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 新しいクラスになってまだそんなに時間の経っていない4月。その日、昼休みの後、5時間目の授業は国語だった。

 昼の弁当でお腹が膨らんでいる上に、春の柔らかい日差しと、ほんわかと暖かい風が心地よく、クラスの四分の一はすでに眠りの世界へ迷い込んでいる。

 教師も、そんな生徒たちを叱るでもなく、盛んにあくびをかみ殺し、眠たげな口調で淡々と教科書の内容に説明を加えていた。

 もちろん、俺もそんな教室の一員。ほとんどウトウトとしかけて、魅惑的な眠りの海に沈没寸前な状態だった。


「――さん、次、読んで」

 教師が生徒のひとりを指名する。

「はい」

 教室の中ほどから、軽やかな声が聞こえて、誰かが教科書の一節を朗読し始めた。

「東海の小島の磯の白砂に、われ泣きぬれて、蟹とたわむる・・・・・・」

――余韻を楽しむかのようなちょっとした間。そして、

「東海の小島の磯の白砂に、われ泣きぬれて、蟹とたわむる・・・・・・」

 え?

 午後のけだるい雰囲気の中で、今にも蕩けそうになっていた脳みそがにわかに活気づく。

「ふるさとのなまりなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きに行く・・・・・・」

 石川啄木かぁ~

「ふるさとのなまりなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きに行く・・・・・・」

 あ、まただ・・・・・・?

「ふるさとの山にむかいて言うこともなし、ふるさとの山はありがたきかな・・・・・・」

 俺にとって、ふるさとの山っていったら・・・・・・

「ふるさとの山にむかいて言うこともなし、ふるさとの山はありがたきかな・・・・・・」

 う~ん、この子、なんで二回ずつ読むのだろう?

 女子の声。鈴がコロコロ転がっているかのような涼やかな感じ。正直、すごく素敵に聞こえる。

「友がみな、われよりえらく見ゆる日よ、花を買ひ来て妻としたしむ・・・・・・」

 だれが読んでいるのだろう?

「友がみな、われよりえらく見ゆる日よ、花を買ひ来て妻としたしむ・・・・・・」

 俺は声のする席の方を探るように見ていた。

 たぶん、ショートにメガネの子だろうか?

「はい、ありがとう。じゃ、次、水野さん」

 なんだか、すごく残念な気分。もっとこの声を聞きたかった・・・・・・


 6時間目は社会の授業。

 もうすでに、教室の半数以上は夢の中。あちこちからいびきも聞こえる。

 でも、俺はまたあの声が聞こえるのではないかと期待して、ずっと起きていた。

 だが、社会の教師は、生徒に質問をして、居眠りを中断させようという気がないようだ。ひとりで黙々と黒板に文字を書き連ねるばかり。

 う~ん・・・・・・

 俺はあてが外れて悲しい気分だった。

 でも、視線の端に見えるショートの頭は、授業の間中、ずっと動いていた。

 ノートに黒板の文字を書き写すことで一生懸命だったようだ。

 他の生徒のようないねむりになんて、全然縁がないように見える。


 帰りのホームルームが終わり、今日は同じ部活の幸司のグループが掃除当番。

 俺は幸司と一緒に部室にいくため、教室の隅で掃除が終わるのを待っていることにした。

 教室中の机を後方へ移動させ、それぞれが箒やらモップやらをもって、教室中に散らばる。

 ふっと、窓の方を見ると、例のショートにメガネの女子が窓を拭いていた。

 俺は、そっと近づいていく。

 ちょっと緊張したけど、思い切って声をかけてみる。

「ちょっといい? さっき5時間目、石川啄木、朗読していたでしょ?」

「え?」

 俺が突然声をかけたものだから、窓を拭く手を止めて、驚いた様子で振り返った。

 肌の色は白いが、薄くそばかすの浮いた顔。すれ違ったらだれもが振り返らずにはいられない美人とは絶対にいえないが、愛嬌のある小動物のような感じ。かわいい~

「うん」

 目の前で小さくうなずく。

「なんで、二回ずつ詠んだの? もしかして、百人一首とか好きな人?」

「え? どうして・・・・・・?」

 どうして、そんなことを訊くのっていいたいのかな?

