豆ご飯
今日、借りている市民農園でえんどう豆を収穫してきた。
今晩は、豆ご飯にしようかしら。
夕方、キッチンの椅子に腰掛け、目の前に豆を入れるボウルとサヤ殻をいれるビニール袋を準備して、えんどう豆のサヤをむいていく。
サヤの端のほうを押しつぶし、うまいぐあいに力をかけると、サヤがパクリと口を開け、中に行儀よく並んだ、ぷっくらと大粒の豆たちが顔を出す。
一つのサヤの中に仲良く収まった幸せそうな豆たち。みずみずしく、緑色につやめく。
でも、開いた口の中を人差し指の腹でふわりとなでると、豆たちは、すぐにコロコロと外へ転がりだす。まるで人間の家庭みたいだ。外の人からは幸せそうに見えていても、案外ちょっとしたことで家族なんてバラバラになり、家庭なんて崩壊する。
あの人は、日曜日だというのに、今日もゴルフ。
子供たちは、とっくに独立し、家では私とあの人だけ。
今さら、ひがな一日、顔を突き合わせているっていうのも考え物だけど、でも、あの人は結婚した頃から、ずっとこんな調子だった。
人生の大半は仕事・仕事・仕事。特に趣味もなく、家事はすべて私任せ、子供たちが小さなときには、一緒にお風呂すら入らなかった。
そして、休日は決まってゴルフ。
接待ゴルフはつまらないとかなんとか言っていても、前の晩には遠足がうれしくてしょうがない小学生のように、なかなか眠れないみたい。
おかげで子供たちは、休みの日に遊園地や動物園など、どこにも連れて行ってもらえなくて、ずい分拗ねていたっけ。
つい小さい頃の子供たちのふくれっつらを思い出して、クスリと小さな笑い声をもらしてしまう。
それから、サヤを一つつまんで、またボウルに豆を転がり落とす。
そういえば、来月には中学の同窓会がある。
サッちゃん元気にしてるかしら? 持病の腰痛はいくらかよくなったのかしら?
陽子ちゃんは、去年、旦那さんと離婚して今は一人暮らしを満喫しているみたいだけど、新しい恋の一つや二つ見つかったのかしら?
美穂子は、寝たきりのお姑さんの介護しなきゃいけないけど、今度の同窓会これるのかしら?
また、豆のサヤを開き、中の豆に指の腹を押し付ける。
それから、近藤君、元気にしているのかしら? 近藤君のお父さんは、頭の毛が薄かったけど、近藤君の方はどうなのかしら?
もし、お父さんの血をつよく受け継いでいるのだとしたら、私、ショックだろうなぁ~
あの私の初恋の相手だった素敵な近藤君が、その、ツルッパ・・・・・・
クスッ
力をこめたわけでもないのに、すこし触っただけで、豆はサヤから零れ落ちた。
中くらいのボウル一杯に、豆がたまったので、予め洗っておき、十分な時間水に浸しておいた米に混ぜ込む。
それから、塩を入れ、酒を注いで、炊飯器のスイッチをオンにする。程なく、炊飯器の蓋から蒸気が立ち上り、お酒の匂いが漂ってくる。
と、家の前でエンジンの音が聞こえ、チャイムが鳴った。
「いやー、疲れた・・・・・・」
あの人だ。
「お帰りなさい」
「ああ」
ただいまも言わずに、肩に掛けたゴルフバックを書斎に運び込み、そのまま書斎にこもった。たぶん、これからクラブの手入れをするのだろう。こういうことにのみマメな人。
豆ご飯が炊き上がる前に、台所で、余った豆を使ったおかずをこしらえ、味噌汁を準備する。
やがて、炊飯器からブザーが鳴った。豆ご飯が炊き上がったのだ。
「晩ご飯よ」
私が呼ぶ声に、ロクに返事もせず、あの人は書斎からでてきた。そして、いつもの席につく。
すかさず豆ご飯を茶碗によそおい、おかずと味噌汁を並べる。
私はというと、あの人の向かいの席につく。
「いただきます」
「・・・・・・」
あの人は、手を合わせるでもなく、代わりにテレビのリモコンをとり、画面をつけた。
そのまま、無言で箸をとり、食べ始める。
いつものように、静かな晩ご飯がはじまった。特に会話もなく、聞こえる声は、アナウンサーが読み上げる今日のニュースのみ。3軒向こうの家から、子供が練習しているのか、ピアノの音階を上がったり下がったりを繰り返す音が聞こえてきた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無言で時間が流れ、テーブルの上の料理が減っていく。
もし、あの時、私が近藤君に告白していたらどうなっていたのかしら?
頭が寂しくなっても、浅黒く男らしいキリッとした顔立ちの近藤君が私の前に座り、私が作った料理を食べていたのかしら?
もくもくと無言で?
ううん! たぶん、あの低い声で『うまいなぁ』ってつぶやきながら、噛みしめるように。
なんて、そんなことあるはずもないわね。陽子ちゃんの元旦那さんも、この人と同じようなものだったみたいだし。私の死んだ父も、実家の兄も、みんなこんな感じだった。
男って、きっと、みんな家の中では無愛想で、『めし』『風呂』『寝る』としか言わないつまらない存在なんだわ。
すこしため息をこぼす。
二人きりの食事が終わり、お茶をいれて、ぼうっとテレビを眺めていた。
ニュースの時間は終わり、どこが面白いのか、つまらない話題で大げさに芸人さんたちが盛り上がっているバラエティー番組になっている。
あの人も、私の前でお茶をすすっている。
すっかり年をとったわね。目尻にシワが目立つし、髪の毛も灰色になっちゃってるし、生え際も大分後退した。
体型も、ずい分お腹が出っ張ってきて、妊婦だといっても通用しそう。
ただ、毎週のようにゴルフに行っているせいか、健康的に真っ黒に日焼けしてはいる。
って、きっとあっちも、私を見て、ずい分、年をとったなと思っているのかもね。
それとも、私のことなど空気みたいなもので、もう興味すらないのかしら?
一瞬、脳裏に中学生の近藤君が白い歯を見せて笑う顔が思い浮かんだ。
サヤの中で仲よさそうに並んだ豆たちは、指の腹のちょっとした刺激で、簡単にサヤから零れ落ちる・・・・・・
お茶を飲み終え、湯飲み二つを片付けていると、
「なぁ?」
珍しく、あの人から声がかかってきた。
「はい?」
怪訝に思いつつ振り向いた。
「なぁ? さっきの豆ご飯、お義兄さんから届いたヤツ?」
「え? ううん、市民農園のうちの畑のよ」
「そっか。・・・・・・うまかった」
ポツリとつぶやいて、新聞を広げた。どこか照れたように。
一瞬、湯飲みを洗う手が止まった。
でも、すぐにまたシンクの中で手が動く。どこか踊るように、楽しげに。もう、頭の中では、サヤからこぼれる豆の姿は思い浮かばなかった。