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連絡通路

 中学を卒業して、もう3ヶ月。ずい分、時が過ぎたような気もするけど、実感としては早いものだ。

 高校一年生。

 起床時間が早まり、初めての電車通学、不慣れな校舎。友達もなくて、同級生たちは、それぞれに違う中学時代の文化や歴史、伝統をまとって、私の周りにいる。

 そういうのを脱ぎ捨て、上書きし、私たちは一から全部体になじませ、身につけていった。新しい世界に徐々に自分自身を溶け込ませていった。

 まだ、完全に融合したとはいえないけれど、でも、もう私は見慣れない世界の住人じゃなくなっている。

 3ヶ月とは、そういう時間だった。


 通学定期を取り出して、自動改札を通りぬけ、いつもの乗換え駅の改札をでる。

 私鉄からJR。もちろん、朝はJRから私鉄。屋根のある連絡通路を私は歩く。

 連絡通路は、帰りのこの時間、比較的空いていて、のんびりと歩いていても誰かにぶつかって押されたりなんかはしない。

 でも、朝はこうはいかない。JRと二つの私鉄の駅があるこのターミナル。それぞれの間を行き交う人間たちの群が押し合いへし合いしながら、この連絡通路に溢れるのだ。そんな人々の間を器用にすり抜けながら、毎朝、私は私鉄の駅へ向かうことになる。

 4月の初めの頃は、はっきりいって、そういうスタントマン的な動きは私にはできなかった。一歩歩くごとに向かいから来る人に肩をぶつけ、後ろから押される。何度も転びそうになり、何度もあきらめそうになった。

 でも、しばらくすると、私は気がついたのだ。連絡通路には、人の流れる決まったコースがあることに。

 JRから私鉄へ。あるいは私鉄からJRへ。私鉄から私鉄へ。

 人々は整然とそのコースに沿って歩き、流れの速さに歩調を合わせながら、目的地にたどり着く。

 私が苦労したのは、そのコースに気がつかずに、反対の方向へ歩いてくる人々の間を通り抜けようとしたから。キチンと、目的地へ向かうコースに乗れば、目的地へたどり着くのは簡単なことだった。


 そのコースの存在に気づけたのは、彼のおかげ。

 あのとき、なかなか前へ進めない私は、連絡通路の隅で、困った顔をして疲れ果て、立ちすくんでいるしかなかった。

 そばを通り抜けるサラリーマンやOLさんたちが、すこし迷惑そうに顔をしかめていくのを見ると悲しい気分になる。

 そんなときだった。突然、私の目の前を別の学校の制服に身を包んだ男子高校生が横切った。その男子生徒は、要領よく人の流れを横切ると、あるところで急に進む方向を変えて、急激に離れていく。あっという間に、私が向かうべき私鉄の改札口までたどり着いてしまった。そう、彼は私鉄の方へ向かう人のコースを見極めて、そのコースに乗っていたのだった。

 改めて、周囲を見回す。信じられなかった。あんなにすぐに目的の改札まで到達してしまえるなんて。そして、私の中に希望の光が見えた気がした。彼の真似をすれば!

 一つ深呼吸してから、彼の歩いた道を頭の中で再現して、それに合わせて歩みを進める。

 本当にあっという間だった。気がついたら、私は目的の私鉄の改札口前にたどり着いていた。

 思わず振り返る。こちらへ向かう人々の無表情な顔の群れ。JRや他の私鉄へ向かう人々の後頭部。

 はっきりと区分けされている。

 なんだ、案外、簡単なことだったんだ。

 そのときは、拍子抜けした気分で、ほっと息をついて、自動改札を通り抜けたのだった。


 今日もあの時見かけた男子生徒の姿を探す。

 あれから何度か見かけたことはあった。でも、声はかけなかった。ただ、心の中で『あの時はありがとうございました』とお礼を言っているだけ。

 いつか本人に直接伝えたい。でも、そんなことできない。

 その男子生徒のことを実は知っている。中学3年のときに、同じクラスだった人。

 班が一緒になったこともないし、隣の席になったこともない。同級生ってだけで、結局、一年間しゃべったこともない人。まったく接点がなかった。顔は覚えているけど、名前は記憶にない。

 そんな人に、私から声をかける。たとえ、お礼だとしても、そんなの、ちょっと私には無理。


 そんなことを考えながら、夕方の連絡通路を歩く。歩いていて思い出した。今日はいつも買っているお気に入りの雑誌の発売日。もう一つの私鉄の改札口の外、連絡通路側に入り口のある書店をのぞいていくことにした。

