フィンランド語のすすめ
冬休みに入り、私たちは駅前の予備校の冬期講習に参加していた。
午前中の講義が終わり、外へ出て、近くのマクドナルドでお昼。私たちは、それぞれのトレイを持ち寄って、二階のテーブル席に座った。
「ふう~ さっきの授業の講師、熱苦しかったねぇ~」
「うん。分かる。分かる」
「私も」
「こう、汗とかツバとか飛び散らしてさ。前の席の子、かわいそうだったよ」
「あ、そうそう、教壇の前の男の子でしょ?」
「うん、眼鏡かけてた」
「うんうん」
なんて、3人であれこれおしゃべりしながら、ハンバーガーにかじりつく。
「ねぇ? 理紗、学校の文理選択、結局、どっちにすることにした?」
「え? ああ、私、文系。綾は?」
「私は、理系」
「そっか、綾って、結構、数学とか得意だもんね。じゃ、来年からクラス別々だね」
「だねぇ。南ちゃんは?」
「私は・・・・・・」
二人とも、テーブルを挟んで、私の口元を期待をこめて見つめている。
私の返事しだいで、来年のクラス分けでどちらかが一人だけ別クラスになることが確定してしまうわけだし。でも、だからといって、同じ選択をしたとしても、文系理系それぞれ何クラスもあるから、同じクラスになるとはかぎらないのだけど。
私は、二人をじらすように、ハンバーガーにかじりつく。
もぐもぐと咀嚼しながら、ふたりの様子を見ていた。綾はドリンク片手にストローの端をくわえたまま、私の答えを待ち、理紗はポテトを口の中に放り込んでいる。
ごくんと口の中のものを飲み込み、息を一つ吸った。それから、一気に、
「私、文系」
途端に理紗の眼がうれしそうに輝き、綾が残念そうな表情を浮かべながらドリンクを吸う。
「本当は私、お医者さまになりたかったんだけどね」
途端に、二人とも、ハッと表情を変えた。
「お父さんの病気?」
「うん」
「そっか・・・・・・」
「でも、私、数学、全然じゃない」
「「・・・・・・」」
二人とも私の成績をよく知っているので、『そんなことないよ』とか気休めを言ってくれたりはしない。
その代わり、気まずそうな顔で、ただ黙ってそれぞれの口の中のものを飲み込んでいく。
「だから、お医者さまになるのあきらめて、外国語大学目指すことにしたの」
途端に、二人とも当惑顔。
それはそうだろう。医者になる夢の代わりが、外大進学だなんて。
「・・・・・・どういうこと?」
口の中のドリンクを全部飲み込んでから、綾が不思議そうに質問してきた。
「私、子供の頃から、クリスマス前になるとサンタクロースへお手紙を書いていたんだ。今年はどんなプレゼントがほしいかっていう手紙」
「・・・・・・へぇ~」
相変わらず困惑顔のまま、理紗が相づちを打つ。
「でも、私の書く手紙は日本語じゃない? それじゃ、サンタさん、なんて書いてあるか読めないじゃない?」
「・・・・・・うん」
「だから、毎年、パパが私の手紙を翻訳して、サンタさんに送ってくれてたんだ」
「それって――」
綾がなにか言いかけたみたいだけど、机の下でダンという鈍い音が響いてきた。途端に綾の顔に痛みをこらえるかのような表情が浮かぶ。
「それで?」
理紗は愛想笑いを浮かべながら続きを促してきた。
「でもね。パパの翻訳って下手だったみたいで、いつも私の希望とはちょっと違うものをサンタさんがプレゼントしてくれてたんだよねぇ」
綾が、ナゲットをつまみ、口に放り込む。
「子供の頃、一緒にお布団で寝てくれるように、テディベアがほしいってお手紙に書いたら、届いたのはガラスケースに入ったアンティークベアで、一緒に寝てくれるどころか、眺めるだけで、触ることもできなかったり。まだ弟がママのお腹の中にいたときに、妹がほしいってお願いしたら、生まれたのは弟だったり」
「ああ、あるある。サンタクロースにプレゼントお願いしたら、たまに全然希望のものと違ったりするよね」
「うん、私もあるよ。猫飼いたかったのに、犬だったり。男の子が持っているゲームのカードがほしかったのに、お人形さんだったり」
「お人形の新しいおうちがほしかったのに、私たち自身が新しいおうちに引っ越すことになったりとかね」
「えっ? それいいな」
「そ、そう?」
「うん。それ、めっちゃいい!」
「そうかなぁ~」
「とにかく、私がサンタさんにお願いしても、全然、希望通りのものがプレゼントされたことないんだ。でも、友達を見ていると、結構、ちゃんと希望してたものもらってるみたいだし」
「ま、まあ、そういえば、そうかな。概ね」
「でしょ。で、なんで、私だけ、希望がちゃんと通じないのかなって考えたんだけど、これって絶対、パパの翻訳が悪いせいだよね?」
「・・・・・・」
二人とも、軽く笑っている。そんなことは気にせずに、
「でね。だから、私、大学でサンタさんの言葉を勉強して、キチンと私の希望がサンタさんに届くようにしたいんだ」
「ああ、なるほど」「ふむふむ。それで外大か」
ふたりとも薄笑いを浮かべつつも、一応は納得顔。
「サンタクロースって、たしか北欧に住んでいるんだっけ?」
「うん、そう。フィンランドのラップランドってとこ」
「ってことは、南はフィンランド語の勉強をしたいの?」
「うん。そう」
「「へぇ~」」
綾はハンバーガーにかじりつき、理紗はドリンクのストローを口にくわえる。
「でね。フィンランド語を勉強したら、今度こそ、サンタさんにちゃんと私の希望を伝えるんだ」
「うん。南の希望って?」
そう、何気ない様子で聞いてから、すぐに綾はハッと気がついた様子。理沙も同じ。
綾の口が『ごめん』と呟きそうに見えたので、慌てて返事をする。
「パパの病気が治りますようにって」
「「・・・・・・」」
「それから、秋に入院する前に買ってくれた振袖、成人式のときにパパに見せてあげられますようにって・・・・・・」
「そっか・・・・・・」
理紗が途中で口ごもる。もう、だれもしゃべらない。
私たち3人はそれぞれ黙って、目の前のモノに手をのばした。
3人とも、それぞれに咀嚼し、時間をかけて、ゆっくりと飲み込む。
最後にぽつりと呟く。
「サンタさんが今度は間違えないように、フィンランド語を勉強するの!」