「あ、いや、普通、短歌とか二回ずつ詠んだりしないからさ。百人一首とか、かるた取りするなら別だけど。だから、もしかして百人一首好きなのかなって?」

 途端に、目の前の女子の頬が赤く染まった。

 なんか、恥ずかしがっている様子がすごくかわいい。

 そう思ったら、つい口をついて俺の想いがでてしまった。

「ね? 声、綺麗だね。透明感があるっていうの? さわやかで、のびがあって!」

 一瞬、ぽかんとした表情を浮かべたけど、たちまち耳まで朱の色で染まっていく。

 俺も、自分自身、頬が熱くなっていくのを感じていた。

「ね? 君の名前なんて言うの?」

 しばらくの沈黙があって、

「アキ」

 ポツリと答えた。決して、俺と視線を合わせようとはしない。まあ、今、視線を合わせられても、俺としてはどうしたらいいのか、分からないのだけど・・・・・・

 でも、しかし、いきなり下の名前を俺に教えてくれるって、こ、これって・・・・・・!!!

 思わず、興奮で鼻の穴が広がりっぱなしになる。

「そう、アキちゃんか。アキちゃん・・・・・・ 素敵な名前だね。俺、昇太。よろしく」

「・・・・・・」

 パチクリとメガネの奥の目を瞬かせる。

 アキちゃん。本当に、素敵な名前だ。透明感のある声と清潔感の漂う清楚な雰囲気の女の子(たぶん文学少女!)にぴったりの名前だ。そこはかとなく漂ってくるシャンプーの匂いまで俺の鼻を上品にくすぐる。

 もう一度、口の中で、『アキちゃん』とつぶやく俺。

「え、あの、その・・・・・・」

「そっか、アキちゃんか。ね? 上の名前は?」

 十分な間があって、

「・・・・・・アキ」

 ん? え~と?

 そこへ、黒板を拭いている女子から声がかかった。

「弥生、窓拭き終わった?」

 途端に、アキちゃんが、振り返って返事をする。

「ううん、でも、もうすぐ」

 俺は戸惑っていった。なんで、弥生って呼びかけられて、アキちゃんが返事をするんだ?

 わけが分からない・・・・・・

 俺の疑問が顔に出ていたのか、アキちゃんが、胸元の名札を俺に見せた。

 そこには、『安芸』と書かれている。

 ・・・・・・!?

「私、安芸弥生です」

「あ、そうなんだ・・・・・・」

 それから、俺の胸元の名札を覗き込んで、

「岸川君、声を褒めてくれてありがとう。私、うれしかったです」

「ああ、ああ・・・・・・」

 俺、勘違いをしていた。それもかなり恥ずかしいヤツを・・・・・・ 穴があったら・・・・・・

 俺はすごすごとその場を離れ、元の教室の隅へ。

 ったく! なんで、こんな時に、幸司のヤツ、掃除当番なんだよ!

 これじゃ、恥ずかしくて安芸さんから姿を隠したいのに、隠せられないじゃないか!

 く、くそー!!

 親友の幸司と一緒に部室へいくと約束した軽率な自分自身を呪った。

 安芸さんはというと、再び窓に向き直って、手の雑巾で窓ガラスを丁寧に磨く。

 やがて、拭き終わったみたいで、俺の方へ近づいてきた。

「じ、じゃあ、私、部活いってきますね。さっきは、どうもありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げる。

「い、いや、その・・・・・・」

 って、俺、どう返事をすればいいんだ、こんなとき?

「私、あんな風に男の人から褒められたのって初めてだったから、うれしくて・・・・・・」

 い、いや、俺だって、あんな風に女の子のことを面と向かって褒めたのって初めてだから。

「じゃ、じゃあ。部室、行ってきますね。・・・・・・し、昇太君」

 そして、ショートの頭が小走りに教室をでていった。耳の先まで真っ赤になりながら。

「おい、昇太。掃除終わったから、部室行くぞ!」

 幸司が声をかけてくるが返事なんて出来ない。俺は赤いインクを頭から被った石像のようになっていたから。

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