 目的の雑誌はすぐに見つかった。

 会計を済ませ、書店の紙袋に入れられた雑誌を胸に抱えて、また連絡通路に戻る。

 一瞬、右と左どっちへ向かえばいいか分からなくなって、周囲を見回してしまう。

 すぐに進むべき方向はわかったのだけど、同時に、視界の隅に彼を見つけてしまった。

 改札をあの男子高校生が夏服姿で出てくるところだった。

 そのまま、改札の先で曲がってJRの方へ向かえば、私のすぐ前を通り抜けることになる。

 どうしよう。

 一瞬、焦った。でも、冷静に考えたら、私が焦る必要なんてない。彼は私のことなんか覚えていないだろうし、私に声をかけようなんて思うわけがないのだし。

 でも、あのときの感謝を彼に伝えたい。だけど、そんなことは恥ずかしくてできない。

 迷って迷って、立ちすくんでいる目の前を足早に影が通り過ぎていった。

 ふっと失望のため息。

 でも、これでいいんだ。彼には関係のないことなんだから。

 そう気を取り直して、顔を上げた。


 眼が合った。

 彼が私のすぐ隣に立っていた。

「えっ?」

 びっくりして、彼をまじまじと見つめる。

 彼はすこし赤らんだ困ったような顔をして、私を見つめ返してくる。

 私の頬も熱をおびて・・・・・・

 チャンスだ。今、伝えないと!

「あの・・・・・・」

「ちょっと・・・・・・」

 二人が声を出したのは同時だった。そして、同時に黙り込む。私って、意外と大胆。声をかけてしまった。って、あ、いや、そうじゃないわ。私、彼から声をかけられちゃった。ど、どうしよう。

 わたわた焦りながら、私の中で言葉を探す。そして、思いついたものを口に乗せた。

「あ、あの、どうぞ、そちらから」

 って、それじゃない!

 でも、一度、口にした言葉はひっこめられない。

「あ、ありがとう。じゃ」

 彼は大きく息を吸った。彼の言葉を体を固くしてジッと待つ。

 ど、どうしよう・・・・・・ もしかしたら、もしかしたら・・・・・・

「そこどいてくれないか? 本屋に入りたいのだけど?」

 一瞬、彼がなにを言ったのか分からなかった。そして、マヌケな返事しかできなかった。

「へっ?」


 なんのことはない。周りの人からすれば、私、書店の入り口に立ち止まり、まごまごしていただけ。

 書店に出入りしようとする人たちにとっては迷惑はなはだしい存在。

 すぐに、そのことに気がついて、耳まで真っ赤になる。

「ご、ごめんなさい。き、気がつかなくて・・・・・・」

 彼の顔を見る。特に怒ったような表情はしていない。それですこしホッとする。でも、失敗したな。私のことにかまけていて、周囲に気を配っていなかった。私って、本当バカ!

 でも、そうだけど、今、彼には言っておきたい。あの時はありがとうって伝えたい。

 もう一度、彼を見る。決心を固めて、息を吸って。

 彼はちいさく首をかしげて、ニコリとした。

「だから、そこをどいてもらえないと、俺、本屋に入れないのだけど?」

 そう、私、また自分のことにかまけていて、結局、入り口を塞いだまま。

「あ、あ、ごめんなさい」

 慌てて、その場を二、三歩移動した。これで通れるはず。

「ああ、ううん。ありがとうね、関根まどかさん」

「ご、ごめんなさい。き、気がつかなくて・・・・・・」

 彼は、赤い顔で、そのまま書店の中へ入っていった。

 ああ、折角の声をかけるチャンスを・・・・・・

 ん? なにか、今・・・・・・

 ハッと気がついた。

 ええっ? 今、彼、私のことを?


 いつもの朝の連絡通路。

 今日も人でごった返している。

 7月は朝から太陽が容赦なく照り付けて、屋根とそれをささえる壁に囲まれた連絡通路の中は蒸れて暑い。

 でも、私はその連絡通路の隅で立っている。キョロキョロとせわしなく周囲を見回しながら。

 あの背の高い姿を探して。決意をもって。

 やがて、電車が到着して、JRの改札からその人が出てきた。私の方へ歩いてくる。

 ドキドキ・・・・・・

 瞬きを一度。それから、もう一度。

 そして、私は、一歩を踏み出した。

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