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えにしの樹の伝説

 5年前に父を亡くした母が、最近やたらと明るい。恋でもしているのかしら?

 父を亡くしてから今まで、私を一人前に育てるんだと頑張っていた母。恋もせず、着飾ることもやめ、ただひたすらに私のために毎日を一生懸命働いて過ごす。

 とても感謝している。母がいなかったら、今の私はいないだろう。

 でも、だから母にはぜひ幸せになってほしい。新しい恋をして、女としての幸福を感じて生きてほしい。そう私は願っているし、今の母の恋を応援しようと決心している。


「いってきまーす」

「いってらっしゃい。お仕事がんばって」

「うん。ありがとう」

 母はそう言って、夏休みで家にいる私に見送られながら、玄関のドアを開けた。でも、急に立ち止まり振り返る。

「あ、そうそう、夏実、今日、どこかへ出かける予定だった?」

「え? あー。うん」

 ちょっと目をあわしづらい。別に悪いことをするわけでもないし、母にウソをついているわけでもない。ただ、ちょっと今日の予定のことは言い出しづらい。

 そんな私の困っている様子も気にならなかったみたいで、

「そ、じゃ、夕方までには帰ってこられる?」

「え? あ、うん。そのつもり」

「そう、良かった」

 母は満足そうに息を吐いた。それから、

「今日ね、夏実にちょっと会ってもらいたい人がいるの・・・・・・」

 母はオンナの表情をして私を伺い見る。ピンときた。つい、ニヤニヤしてしまう。

「あ、今つきあってるってヒト、ついに、うちにくるの?」

 途端に、母は赤くなる。そして、はにかむようにして、『ウン』と小さくうなずいた。

「ふふふ。分かった。夕方には家にいるようにするね。なんなら、ご馳走でも用意しておこうか?」

「え? あ、いいの、あの人を家に呼んでも?」

「うん。いいよ」

「あ、ありがとう!」

 そういって、私の手をとって飛び跳ねる母だった。うふ。ちょっと可愛いかも。


 あのあと、母が『電車遅れちゃう!』なんて叫んで飛び出して行った。とてもうれしそうだった。

 けれども、そうこうしているうちに、しだいに私の方の約束の時刻が近づいてくる。緊張してくる。

 とにかく、出かける支度をしなくちゃ。間に合わなくなってしまう。

 いつもより念入りに、とびっきり可愛く見えるように・・・・・・

 昨日の夜、3時間かけてコーディネイトしてだしておいた服に着替え、覚えたての化粧をして、大人っぽい感じの香水を振り掛けて。

 よし、完璧! あ、でも、口紅の色、ちょっと派手だったかしら? ピアスはもっと見栄えのするものの方が・・・・・・

 散々悩んで、支度に手間取っている間にすぐに家を出なくちゃいけない時間になってしまう。

 ああ、もう! なんで決まらないのよ! もう、こんなのじゃ、先輩、すっぽかされたと勘違いして、帰っていっちゃうじゃない!

 結局、私が家を出たのは、予定の時間から10分遅れだった。


 家を飛び出し、履きなれないハイヒールに転びそうになりながら、早足で近くの市民公園へ向かう。

 広い公園で、敷地内に連日近所の子供たちが大集結している市民プールもある。

 もし、先輩とこのまま付き合うことになったら、いつかデートで使いたい場所の候補のひとつだ。ただ、お客さんの中に同級生や近所の顔見知りの人が大勢いるってのが、ちょっと難点だけど。

 私は公園の中を突きっきり、人でにぎわっている市民プールを横目にして、公園の奥、小高い丘になっている場所を目指した。

 家からずっと早足で、慣れないハイヒールのせいもあって、すでに足がじんじん痛む。

 雑草ばかりの花壇に向かい合うベンチの前を通り過ぎ、噴水の手前を右に折れると、上り坂の先に大きな樹が見えてきた。もうすぐだ!

 ゆるい坂道を上りはじめると、ひんやりとした風が吹き付けてくる。それに、カサカサと樹の葉がこすれ合う音も聞こえてきた。

 まだ、樹の下には先輩の姿は見えない。

 ううん。先輩の姿だけでなく、人影そのものがない。すこし早く着きすぎたのかしら? それとも、先輩、来ないつもりなのかしら?

 えにしの樹。詳しくないので樹の種類までは分からないけど、私たちの住んでいる町の人たちは、この樹を『えにしの樹』とよぶ。漢字で書いたら、『縁の樹』。なにかのいわれがあるのだろうけど、私は知らない。ただ、この樹にまつわる都市伝説が一つある。どこの町にでもあるようなスタンダードなのが。

 そう、この木の下で告白した男女は一生の縁で結ばれるというもの。

 実際、私の友達の中にも、何人か、この樹の下で告白されたり、告白した子がいる。もちろん、彼女たちの中にも、一生の縁と噂さているほどには関係が長続きしなかった子もいるけど、それでも別れてしまったカップルはごくごく小数だった。

 友達の千尋に言わせれば『この樹の伝説なんて、市民のほぼ全員が知っているのだから、この樹の下に呼び出されれば、相手がなにをしようとしているのかなんて分かりきっているじゃない。それなのに、のこのこ呼び出されてくるのだから、元から相手に気があったってこと。うまくいって当然の話だわ』だって。

 千尋の言うことにも一理あると思う。でも、それでも、折角、恋人になるなら、この樹の伝説の力にすがり付いてでも、一生の縁を結びたいと思うもの。

 だから、私は今日ここに来た。昨日のうちに、勇気を振り絞って先輩に呼び出しのメールを送って。


 えにしの樹の下にはまだだれもこない。

 ここへ呼び出すと言うことは、相手を好きだということと同じ。そして、相手がここへ呼び出されてくるってことは、その思いを受け入れるということ。なら、この場所に姿を見せないのは・・・・・・

 う、ウソでしょ・・・・・・・ そ、そんな・・・・・・

 私は必死で周囲を見回す。携帯を見て、時刻を確認。約束の時間をとっくに過ぎている。

 携帯から顔を上げた。

「そ、そんな・・・・・・」

 泣きそうになりながら、今日も快晴の空を見上げた。

 不意に、私の周りで影が濃くなった。

 え?

