い歯を見せながら、

「これ、よかったら、あげるよ」

 そう言って、ちぎったスケッチブックを私に差し出してきた。

 そこには、スケッチブックに真剣な表情で向かう私の姿が描かれていた。

 え?

「あんまり素敵だったから、スケッチしちゃった」


――トン

 また、雪の塊が。


 教室に入ると、最初に彼の姿を探すようになるまでには、それほど時間はかからなかった。

 でも、いつも彼の方が先に私を見つけていて、教室の隅から『おはよう』って声をかけてくれる。

 私も小さく口の中で、もごもご『おはよう』って返す。たぶん、私の声は彼に届いてはいなかったはず。

 それでも、彼は不満そうな顔も見せずに、毎朝毎朝、私におはようの挨拶をし続けた。

 彼から『おはよう』って声をかけられるたび、話しかけられるたび、私の中で温かいものが生まれ、幸福な気分になる。

 でも、すぐに、私の後から他の女の子が教室に入ってくると、彼はその子にも、私にしたのと同じ笑顔で『おはよう』

 胸が痛くなった・・・・・・


 前の信号が赤に変わった。

 バスが減速して止まる。もちろん、私の車も。


「隣、空いてる?」

 私たちの修学旅行はスキーだった。

 行きのスキーバス。ワイワイガヤガヤ和気あいあいな中、男子も女子もそれぞれ勝手に決められた席から移動し、仲の良い仲間同士でおしゃべりやゲームを始める。

 私の隣の席の子も、すでに彼女の友達の席へ遊びに行った。

「え? うん。どうぞ」

「ありがと」

 彼はそう言って、軽やかな身のこなしで隣の席に滑り込む。

「近藤のヤツに、彼女と一緒にいたいからって、追い出されちゃったよ」

「へ、へぇ~」

「だから、しばらくここにいさせてね」

 爽やかな無邪気な笑顔で頼んでくるので、コクンとうなずいた。

「ね? 長尾さんって、好きな音楽、なに?」

「え? ・・・・・・」

 ちょっと考える。私、あんまり音楽とか聴かない。だから、とくに好きなバンドとかはない。

 そんなことを正直に答えてもいいのかしら?

 そんなことをしたら、彼、私のことを馬鹿にしたり、失望したりするのかな?

 音楽も知らないつまらないヤツって。

 どう答えようか、あれこれ迷っていると、

「俺、今の曲より、90年代の曲とか好きなんだよねぇ~」

 そう言って、私の知らないアーティスト名や曲名を次から次に挙げた。

「すごくノリのいい曲だったり、心に染みる切ない曲だったり、すごくいいんだぁ~ 長尾さんも聴いてみるといいよ」

「え? あ、うん」

「よかったら、今度、CDとか貸すよ。聴きたくなったら言ってね。いつでも貸すから」

 その笑顔がまぶしくて、黙ってコクンとうなずくしかできなかった。


 信号が青になる。

 バスが動き出し、その反動のせいか、大きな塊が下に落ちた。


「ほら、あれがアルデバラン。赤い星だし、ラテン語で雄牛の心臓って意味だけど、本当は、おうし座の左目の位置にあるんだよねぇ~」

「へぇ~ そうなんだ」

 夜、スキーをして疲れた体を旅館の浴場で温めた帰りの廊下。窓から見える晴れた夜空を見上げて、彼が指で差した。

「オリオンの三ツ星の右下にリゲル、左の明るいシリウス、プロキオン。屋根のせいで、ここからは見えないけど、ふたご座のボルックス、ぎょしゃ座のカペラと繋いで、冬のダイヤモンド」

 窓越しに見える星たち、部屋の明かりを反射して、あまり良くは見えない。

 でも、小さなそれぞれの光。彼の指に差されるたびに、明るくきれいにきらめくように感じる。

「星空って、素敵だよねぇ~」

 なにも言えなくて、コクンとうなずいた。

「素敵だと感じる時間。そして、そのとき、その隣にいる人の顔」

 彼が小さくそっとつぶやく。

「たぶん、一生忘れないのだろうな」

・・・・・・

 心臓が痛い。

 胸の前の着替えやお風呂用具の入った巾着袋を抱きしめる腕にギュッと力を込めた。そうしないと、思わず、彼の袖をつかんでしまいそうで・・・・・・

 だれにでも優しい彼をつかみ止めようと。


 結局、私は、彼に自分の気持ちを告白なんてできずに、学校を卒業した。

 彼は卒業までの間、やっぱりだれにでも優しかった。

 毎朝、彼は女の子たちに『おはよう』の挨拶をし、いろんな子にお気に入りのCDを貸し、彼からスケッチブックのページを受け取ったのは私だけではなかった。

 おそらく、星空を並んで見上げながら、分かりやすいように星を指差してみせたのも私だけじゃないのだろう。

 不意に、ハンドルを握る私の胸に苦いものが広がった。

 もし、あのとき、彼の袖をつかんでいたなら・・・・・・

 バスは左の方向指示器を点滅させ、屋根の雪を振りまきながら、インターチェンジの取り付け道路へ左折していった。

 私は、この道をまっすぐに進む。

「ママ、どうしたの? 泣いてるの? 悲しいの?」

 さっきまで寝ていた助手席の娘が眼を覚まして、私を心配そうに見上げていた。

「ううん。大丈夫よ。暖房で眼が乾燥したせいで、涙がいっぱい出ただけだから」

 もう、フロントグラスに当たる屋根の雪はなかった。

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