婚姻届にサインしなさい!
「婚姻届にサインしなさい!」
一階受付から、アポなしで面会の方が来ていると連絡を受けたので、俺がエレベーターで一階におりた途端、これだった。
ロビー中に今の声が響きわたり、通りがかりのサラリーマンや受付のお姉ちゃんたちの視線が、俺たちに集まっていた。
俺の目の前には、小柄な女が紙切れを一枚、俺の鼻先に突きつけて立っている。
『婚姻届』
その紙切れには、そう書いてあった。
「ハァ~? なんで?」
しばらくして、俺は素っ頓狂な声を上げた。
まだ、頭が混乱している。なんで、俺が目の前の女・工藤美由紀と結婚せねばならないのだ!?
美由紀のヤツ、ふんぞり返り、腰に手をあて、
「決まってるじゃない! お腹に赤ちゃんができたのよ!」
また、ロビー中に響き渡る声で言ってくれる。
って、そこの受付のお姉ちゃん、露骨にヒソヒソ話するのやめて!
「ハァ~!?」
「アンタ、責任とりなさいよ!」
「せ、責任って・・・・・・」
困惑する俺。眼が泳いで、助けに来てくれそうな人をロビー中から探すのだけど、あいにく、そんな奇特な人はおらず。
「高木って、来月、秘書課の河合さんと結婚するんじゃなかった?」
「うんうん、そうそう! 明美ちゃん可愛そう! ひどいよねぇ~!!」
って、受付のお姉ちゃんたち、もうそれ、ナイショ話ってレベルの声じゃないでしょ?
とにかく、俺たちは、ロビーの一角にある普段は商談に使われる席に腰掛けた。
「ほら、高木君、ペン。印鑑は持ってる?」
残念なことに、持っていた。
「早く、書いて!」
俺に署名を強要する美由紀。
来月には、3年越しの付き合いで、ついに明美とゴールするっていうのに、なんでこんなヤツと結婚しなくちゃいけないんだ!!
大体、俺、コイツに子供作らせるようなことしたか?
・・・・・・
俺は考えた。でも、特に覚えが・・・・・・
・・・・・・!?
あった!!
先週、新年会の帰り、二次会のカラオケの後、帰りの電車に乗ったまでは記憶があるけど、その先、翌朝、自分のベッドの中で目が覚めるまで記憶なんてなかった。
もしかして、あの時・・・・・・?
「お、おい? 俺、先週の金曜日、お前にあったか?」
「え? 金曜日? ああ、金曜日なら、アンタと私、帰りの電車で一緒だったじゃない。アンタ、すごく酔っ払ってたわよ! 酒臭いったらなかったわ!」
金曜日、帰り一緒だったんだ・・・・・・
お、俺の人生終わった。
ようやくバラ色の人生が始まるってところだったのに。秘書課の美人でスタイル抜群の明美と結婚できるところまで漕ぎつけたというのに・・・・・・
社長に仲人まで頼んで、友人・知人にすでに案内まで発送した後だというのに・・・・・・
すでに、式場に前払い金も振り込んで、引き出物の品物まで吟味して決めてあるのに・・・・・・
ハハハ、俺の人生終わった。
うつろな笑い声をもらして、精気なく天井を見上げている俺に、
「ほら、さっさと書いてよ! 私、これから行くところあるし、時間ないんだから!」
俺は美由紀の差し出すペンを受け取って、空欄になっている部分にペンを入れようとした。
「ちょ、ちょっと、アンタ、俊輔と結婚するつもり!?」
慌てて、美由紀が俺の手を抑え、届けを奪う。
えっ!?
美由紀、眼を吊り上げて、俺をにらんでいた。そして、その届け用紙を俺の目の前にかざした。
見ると、空欄の左には、『藤村俊輔』の名前。
俺の親友だ!
ってことは、俺が署名しようとした空欄は?
「ここは私が後で記入するのよ! アンタに署名してもらうのは、ココ!」
美由紀、届けの下の方を指差す。
「アンタたち、私たちが付き合い始める原因を作ったんだから、私たちの結婚の証人になりなさい!」
俺と明美は、ロビーのガラス窓越しに、去っていく美由紀に手を振っていた。
結局、二人で美由紀たちの結婚の証人としてサインした。
「ねっ? 美由紀ちゃん、幸せそうね」
「ああ、ちょっと順番は逆になったみたいだけどな。でも、俊輔もこれから苦労しそうだな」
「あら、そう?」
「ああ、きっと苦労するよ、あんなのをもらうわけなんだから」
それから、俺は振り返って明美を見つめる。
「その点、俺は幸せだよな。君だから」
『まあ・・・・・・』なんて、つぶやいて、照れている姿がすごくかわいい。
思わず、抱きしめて、顔と顔を寄せ合って・・・・・・
「ゴホンッ! 結婚を控えて幸せなのは分かるが、そろそろ仕事に戻ってはどうかね?」
二人とも、赤面しながら、飛び離れた。
俺たちの横には、みんなで出かける途中なのか、社長と会社の幹部たちが勢ぞろいしていた。