そうめん
今日の夕ご飯は、さっぱりとそうめん。
パパもお兄ちゃんも外で済ましてくるというので、ママと私の分だけ。だから、そんな日は、手間がかからず、茹でるだけで食べられるそうめん。
でも、そろそろお湯を沸かして茹で始めようとしたときに、冷蔵庫の中をのぞいていたママが、
「あら、めんつゆ切れてるわ。買ってきてくれない?」
というわけで、私が自転車に乗って近所のスーパーまで買いに行くことになった。
まだ、太陽が西の山の上に顔を出していて、アスファルトをジリジリと焦がしている。
それでも、午後二時の息苦しいほどの暑さとは違って、通り道のあちこちにある物影に入ると、どこかぬるい風が吹き抜けて、ちょっとだけホッと息がつける。
両側に住宅が立ち並ぶ東向きのゆるくて長い坂道を下って、ふもとの県道沿いのスーパーへ。
めんつゆを買い、お駄賃代わりのお釣りでアイスを買って、かじりながら来た道を登っていく。
最初のうちは、勢いをつけ、早いスピードで坂道を駆け上がっていた相棒の自転車も、長い上り坂に途中で息切れし、私の脚力では前へ進まなくなってきた。
ちょっと残念な気分だけど、潔く負けを認め、降りる。
横を歩き、ハンドルを押しながら坂の残りをこなすことにした。
ときどき立ち止まっては、口に咥えたままのアイスをかじりとる。はやくしないと、溶けて、下におちちゃいそう。
ハッ、ハッ・・・・・・
息を弾ませ、足を速める。
唐突に、目の前で透明なアーチが出現した。
立ち木にさえぎられてその向こうが見えない左手から伸びてきて、ゆるい放物線を描いて道の上に落ち、アスファルトにあたって砕け散る。
――バシャシャ
水だ。だれかが、坂道に水を撒いているのだ。
私は、慎重にその水のアーチへ近づいていく。
視界をさえぎっていた立ち木の向こう側、ある家の駐車スペースに立って、水を撒いている半ズボン姿の男の子が見えた。
「あ、宮本」
私のつぶやきが聞こえたのか、その男の子が振り返る。
「え? ・・・・・・野川」
学校の同級生。クラスにいても、特にしゃべったりしたことなかったけど、顔は覚えている。
それは相手も同じだったみたい。
「おす」
「・・・・・・おす」
ぶっきらぼうに改めて挨拶を交わして、
「ここ宮本のうち?」
「ああ」
さりげなく表札を指差す。確かに『宮本』と書いてある。
納得はしたが、それ以上話すこともないので、お互いに黙りこくる。
宮本、手に持ったホースをかすかに左右にふり、その動きに合わせて、ホースの先から勢いよく飛び出してくる水も蛇のようにくねった。
その動きを立ち止まってみていると、
「ここ、とおるか?」
「うん」
改めて訊かなくて、一本道なんだから、通るに決まっているのに・・・・・・
「そっか」
ホースの向きを変え、今度は玄関先にならんだ植木鉢に水をあて始めた。
「ありがとう」
「ああ」
それから私は再び自転車を押しながら歩み始めた。
――バシャバシャ
私が通り抜けた途端、また、背後で道に水を撒く音が響いてきた。
と、
「おい、野川?」
呼び止められた。
「え?」
振り返る。宮本、なぜか白い歯を見せ、私に笑いかけている。でも、なんで私に笑顔を?
怪訝に思いながら、じっと宮本の顔を見ていると、
「ほら」
ホースの先を指差した。
眼をやると、水しぶきにまぎれるようにして、かすかに七色の光が見える。
「虹?」
「ああ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
家にたどり着き、早速、買ってきためんつゆで、そうめんを食べた。
お中元で親戚から贈られてきたそうめん。薬味を刻んで、しょうがを溶かして。
ママと二人、向かい合うようにして、テーブルの上のガラスの皿に氷と一緒に盛り付けたそうめんに箸をのばす。
細く長い真っ白なそうめんを束にして掬い上げ、濃い茶色のめんつゆにひたしてすすり上げる。
さっき食べたアイスの甘さが口の中に残っていて、ちょっと微妙な味。
中座して、口をすすいできた方がいいかしら?
また、箸を伸ばして麺を掬うと、何筋か赤いものがまぎれていた。
「ああ、何本か色つきのものが混じっていたわよ。これ、綺麗よね」
ママが微笑んで教えてくれた。
『そうね』なんて答えたけど、私、別のことを考えていた。頭の中では、どうしたって、赤いそうめんに重なるように、あの水しぶきの中の虹がイメージが浮かんでくる。
そっか、今日、私、宮本とふたりっきりで同じものを見たのだわ。たった二人だけで、たぶん美しく素敵なものを・・・・・・
そんなことを考えたら、すこし周りの気温が上がった気がした。
「うん、本当に、これって綺麗よね」
私はその赤いそうめんをすすった。