関係性定理
その朝、大教室に入ると、いつもの一番後ろの席で、星斗が突っ伏していた。
「オスッ! おはよう!」
「・・・・・・」
いつもなら、元気すぎるくらいに挨拶を返してくるヤツが、今日はまったく反応なし。
「ん? 星斗? どうした? 病気か?」
すこし心配になって、肩をそっと揺すってみる。
「い、や・・・・・・」
力ない声。いつものうるさいくらいのだみ声がうそのようだ。
「俺、やっちゃったかもしれない・・・・・・」
「ん? なにを?」
「俺、初めてなんだ。でも、こんな、こんな・・・・・・」
「んん・・・・・・? な、なに?」
「なんていうか、出会いがしらにガツンというか・・・・・・」
「お、おい・・・・・・ 事故か? 怪我しなかったのか?」
「こんな気分になるなんて」
「気分悪いのか? 頭うったのか?」
「俺、俺・・・・・・」
「お、おい・・・・・・」
心配する俺の目の前で、星斗ガバッと立ち上がった。
「こんなにハッピーな気分になるなんて、思わなかった!」
「お、おーい!」
星斗のヤツ、生まれて初めて恋をしたらしい。
大学2年生。もうすぐ二十歳の誕生日だというのに、遅すぎる初恋・・・・・・
もちろん、中学のころから、モテモテだった星斗(※本人談)。自分から女に恋しなくても、女の方が星斗をほうっておくこともなく、デートやらなにやら、今まで何度もしてきたのだ。だけど、相手のことを想い、なにも手につかず、悶々として一晩中眠れなかったことなんて初めての経験。
――これが、これが恋ってやつなのか!?
星斗のヤツ、驚いていた。
星斗の初恋の相手は、文系キャンパスの噴水庭園の木陰脇ベンチでサンドイッチを友達と食べていた女性だった。昨日、プレゼミの教授に用事のあった星斗。近道のため噴水庭園の中を通りぬけようとして、その光景がたまたま目に飛び込んできた。そして、カラダに電撃が走ったらしい。
名も知らぬ、今まで会ったことも、もちろんしゃべったこともない女性。サンドイッチを咥え、ニコニコと隣の女友達に笑顔を向けている姿がチャーミングだった。
星斗、完全に一目ぼれ。
「なぁ? 俺、どうすればいい? こういう場合、どうすればいいんだよ!」
心配そうに、不安そうに、それでいて、どこかウキウキとした感じで、星斗、頭をひねっていた。
それに対して、もちろん、俺のできる答えは、たった一つだ。
「知るか!」
俺たちは、昼食後、文系キャンパスへ移動した。
俺はプレゼミに出席するため。星斗は昨日見かけた美女を見つけるため。
昼食の間中、昨日見かけた初恋の女性がどれだけ美しいか、素晴らしいかを、延々と聞かされ続けた。
正直言って、かなり引き気味な俺。まあ、恋ってこんなもの。周りが自分のことをどう見ているかまで分からなくなってしまう。
うんざりした気分で、早々に星斗と別れ、プレゼミが行われる佐々木先生の研究室へ向かった。
他の教授のプレゼミでは、10人ぐらいの学部生が参加して、演習棟の演習室が使われるのだが、あいにく、俺の属しているプレゼミでは受講生は俺一人。わざわざ演習室を用意する必要もなかった。
春のプレゼミの振り分けで、俺が第一志望、第二志望、第三志望にあげていた教授たちのプレゼミは、申し込み時点ですべて定員オーバー。くじ運のない俺が他に回るしかなかった。
そして、最終的に大学当局に半強制的に送り込まれた先が、今年から採用されたばかりの佐々木講師のプレゼミ。
受講生は俺一人のみ。
教員棟5階一番西、午後の強烈な西日が容赦なく降り注ぐ、暑苦しい研究室。
佐々木先生は、今年採用されたばかりで、俺とはそれほど年は離れていない。気さくでさっぱりとした人柄、まるですぐ上の兄貴と話しているような錯覚をよく感じていた。顔も体型も頭の中身も全然ちがうのだけど。雰囲気が非常に兄貴に似ていた。
他のプレゼミはどのようなものか知らないが、いつもこの時間は雑談だけだった。何かを教わるなんてことはない。コーヒー片手に今日の新聞を読み、その中の記事を話題におしゃべりしあう。ただそれだけ。
本当に、これでいいのだろうか?
こんなので、授業として成り立っているのだろうか?
