ギブ・ミー・ユア・チョコレート
今井先輩怒るだろうな。
めがね越しの目の端をきっと吊り上げて、すごい形相でボクをにらみつける先輩の顔を思い浮かべた。
すごく、すまない、もうしわけないとは思うけど、今日は部室へ行くような気分じゃない。
今のままでは、トランペットをなにごともなかったような顔して、吹けるはずなんてない!
まして、トロンボーンの三上と顔を合わすなんて・・・・・・ 絶対にできない!
アイツの幸せそうな顔なんか見たくない!
だから、吹奏楽部の練習はさぼって、無断で帰宅することにした。
今日は一日、教室の生徒たち、すごくソワソワしていた。
男子たちは、だれかが自分にチョコレートをくれるかもしれないと期待していたし、女子たちはみんな、だれかにあげる機会をうかがっていた。
もちろん、ボクももらう気満々でいたのだけど、結局どの女子からも声がかかることもなかった。
それはそれでいい。
別に、もらった数を自慢したいわけでも、見せびらかしたいわけでもないのだし。
ボクが本当にほしいのは、ただひとつだけ。
なのに・・・・・・
なんで、三上なんかに?
三上がずっと好きだったのは岡本さん。別の女子が好きな三上にチョコをあげても、仕方ないって分かっているだろうに。
それでも結局、ボクは、三上と彼女が連れ立って教室から出て行くのを、見ているしかなかった。
地面が崩れ落ちたような気分だった。
グラウンド横を裏門へトボトボと歩いていく。
裏門の方がボクの家に近い。
ボクの気分のように、足がおもい。
無性にかなしい。
と、ポケットの中で、ケータイがブルブル震え始めた。
電話。
立ち止まり、ポケットから取り出して、出ると。
「島、どこ行く? 今日も練習あるぞ!」
今、一番聞きたくない声だった。
一瞬、そのまま返事をしないで切ってしまおうかとも考えた。でも、そこまでみっともなく行動するのも・・・・・・
「ああ、岳か。ちょっと体調悪いから。今井先輩によろしく言っといて」
「お? 島、風邪か?」
「たぶん」
「そっか、お大事にな」
「ああ」
電話が切れた。
すこし、ホッとした。とりあえず、今日はもう、今井先輩にズル休みしたと、文句をいわれることもないだろう。三上がキチンと取り次いでくれさえすれば。
再び、歩き出そうとした途端、また、ケータイがブルブル・・・・・・
やっぱり、三上からだった。
「よお! 悪いけど、そこから、校舎まで戻ってこれないか?」
「え?」
キョロキョロ見回した。三上が『そこから』ということは、どこかから、見られているはず。でも、三上の姿は見えなかった。
「おい? なにキョロキョロしてんだよ?」
「ああ、岳がどこから見てるのかなって思って」
「ふふふ、さあ、どこでしょう? とにかく、ちょっと戻って来いよ」
「なんだよ? なにか用か?」
「ああ、ちょっとな。ふふふ」
なにかたくらんでる。
えい、ままよ! という気分で、ボクは校舎の方へ戻っていった。
「で、岳どこにいる?」
「ああ、ちょっと屋上見上げてみな」
え? 顔を上げた。
屋上のフェンス越しに、二人して電話をしているカップルの影。
一人は三上。
もう一人は・・・・・・
ポニーテール? 彼女じゃない。ポニテといえば・・・・・・
岡本さん!?
電話から、三上の楽しそうな声が。
「ほら、島、電話しまって横向いてみな」
ボクの左に、いつのまにか電話を片手にした彼女が立っていた。
「岳、よろこんでた?」
「え? なんのこと?」
ボクと目を合わせずに、長い髪を耳にかきあげていた彼女、不思議そう小首をかしげた。形のいい耳。やわらく、あたたかそうな頬。その頬に影を作って、流れ落ちる髪。
すごく綺麗。でも、彼女はさっき三上に・・・・・・
「あいつにチョコあげたんでしょ?」
一瞬、ぽかんとした表情を浮かべたが、見る間に、彼女の顔から、血の気が引いて、白くなっていく。
「三上のことが好きなんでしょ?」
「・・・・・・」
表情のない顔で、彼女、ボクを見ている。
ボクは何の言葉も思いつかなかった。
相当な時間、二人で見つめあったまま、黙って立っていただけ。いや、もしかしたら、ボクがそう感じていただけで、本当はすごく短い時間だったのか?
「ち、違う!」
彼女が思いがけないほどの激しさで首を振った。
「三上くんに、チョコあげてない! わたし、わたし・・・・・・」
目の端にうっすらと涙が。
長い髪がたなびいいていく残像だけが、ボクの目に焼きついた。
気がつくと、ボクの腕には、綺麗にラッピングされた紙袋が抱えさせられていた。
ケータイがまた震えた。
意識せず機械的に耳に当てる。
「島、おめでとう、よかったな!」
やけに、うれしそうな声だった。