ため息
朝、自分の席につき、カバンの中から荷物を移していると、いつものように森田君が教室に入ってきた。
先に来ていた友達に挨拶をして、ゆっくりと私の方へ歩いてくる。
私、いつものようにうつむき加減で、こちこちに固まって、手を止め、座っているだけ。
森田君、そんな私に気づくこともなく、私の隣を通り過ぎて、教室の後方の自分の席へ歩いていった。
はぁ~
自然と私の口からため息が漏れる。
「ああ! もし、俺があいつだったなら、こんなにも切ないため息をもらす可憐な乙女を、ひとりぼっちになんてしないのに!」
突然、私の頭の上から声が。
前の席の結衣ちゃん。うちの学校の演劇部の部長。
「俺の愛で、この麗しき姫君を優しくつつんでみせる!」
「もう、からかわないでよ!」
ぷくりと頬を膨らませて、抗議の声を上げる私。
「ごめんごめん。でも、森田って、ほんと鈍感。加奈がこんなにぞっこんだって、全然きづかないんだもん!」
いたずらっこの目をして、ちらりと後方の席をうかがい、私に軽くウィンク。
「ねぇ? いっそのこと、加奈が森田を誘っちゃえば?」
思わず目を大きく見開いて、のけぞった。
「だ、だめだよ。絶対ダメ!」
「どうして? 森田って、彼女いないみたいだし、加奈姫みたいに可愛ければ、きっと断ったりしないとおもうけどな?」
「だ、ダメ! ダメ! 絶対できないよ!」
両手を胸の前でブンブン振りながら、真っ赤になって、拒否!
「そう・・・・・・?」
「ん? ダメダメって、ナニ? 俺なにか中村さんに悪いことした?」
横から突然声をかけてきたのは、隣の席の河合君。
今、着いたばかりで、カバンを机の上にドンと置いた。
「え? ううん。河合君のことじゃ・・・・・・」
「なに、ガールズトークを盗み聞きしてんのよ! デリカシーがないわね!」
「なんだよ。大きな声で騒いでるから、勝手に耳に入って来るんだよ! 聴かれたくなかったら、もっと小さな声で話せよ!」
幼馴染みらしいけど、気が合わないのか、この二人は毎日いがみ合ってる。そして、同時にフンとそっぽを向き合った。
で、でも、私たち、そんなに大きな声で話してた?
も、もしかして、今の話、森田君の耳にも・・・・・・
そっと森田君の方をうかがってみたのだけど、森田君の席は空っぽ。
ってことは、私たちの話、聴かれてないよね?
ちょっと安心した。
ところが、安心するのは、まだ、早かったみたいで・・・・・・
「カワ、これ昨日借りてたCD。ありがとうな」
「おお、で、どうだった、モリ?」
「ああ、結構ヤバかった」
「だろ♪ いいよな、やっぱりコレ。最高だよな」
気づいたら森田君、河合君の隣に立っていた。ってことは、私に背中を向けて立っているってこと。
当然、私、耳まで赤くなって、身動きひとつず、息を止めて、小さくなって座っているしか出来ない状態。
前の席では、結衣ちゃん、面白そうに私と森田君を見比べて、盛んに私に合図を送ってくる。
でも、私、反応なんて出来ない。金縛りにあったように、動けない。
結衣ちゃん、声に出さず、口だけを動かして、『チャンスよ』だなんて・・・・・・
私、私、泣きだしてしまいそう!
やがて、森田君と河合君、おしゃべりが終わったみたいで。
「じゃ、また、なにか貸してよ」
「ああ、いいよ、今度、またいいのあったら、持ってきてやるよ」
だなんて、言葉を交わして、森田君、後ろの席へ戻ろうとした。
その途端、私、ほっとして身体から力を抜いた。でも、心の中が、すごくさびしい。後悔の気持ちでいっぱい。
チャンスだったのに、私の気持ちをそれとなく伝えることが出来たかもしれないのに!
どうして、みすみすチャンスを逃したりしちゃったの! 加奈のバカ! 意気地なし!
少し涙眼になって、またため息をひとつ。
でも、突然、肩を叩かれた。
え?
前の席の結衣ちゃん、私の斜め上を見つめて、目を丸くしている。
ううん、私の横にいる人物を見上げて、ビックリしている。
「ねぇ、中村さん? 中村さん、このCD聴く?」
こ、この声は・・・・・・!?
私の目の前に、大好きなバンドのアルバムのCDが。もっとも私の家にもあるし、いつも聴いているウォークマンにも曲が入ってる。
で、でも・・・・・・
私、そのCDを差し出してくれている人を見上げて、返事も忘れて、ぽかんとしていた。
爽やかなちょっとはにかんだような笑顔。夢でしか想像したことがなかった素敵な笑顔を私に惜しげもなく向けてくれている。
ポーッとしないわけがない。
そんな風に突然のことでフリーズしてしまっている私を見かねたかして、結衣ちゃん、身を乗り出して、私の耳にささやいてきた。
「ほら、返事。返事しな、加奈」
ハッとして、一瞬、結衣ちゃんの方を見ようとしたけど、どこか不安そうな影がちらつく二つの瞳から、視線をそらすなんて出来なかった。もちろん、声を出すなんてことも全然。
口の中が乾いて、舌が張り付いて、動かない。
目の前の男の子も口が渇くみたいで、盛んにツバを飲み込んでいた。
私、ありがとうも言えずに、ただ、壊れた機械人形みたいに、首をガクガク縦に振った。なんども、なんども。
CDを受け取って、大事な宝物のように、胸の前で抱いていると、
「すごくうれしそう。よかったね、加奈」
結衣ちゃん、ニコニコしながら話しかけてきてくれた。
森田君は、すでに自分の席で荷物の移し替えをしている。
「うん!」
「でも、それ、加奈、持ってたよね?」
「うん。でも、それでも、うれしい! 幸せ~♪」
「はいはい、それはご馳走様で」
「てへ~♪」
奇声を発して、照れている私。周りから見ると、十分、怪しい人に見えているのかも。でも、そんなこと、この際どうでもいい!
私、本当に、天にも上るような気分でうれしいのだから。
「けど、なんで、加奈がそのバンド好きだって知ってたんだろう? 不思議・・・・・・?」
結衣ちゃん、にらみつけるように河合君のことを見ている。
河合君、頬をポリポリ掻きながら、
「昨日、モリに訊かれたからな」
なんて、つぶやいた。
「ああ、また、ガールズトークを盗み聞きしてる!」
「ふん! 別にいいだろ! 中村さんも喜んでるんだし!」
「なによ、まったく!」
また、フンって結衣ちゃんよそを見たけど。河合君、それに構わず、ゴソゴソ、カバンの中を引っ掻きまわし始めた。やがて、
「ほら、吉田。お前にも、これ貸してやる」
そういって、結衣ちゃんが大好きなアイドルのCDを差し出してきた。
一瞬、結衣ちゃん、鳩が豆鉄砲を食らったみたい。
「お前、この間、こいつ大好きって言ってただろ? たまたま手に入ったから・・・・・・」
CDを手にし、結衣ちゃんは目をぱちくりさせていた。そして、
「ありがとう」
いつもの結衣ちゃんに似合わない、小さく消え入りそうな声だった。
6年ほど前の作品なので、いろいろと今の時代に合わないところがあります。
というか、たった6年なのに時代の変化激しすぎ。