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悩み

 我が家の飼い猫『まかろん』は、今日も女王様だ。

 今日の大学の講義は午後からだからと、ゆっくり寝ている俺の枕元に朝早くからやってきて、ネコパンチを食らわしてくれる。

 不意打ちの衝撃に驚いて眼を覚ますと、『ニャゴー!』大声で鳴く。

 いつものように『さっさと起きて、自分の毛皮をブラッシングしろ!』という要求だ。

 だが、それをそのまま無視して眠っていたりなんかすると、今度は爪が伸びてきて、鼻の頭をガシガシ・・・・・・

 我が家のまかろんは、横暴女王様。


 まかろんの鉄拳制裁におびえ、眠い目をこすりながら布団の中からごそごそとおきだし、今朝もまかろんにブラッシングをしてやる。

 全身をやわらかいブラシの歯で梳かれ、最初のうちこそ、気持ちよさそうに眼を細め、のどをゴロゴロ鳴らしながら、俺の前で身もだえしているのだが、ある一瞬を境にコロッと態度が変わる。

 優しく、ときに力をこめて、全身をブラッシングしてやっていると、急に首を持ち上げ、ブラシを持つ俺の手をみつめる。まるで、水辺に水を飲みに来たヌーの隙をうかがう水中のワニのように。

 そして、次の瞬間には一気に喰らいつく。

 ガブリと咬みつき、歯を立てる。食い破るというほどの力はこもっていないようなので、まかろんとしては、甘えているつもりなのだろうが、いかんせん被害者の俺としては、ギャッと悲鳴を上げてしまうほどに痛いものだ。なにしろ、ヤツの口の中には、先のとがった牙などというものが生えているのだから。

 まして、俺の手が逃げ出さないように爪全開の手を添えて押さえにかかってきたりなどした日には・・・・・・


 傷つき、うっすらと血のにじんだ部分の手当てを終え、俺は今日も大学へ向かった。

 今日はゼミだけ。

 普通の講義とは違って、少人数の大学生と教授がテーマに沿って議論しながら進行していく授業。

 大教室で行われる昼寝をしていても問題のない講義とは違って、頭を意外と使い、かなり大変だ。

 毎回、ゼミが終わる頃には、どっと疲れが出る。

 たった2時間、椅子に座り続けているだけだというのに・・・・・・

 今日も、ゼミが終わり、俺は椅子の上でぐったりしていた。

「あ、久保田くん、このあとも講義?」

「いや、もう帰る」

 同じサークルの内村さん。たしか、俺と違って、ゼミの後も、なにか受講していたはずだ。スタミナのある真面目な女子大生。しかし、この細身の体のどこに、ゼミの後に講義を受けるような持久力が眠っているのだろうか?

 不思議だ・・・・・・!!

「そ、今日は部室とか、顔出さない?」

「うん、今日は行かない。疲れた」

 俺は机に向かって、バンザイする格好で上半身を投げ出した。

「そう、部室によるのだったら、もっていっておいてほしい荷物があったのだけど・・・・・・ ま、いいわ」

「ああ、悪い」

「ううん、いいの」

 内村さん、俺の隣で可愛く笑って、首を振った。その笑顔を見ていると、なんだか申し訳ないような気分になるもので・・・・・・

 でも、部室、俺の帰る方向とは正反対にあるんだよなぁ~

 可愛く可憐な内村さんのためにも、荷物を持っていってあげたいって気もするけど、わざわざ反対方向へかなりの距離を歩いて行って同じ道のりを戻ってこなくちゃいけないなんて、今の疲れきった俺に死ねと言うようなもの。

 う~ん・・・・・・

 散々、俺は逡巡していたのだが、ふっと見ると、横で内村さんが動きを止めていた。なんか、信じられないものでも発見したのか、驚いたような表情で俺の手首を見ている。

「ね? 久保田くん、なにか今悩みとか抱えてる?」

「え?」

 なぜか心配そうな表情で、俺のことを見たし。

「私でよければ、悩み、相談に乗ってあげるよ」

「え、ええーっと・・・・・・?」

 急になんなのだろうか?

「大丈夫、私、口が堅い方だし、悩みとかあるのだったら、一人で抱え込むより、人に話した方が、何倍も気持ちが楽になるよ」

「ええーと? ええーと?」

「ね? 話してみない? 私、聞いてあげるよ?」

 真剣な表情で、ぐんぐん迫ってくる内村さん。でも、そもそも俺には今悩みなんてないのだけど・・・・・・

 う、う~ん・・・・・・?


 その後も、しつこく悩みを打ち明けてと迫ってくる内村さんをなんとかなだめすかして、俺は帰宅することができた。

 一体、突然なんなのだろうか?

 ともかく、帰宅した俺にさっそく我が家の横暴女王様が、遊びにつきあうように命令する。

 ネズミのオモチャを投げたり、猫じゃらしをこちょこちょと動かしたり。

 最初のうちは、楽しげに遊びまわっているのだが、やがて、飽きるのかして、ドテッと横になって、腕だけ動かして、お義理程度にじゃれるようになる。

 だから、もういいのかと思って、オモチャを放り出したりなんかすると、すかさず『ニャゴー! ニャゴー!』 俺が再びオモチャを取り上げ、まかろんの相手をするまで鳴き喚いてくれるのだ。

 ったく! 本当に横暴な女王様だ!


