雨の朝
毎年、梅雨も終わりの時期が近づくと、どしゃ降りの雨が降る。
一度降り始めると、それが二日も三日も続き、町全体が水色に煙る。
そして、一昨日の晩から、そんな雨が降り出した。
昨日の朝、いつもの時間、私は家を出て、学校へ向かった。
いつもなら、美羽ちゃんが迎えに来てくれて、一緒に登校するのだけど、今週は大会が近いとかで朝練にでるため先に行っていて、私一人。
すこし寂しい気分でとぼとぼと歩く。
いつものたわいもないおしゃべりがなく、口を閉じたままでいるので、口の中が妙に暖かく湿っている。それが、ちょっと落ち着かなくて・・・・・・
昨日の晩から降り続いている雨は、ガサガサと激しい音を立てて、私の傘を打ち鳴らし、八方の傘の骨の先端から、絶え間なく滝となって地面へおちていく。
その滝の水に靴先を突っ込んだりしないように警戒しながら、少し慎重に歩いていく。
家の前の通りを進んで、住宅街の入り口の角を曲がり、バイパス沿いの歩道へ出る。
私から見える範囲にも、私と同じ制服を着た少年たちや少女たちが歩いている。みんな二人連れだったり、三人連れだったり・・・・・・
もちろん、駅は反対の方向だから、スーツを着たおじさんや近隣の高校の制服を来た人たちもどんどんすれ違っていく。
この道をたくさんの人が行き来し、傘を差しながら歩く。
それぞれに違う方向へ向かって、友達と並んで。
でも、私は一人。
雨の中を一人で学校へ向かう。
バイパス沿いの歩道を歩く。
このバイパスは、県を南北に貫く大動脈の国道の渋滞緩和のためにできた道路。
このバイパスがまだない時代、駅の反対側を走る国道は、ラッシュ時になると何キロもの渋滞が発生していた。
物流の大動脈である国道のバイパスのせいか、この道は毎日たくさんのトラックが通る。そして、トラックがたくさん通る道には深い轍ができる。
もちろん、このバイパスにも、歩道からでもはっきりとわかるような轍ができている。
そんな轍の中をスピードを出して車が走りぬけ、私を追い越していく。
雨に煙る町の中を猛スピードで走り抜けていく車。
なにをそんなに急いでいるのか?
どこへ向かおうとしているのか?
私には、わからないし、興味もない。
ただ、私は傘から零れ落ちた滴で足をぬらさないように、無心に一歩一歩足を出し続けるだけ。
不意に、腕が何かに引っかかった。
ううん、違う、だれかが私の腕をつかんで押さえた。
「え!?」
振り返る。
どこかの高校の制服を着た少年が、私の腕とっていた。
知らない人。
「・・・・・・なんですか?」
唇が張り付いてみたいで、なかなか開かなかったけど、なんとか言葉が出た。
足がすくむ。怖い!
その高校生は、おびえる私に、害意はないと示すようにニコリと微笑みかけてきた。
「今は、まだ行かない方がいいよ」
「・・・・・・え?」
「ほら、道路、轍に水がたまっているでしょ? 車が通ると跳ねて、びしょぬれになっちゃうよ」
笑いながら、バイパス道路の轍を指し示す。
確かに道路の上、大きな水溜りが出来ている。
と、私たちの目の前をトラックがすごい勢いで走っていく。
バシャー!!
バケツをひっくり返したような大量の水が歩道へ向かって飛んでいった。
もし、あのまま歩いていたなら・・・・・・
「いつもここ、大きな水溜りができるからさ。車が来てるときは気をつけないと」
な、なるほど・・・・・・
「さっきも、君、車来てるのに、全然気がついてないみたいだったからさ」
理解した。途端に、恥ずかしくなる。
そういえば、数日前に雨が降ったとき、近所に住む野島くんが、ずぶ濡れになって学校へ来たっけ。
「もうすぐ、向こうの交差点、赤信号になって車がしばらく来ないから、その隙にここを通り抜けるといいよ」
「は、はい・・・・・・」
見ている間に、交差点の信号が黄色に変わった。
交差点に差し掛かる車が一斉に減速し、止まる準備に入る。一方、信号が変わる前に交差点を通過した車は、どんどん私たちを追い越し、盛んに水を跳ね上げて、通り抜けて行く。
やがて、信号が赤になった。
「OK。じゃ、行ってもいいよ。気をつけてね」
そう言って、その高校生は、ずっと取っていた私の腕を放して、背を向けて駅の方向へ去っていった。
無事に学校に着く。
結局、ソックスとか、すこし濡れた部分があるけど、そんなにひどくぐしょぐしょになったりはしなかった。
傘からおちる滴、大きな雨粒。今日のどしゃ降りを考えたら、この程度の被害ですんだのは、幸いな方の部類だった。
同級生の中には、もっとひどくぬれてしまい、置いてあった友人の体操服に着替えている子だって何人かいる。
たぶん、これは、あの時、私を止めてくれた高校生のおかげ。
と思った途端、私、大事なことを忘れていたことに気がついた。
お礼の言葉をあの人に伝えてない。『ありがとう』って言ってない!
ど、どうしよう・・・・・・
今朝もどしゃ降りの雨。
傘を打つ雨粒の音はロックバンドのドラムのように激しい。
今日も美羽ちゃんは朝練で私一人の登校。
濡れないように足元に気をつけながら、歩いていく私。
住宅街の入り口の角を曲がるときに、立ち止まり、大きく深呼吸する。
今日も、あの人が来るのかしら?
あの優しい笑顔で、『まだ行っちゃダメだよ』と言ってくれるのかしら?
もし、会えたら、今度こそ、私、ちゃんとお礼を言わなくちゃ。
もし、今日も会えたら・・・・・・
そして、私は足を踏み出した。