俺は、すごく不安に感じていた。でも、その一方で、大学の他の授業では味わえない、妙にくつろいだ気分でいられた。
週一の本当に不思議な時間だった。
「おっ!? いよいよ、METI計画開始か」
「あ、はいそうみたいですね」
METI計画というのは、宇宙に向けてメッセージやモノを送り、宇宙人の返信を待つ地球外知的生命探査計画のこと。
「どう大野君、君は宇宙人が存在すると思うかね?」
「え? そうですねぇ~ いないんじゃないかな? 勘だけど」
「ほほぅ 私はいると思うけどな」
「そ、そうですか?」
「だって、我々だって、宇宙人なわけだし。我々が存在するってことは、同じように宇宙人が存在しても、まったくおかしなことはないだろう?」
「ま、まぁそうですけど・・・・・・」
「でも、まあ、だからといって、今回のMETI計画、成功するとは思えないな」
「え? そうですか? 丹念にひとつひとつ、地球から見えるすべての星にメッセージを送れば、いつかは宇宙人に届いて、返信をくれるのでは?」
「君、関係性の条件って考えたことある?」
「か、関係性の条件?」
「そ、関係性。いまこうして、私と君がしゃべっているように会話をするだとか、あるいは、モノの交換をするだとか、喧嘩をするのもそうだね。あるいは、略奪だったり、支配だったり。複数の主体者がいて、その者たちの間で、なんらかの交流が行われること。関係。そういった関係性を構築するためには、どんな条件をみたす必要があるのか?」
「さ、さぁ~?」
そんなこと、もちろん考えたこともなかった。
「まず、考えられる条件のひとつは、誰かが関係性を構築するための手段を持っているってことだね」
「はい。さっきのMETI計画だったら、宇宙人にメッセージを送るってことですね?」
自信をもって言った俺の一言。すぐさま、佐々木先生に一蹴された。
「違うね、それは。地球人が未知の宇宙人に一方的に話しかけているってだけで、全然関係性の構築になっていない。たとえば、全然日本語がわからないインド人に英語が話せない君が電話をしたとして、相手に正しく用件が伝わるかね?」
「い、いいえ」
「君の用件が相手のインド人に正しく伝わるには、インド人側が、日本語をできなくてはいけないだろう? それと同じようなこと。この場合は、明らかに、メッセージを受け取った宇宙人側が地球に返信する能力を持っているってことだ」
「あ、なるほど・・・・・・」
「次にその手段をもっている者が、関係性を構築することにメリットを感じるかどうかだね。あるいは、構築しないことのデメリットを認識するか」
俺は、首をひねって、今の佐々木先生の言葉を考えてみた。
さっきのインド人の例でいえば、日本語で話しかける俺の電話にでたインド人が、なにか重要な用件だと思うかどうかってことだね。
もし、そう思ったのなら、日本語のできる人間を探そうとするだろう。
でも、もしさほど重要な用件でないと思ったなら、話が通じないって分かった時点で、電話、切るな。
「で、このMETI計画、一生懸命、地球人が宇宙人に話しかけるのだが、宇宙人にすれば、地球と関係を結ぶことになにかメリットがあるのか? 関係しないことにデメリットが発生するのか? が重要になってくる。宇宙人のメリットとデメリット。君、どう思う?」
「・・・・・・」
メリットはなんだろう? デメリットは?
「地球と関係性を結ぶ。たとえば、交信するだとか、交易するだとか、あるいは、地球を侵略して、植民地化する」
地球の資源を奪うためにUFOが無差別に地球上の都市という都市を爆撃!
「たとえば、交信の場合、地球人が電波を使うようになって、まだ1世紀も経ってない。そのような文明・文化程度の世界と情報交換して、宇宙人に何のメリットがある? 交易や侵略の場合、宇宙の深遠を越えてやってくる能力を持つ宇宙人たちに、地球側が価値のあるものを提供できるのかどうか?」
つい、タコのような姿の宇宙人が、UFOから下りてきて、八百屋の店先で、買い物カゴ片手に、大根を買う姿を想像してしまった。ありえない!
「まあ、METI計画は失敗に終わるだろうな。もし、本気で宇宙人を見つけたいなら、地球と関係を結ぶメリットをしっかりと考えるのが先だね。それができたら、案外、なにもしなくても宇宙人の方から呼びかけてくるかもしれないよ」
「な、なるほど・・・・・・」
あれこれ考え込みながら、すでにぬるくなったコーヒーをすすった。
ふっと、窓の外を見てみると、研究室のすぐ下の木の幹に隠れるようにして、星斗が何かを熱心に見つめている。
星斗がこそこそ隠れて覗いているってことは・・・・・・
俺は、ついつい身を乗り出すようにして、星斗の視線の先を追ってみた。
いたっ!?
確かに美人だ! 木陰のベンチに座って何かの文庫本を読んでいる。
で、でも、あれって・・・・・・
呆然とその美女を見つめていると、星斗、意を決したかして、木の陰を出て、その美人へ近づいていった。
星斗のヤツ、初恋で一目ぼれの癖に、いきなり声をかけにいくか!
積極的なヤツ!
俺の見ている目の前で、星斗、そのベンチの美女に話しかけ始めた。
星斗でなくても見るものを蕩けさせるかのような笑顔を浮かべて、返事をしている。
でもすぐに、左手を上げて、ひらひらさせ、何かを言った。
その途端、星斗、くるりと背を向けて元来た道を引き返していった。
その目の端には、涙がにじんでいるように見えた。
あぁ、星斗のヤツ、玉砕か。
まあ、あの人じゃ仕方ないか。
俺は、妙に納得してその様子を眺めているのだった。
「おっ! 綾乃、また男をふったんだな。 ふふふ」
俺の背後から、妙に楽しそうな声がした。
もちろん、佐々木先生だ。
「え、ええ」
「見ない顔だな。教養の子かな?」
「ええ、2年の森本星斗です」
「ん? 知り合い?」
「はい、友達です」
「そっか、それは残念だったね」
ちっとも残念そうな口調ではない。むしろ、残酷なまでに華やいだ笑顔を浮かべている。
「あ、綾乃さん、こっち見て、手振ってますよ」
「ああ」
佐々木先生と俺は、手を振り返した。
「ほら、あそこでも関係性の条件の問題が発生していたの、大野君分かった?」
「え?」
「綾乃が宇宙人で、さっきの子が地球人」
「ああ、なるほど。宇宙人の綾乃さんには、新婚ホヤホヤで愛する旦那さんがいて、星斗と付き合うことにメリットはなかったのですね」
「ああ、そういうこと」
佐々木先生は、うまそうにぬるくなったコーヒーをすすった。その左手薬指に、まだ真新しい指輪が光っているのだった。