入園式
俺は、今日、近所の幼稚園の入園式にやってきた。
予定より少し早めにやってきて、園庭の隅にある桜の木を見上げる。
俺がこの幼稚園に通っていた頃よりも、ずい分大きくなっているはずだが、実際に俺の目に映るそれは、小さくか細い感じがした。それだけ、俺の体が大きくなったということだろう。
とはいえ、この満開の桜の美しさは、子供の頃と同じように、相変わらず俺を魅了する。
俺がここを卒園して、もう20年以上の時間が経った。
あのときに、一緒にここを巣立った仲間たちの中で、いまでも連絡を取り合っているヤツは、豊一人だけ。他のみんなは元気だろうか?
最後の日に、手をつなぎ、並んで綻びかけのつぼみを見上げていた女の子はどうしているのだろうか?
いまは、もう名前も思い出せない女の子。
きっと結婚して、子供がいるのかもしれない。
もしかすれば、今日、入園式を迎える幼児たちの母親の一人として、この場所に来るのかもしれない。
もし、本当にそうなったら、俺はどんな顔をすればいいのだろうか?
いや、俺ですら名前も顔も忘れてしまっているのだ、相手だってそうだろう。
そんな当たり前のことに気がついて、愕然とする。
ああ・・・・・・
「サッちゃん」
俺は、その子について、唯一覚えている愛称をそっとつぶやいた。
俺が桜の近くを離れ、玄関付近に戻ってくると、ゾクゾクと真新しい制服に身を包んだ幼児たちの手を引き、親たちが集まってきていた。本来、主役のハズの幼児たちよりも着飾った母親たち、みんな一様にビデオカメラ片手に、自分たちの子供の晴れ姿を撮影している父親たち。
ざわざわとした雰囲気であふれかえっている。
「あ、宮本さん、おはようございます」
かたわらから不意に声をかけられた。
今日はキチンとスーツを着て化粧をバッチリ施した顔見知りの保母さん。普段の動きやすいトレーナーのパンツと白のポロシャツという姿からは想像もできないほど、今日は輝いて見える。
「あ、おはようございます。なんか、今日は素敵ですね。スーツ姿似合ってますよ」
「え? ふふふ、ありがとうございます」
「あ、違った。『今日”も”素敵ですね』ですよね」
「まあ、お口がお上手ですこと ホホホ」
満更でもない様子で、上機嫌に微笑む。
「そういえば、宮本さんもここの卒園生でいらっしゃるんですよね?」
「ええ、そうです。もう20年以上昔のことになりますが」
「今年、入園されてこられるお子さんの親御さんたちのなかにも、何人か卒園生の方がおられるんですよ」
「ええ、みたいですね」
「もしかしたら、宮本さんと同じ年に卒園された方もいらっしゃるかも知れませんね?」
「ははは、実は、一人、魚正のところがね」
「まあ!?」
「ハハハ」
「ふふふ」
俺たちが並んでおしゃべりし合っている間に、親たち子供たち、どんどん奥の遊戯室へ移動していく。
「さて、それじゃ、そろそろ遊戯室の方へいってます」
「はい、では」
「では」
軽く会釈して分かれた。
遊戯室に入ると、すでに親と子供たちで七分がた埋まっている。
俺は隅に自分の席を確保すると、どかりと座りこむ。
子供たちは、臨時に設けられた演壇に近い方の席が与えられ、自分たちの席で、必死にお行儀よく黙って座っているというのに、後方の親たちの席では、知り合い同士、ぺちゃくちゃおしゃべりしあい非常ににぎやかだった。
しかも、何人かの親たちは、自分の席から勝手に立ち歩き、あちこちで写真やビデオを撮りまくっている。
これではどちらが幼稚園児で、どちらが大人なのか・・・・・・
と、そんな大人たちの一人が俺に気がついた。
「よ、明典、ひさしぶり」
「ああ、豊か。みのりちゃん入園だな、おめでとう」
「ありがとうよ」
満面の笑みで俺を見ている。
一人娘の晴れ舞台。よっぽどうれしいのだろう。
「ほら、前から二列目で右から六人目にツインテールの頭見えるだろう? この中で、断然、可愛いんだよ。ホント」
ったく! この親バカは!
この調子で、大きくなって、どこの娘もそうであるように父親を嫌う年頃になったら、豊のヤツどうなるのだろうか?
それに、さらに大きくなり、ある日、突然、彼氏を連れてきて、結婚するって宣言したら?