 途端に、視界が黒いもので覆われる。そして、

「だーれだ?」

 その声を聞いた途端、ホッとすると同時に、胸の中に熱いものがせりあがってきた。

 私、振り返った。

「せ、先輩!」

 そして、どっと熱いものを眼からこぼした。


「わ、わるい。そんなに驚くとは思わなかった」

 しゃくりあげる私を、先輩が必死に慰めようとしてくれる。でも、私はいやいやをするように頭を振る。

「ごめん。そんな風にびっくりさせるつもりじゃ・・・・・・」

 先輩の困惑した声を聞いていたら、不意にたのしい気分になってくる。

 ヘンなの。まだ、眼からこぼれる涙は全然とまらないっていうのに。

「わ、わるい! な、謝るから、泣き止んでくれよ。なっ?」

 頭を下げる先輩を見ていたら、なぜだか吹き出してしまいそうになった。

「も、もう・・・・・・ふふふ」

 顔を上げた先輩の顔にも笑顔が広がっていた。


「先輩、私・・・・・・」

 二人で見詰め合って、笑いあって、それから、あらためて真剣な表情を作る。

「あ、待て。その前に俺の方から」

 先輩も笑いを納めて、真剣な表情で私の顔を見つめてくる。気圧されて口をつぐんでしまうほどに。

「俺、夏実ちゃんが入学したころから、ずっといい子だなって思っていた。可愛くて、やさしくて、思いやりがあって。俺、こんな子が彼女になってくれたら、どんなに幸せだろうって、ずっと思ってた」

「え?」

 真剣な表情。真剣な口調。真摯で、そして、誠実に。先輩の心からの告白。

 その温かい声音を聞いているだけでうれしかった。そして、とても幸せだった。

「夏実ちゃん。いや、夏実、よかったら、俺と付き合ってくれないか? 俺の彼女になってくれないか?」

 また、目尻が湿り気を帯びてくるのが自分でも分かる。でも、ぐっと堪える。

 一生懸命、顔の筋肉に力をこめて、どうにかこうにか笑顔と呼べるような表情を作る。

 そして、私は、今まで一番大きく、力強くうなずくのだった。

「はい。よろしくお願いします!」


 あれから、二人で公園の中をデートして、近くの喫茶店に入って、たわいもないことをおしゃべりし、途中にあった雑貨店でおそろいのストラップを買った。

 陽はだいぶ西の空に傾き、夕焼け色に雲が染まっている。

 別れ際、先輩は残念そうな顔をして、私の手を握った。

「家まで送っていってあげたいけど、今日は親父と出かける約束があるんだ。すまない」

「うん。いいの。気にしないで」

「母さんが死んでからずっと一人で俺のこと育ててくれた親父だから、約束をすっぽかしたりしたくないんだ。悪い。本当はもっと前の時間に家まで送っていくつもりだったんだけどな。なんか離れたくなくて、つい時間ぎりぎりまで一緒にいた」

「え、あ、うん」

「すまない」

 すごくすごくうれしい。すごくすごく顔があつい。私と一緒にいたいから、先輩はずっと傍にいてくれたのだ。すごくすごく幸せ。

 先輩は駅の方へ去っていった。名残惜しそうに。


 そこで、ハッと気がついた。そういえば、私の方も母との約束があったのだ!

 それに、ご馳走を用意するなんてことも・・・・・・

 私は急いで家へ帰った。そして、大慌てで着替えて、料理の支度をはじめる。

 うん、完璧!

 母の新しい恋がうまくいくように祈りをこめた料理。そして、私の恋がこれからもうまく行くことを願う料理でもある。

 しあわせの味。幸福の香り。

 料理を口にした母や、その恋人が、思わず笑顔になることを想像しながら作った。


――ピンポーン♪

 玄関のチャイムが鳴る。

 幸せな気分でドアを開ける。

 母が立っていた。

「ただいまー!」

「お帰り」

 母は、後ろに立っている人に声をかけた。

「あ、娘です。どうぞ中へお入りください。光弘くんも、どうぞ」

「お、お邪魔します」

 母よりもすこし年嵩にみえる男性が、私に頭を下げて、玄関に入ってきた。

「ど、どうぞ」

 慌ててしゃがみ、スリッパを用意する。

 つづいて、もうひとりの男性。

「お、お邪魔します」

 よく顔も確かめずに、スリッパを出す。

「どうぞ」

「ありが・・・・・」

 なぜか、その人、絶句した様子。なんだろう? ヘンに思って顔を上げた。その途端、眼を見開いて固まる。

 その人も、まったく同じ様子で私を見つめて固まっていた。


 結局、えにしの樹の都市伝説、私に関しては真実だったようだ。

 えにしの樹の下で告白した者は、一生の縁で結ばれる。

 たしかに・・・・・・ 私たちは一生の縁で結ばれた。

 私の本意ではない形でだけど。

 はぁ~

 でも、これから私、どうしたらいいのだろう?

 毎朝眼が覚めると、朝食の席に先輩の姿があるなんて・・・・・・

 きゃぁ~ ど、どうしよう?

 お、落ち着いて考えなきゃ!

 そ、それはそうと、兄妹でも血がつながっていなければ・・・・・・?

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