 そんな風にしてまかろんの相手をしていて、

――ピンポーン♪

 玄関のチャイムが鳴った。

 今日は母さんもだれもいないので、俺が玄関に出る。

「こんにちは。こちらは久保田くんのおうちですか? 私、久保田くんと同じ大学に通っている内村優希っていいます」

 俺の顔も確かめずに、ドアの前でペコリと頭を下げている女が一人。

「えっと・・・・・・ 内村さん?」

「え? 久保田くん」

「どうしたの? うちまで訪ねてきて?」

「あ、あの。なんだか、あれから心配になってきちゃって。我慢できなくて、来ちゃった」

 ペロッと舌をだしている姿はかわいいのだけど・・・・・・?

「え、えーと・・・・・・ とりあえず、上がる?」

「え、ええ・・・・・・」

「今、うちに家族とかいないけどいい?」

「うん、お、お邪魔します」


 俺は内村さんを案内して、俺の部屋に招いた。

 良かった。こないだの日曜日、偶然、思い立って掃除したばかりで。

「散かってるけど、どこか適当にくつろいでて」

「え、ええ・・・・・・」

 内村さん、床に転がっているクッションの一つに、カバンを脇に置いて座った。

「コーヒーでいいよね?」

「あ、はい」

 俺は、内村さんを部屋に一人にして、台所へ向かった。


 インスタントのコーヒーをいれ、部屋に戻る。

 内村さんはさっき座った場所にいる。部屋のベッドの上には、まかろんが寝転がっている。不意の来客にも動じない肝の据わった猫。まさに女王様。

「はい、どうぞ」

 俺はコーヒーカップを内村さんに手渡し、内村さんの前にドカリと座った。

「いただきます」

 内村さんはコーヒーをブラックで一口すすった。そして、口火を切ってきた。

「久保田くん、悩んでいるのだったら、一人で抱え込まないで、私に話して」

「え、ええーと、でも、俺、今、なにも悩んでないのだけど・・・・・・」

「うそよ! だって、ホラ!」

 そう言いながら、俺の左手を取ってくる。

 そういえば、俺の部屋に同じ年頃の女性を入れるのって初めてのような。その上、その女性に手までつかまれて・・・・・・

――ドキドキッ!!!

 鼓動が早まり、顔が上気してくる。

「ね? 話してみて、ね?」

 可愛い仕草で、俺の顔を覗き込んできてくれるし・・・・・・

 思わず口ごもって、視線をそらしてしまって、それが内村さん的には、なにか悩み事を抱えているような様子に見えるみたいで。

「大丈夫よ。大丈夫。全部話せば、きっと気が楽になるから、ね?」

 う、う~ん・・・・・・


「本当に、俺、今、悩みなんてないんだ。もしあれば、絶対、君に話しているよ。本当に」

「ウソ! 隠さないで。お願い、ね?」

 う~ん・・・・・・

 今、内村さんに迫られているのが、悩みといえるぐらいで、いや、違うか、悩ましいってことか。頭の中で妄想が暴走状態。

「本当、本当に、悩みなんてないよ」

「ウソよ! だって、だって、ホラ、これ!」

 そういって、とっている俺の左手の手首の内側を指差した。

「これ、ためらいキズだよね? 包丁で手首を切ろうとして、うまく切れなくて、何度も何度も傷つけちゃうってキズだよね? ね? だから、悩みを、ね? 私、久保田くんのこと助けたいの。久保田くんに自殺なんてして欲しくないの。だから、ね?」

「・・・・・・」

 なるほど、原因がわかった。

「ち、ちがう」

「え?」

「違う。それ、自殺しようとしたキズじゃなくて・・・・・・」

 俺は、ちらりとベッドの上を見た。

「猫に引っかかれたんだ」

「え?」

「ホラ、そこのまかろん。手首以外にも、右手の甲とか、すねとか、体中あちこちキズだらけだよ」

「・・・・・・」

 俺は、まかろんに引っかかれたいくつものキズを内村さんに見せた。内村さん、呆然として、それらのキズを見ているだけだった。


「ご、ごめんなさい! わ、私、はやとちりしちゃって」

「いいよ、いいよ。大丈夫。心配ないよ」

「ワッ、ワッ、どうしよう。勘違いした上に、久保田くんの家にまで押しかけちゃって」

 内村さんに、耳まで赤くなりながら、身もだえしている。なんか、かわいい~♪

「大丈夫。大丈夫だよ。ううん、むしろ、俺、うれしかった。内村さんにそんな風に心配してもらえるなんて、思っても見なかった」

「そ、そんな。私、ヘンなヤツだよね。すごく恥ずかしい~~!!」

「ううん、大丈夫だよ。内村さんて、すごく素敵でかわいいよ。うん、本当だよ」

「ううん、そんなことない。私って、私って・・・・・・」

 耳まで真っ赤になっている内村さん、突然、脇のカバンをつかんで、逃げるように・・・・・・

 でも・・・・・・

 俺の目の前を茶色の影が横切り、立ち上がりかけた内村さんの膝の上へ。

 まかろんだった。

 ナイス、女王様!


 結局、まかろんが膝の上に乗ったせいで帰りそびれた内村さん、そのまま夕方まで俺の部屋にい続けることになった。

 その間に母と妹が帰ってきて、『兄貴が女の人連れ込んでる!』って騒いでいた。

 でも、内村さんにお菓子を持ってきたときに、『ふつつかな息子ですが、啓一のことよろしくね』ってどういう意味だ?

『これからも末永く付き合ってあげてね?』って・・・・・・

 そして、内村さん、それら全部に恥ずかしげに『はい』って返事してくれていたけど、本気にしていいのだろうか?

 う~ん・・・・・・ナゾだ!

 今晩、俺は、そのナゾに悩んでしまって、一睡もできないかもしれない。

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