今から、心配になる。
はぁ~
自慢の娘の方をうっとりと眺めている、無邪気な横顔を見ながら、俺はため息をついた。
と、
「あ、そうだ。さっきサチコいるの見かけたよ」
不意に豊が振り向いて、俺に告げる。
「サチコ?」
不審げな俺。自慢じゃないが、俺の知っている中でサチコなんて名前の女、十人はくだらないだろう。
そんな俺の様子を見て、さらに詳しい情報を教えてくれる。
「ほら、幼稚園のとき、お前といつも一緒にいた子、三田佐知子おぼえてる?」
「いや、全然」
そうか、あの桜の子はそういう名前か。
「そっか、うちの店の常連さんだからさ、ときどき話したりするんだ」
豊は家業の魚屋を継いでいる。
「ほら、あそこの窓の近くに女二人座っているだろ?」
「ああ」
「あの少し太い方」
「・・・・・・」
「なんだよ、その沈黙は?」
「い、いや・・・・・・ ずい分、変わったなと思って」
「ははは、会うのは幼稚園以来だろ?」
「ああ」
俺は小さくため息をついた。
俺たちがサチコのことをジロジロ見ていると、相手も気がついたみたいで、こちらに歩いてくる。
「こんにちは、魚正さん、おひさしぶり」
「おっ、ひさしぶり」
サチコ、俺の方を見て、けげんそうにする。
「こいつ、明典。宮本明典な。お前ら、ここにいたとき、しょっちゅう一緒にいただろ?」
途端に、サチコが目をまん丸にする。
「アキちゃん?」
そんな風に呼ばれたのは、二十年以上昔の話、照れて、苦笑するしかない。
「やぁ、サッちゃん、久しぶり」
相手も、ちょっと照れたような微妙な表情を浮かべた。
「ここに来るの卒園以来だわ。なつかしいわ。元気にしてた?」
「ああ、そっちは?」
「うん、ほら」
自分のお腹まわりを見せる。納得。
「アキちゃんのお子さんってどの子?」
「ん? 俺? 俺まだ独身」
「え?」
「今日、うちの写真館で記念写真頼まれててさ」
「ああ、それで・・・・・・」
なぜか、すこしうれしそうだ。
「そっちは?」
「私も、まだ」
「ん?」
「今日は姪っ子が入園することになったの。ほら、あの黄色いリボンの子いるでしょ?」
そう言って、前の子供の一人を指差した。
その子供、急に振り返って、サチコに向かって手を振る。
「なんとなく、昔のサッちゃんに似ているな」
「ふふふ、そう?」
「ああ、結構かわいいじゃないか。リボンもよく似合っているし」
「ふふふ、アキちゃんがそう言ってたってお姉ちゃんに伝えておくね。きっと喜ぶわ」
「ああ」
そうして、俺たちは分かれた。
式が始まり、その間中、あちこちの角度から盛んに写真を撮る。
できるだけ、すべての子供がどれかのシーンには写っているように配慮して写真を撮らなければいけない。そこが、俺たちプロの腕の見せ所。
やがて、式が終わり、俺も仕事の成果にそれなりの満足を覚える。
最後に園庭へ移動して、あの桜の木の下で、毎年恒例の子供たち全員の集合写真を撮る。
ほとんどの子供たちにとっては、初めてのチーム作業。毎年、この写真だけは撮影に時間がかかる。
それでも、なんとか昼前には写真をすべての撮り終えた。
「おつかれ」
「おつかれ。みのりちゃん、今日から幼稚園だね、おめでとう」
「うん、明典おじちゃん、ありがとう」
豊とその嫁さんの間でペコリと頭を下げる様子が、可愛くて、手に持ったカメラでパチリと写真を撮った。
「じゃ、またな」
「ああ、また」
そうして、豊たちは引き上げていった。
不意に横合いからの視線を感じて振り向く。
サチコが立っていた。
「やぁ」
「ねぇ? この桜の下でのこと覚えてる?」
「え?」
「ほら、最後の日・・・・・・」
なんだろうか? なにか俺、サチコと約束しただろうか?
考え込んだ俺を見て、すこし残念そうな表情を浮かべた。
途端に不安になる。
「な、なに? 俺、なにか約束した? ・・・・・・も、もしかして、結婚の約束とか?」
サチコ、プッとふきだした。
「ハハハ、まさか、冗談よ。アキちゃんとは、なにも約束してないわよ」
「な、なんだよ」
「ふふふ、やーい、かつがれてやんの」
いたずらっぽい目をして、楽しげに俺の肩に触れる。その何気ない仕草に、一瞬、お互いハッとする。
「なあ、そこに立てよ」
「え?」
「桜の下」
サチコ、言われるまま桜の下へ移動した。
そのまわりを桜の花びらが舞い落ち、ピンク色の木漏れ日が白い貌を染める。
不意に風が舞った。
桜の花びらと一緒にサチコの長い髪をももてあそび、吹き抜けていく。サチコは、その白い長い指で髪をおさえた。
「ねぇ? 私も、入園するの?」
「ああ、たぶんな」
「ふーん」
そうして、俺はシャッターを切る。たぶん、一生手元に残る写真を撮るために。
サチコの心からの笑顔の写真を。