英雄の条件
この国は乱れていた。
約100年前、この国を治めていた王家の内紛にはじまった大乱は、やがて全国の領主たちへと飛び火し、血で血を争う抗争の末、異民族の侵入を招き、各地を焦土と化していった。
やがて、東の地に青年が現れた。
青年は、東の地でも有数の名家の生まれであり、品行方正、謹厳実直、不正を憎む正義漢であった。
でも、この国は、長年の大乱で荒れ果て、日々の糧を手に入れることもままならず、人々は困窮している。
青年は、今のこの国のあり様に怒りを覚えていた。民衆の生活をかえりみず、勢力圏の拡大にばかり血道をあげる領主たちを憎んでいた。
そして、ついに、青年は起ち上がった。
青年が起ち上がったという噂は、またたくまに東の地一帯に広がり、数日を経ないうちに、数千の兵士たちが集まった。
さらに、その青年のかたわらには、一人の老人が付き従っていた。
東の地では、だれひとりとして、その名を知らぬ者もいない賢人だった。
まもなく青年の快進撃がはじまった。
東の地を治めていた領主たちを次々と打ち倒し、不正を暴き、不良役人たちを罰していった。
その統治は、公平で、規律正しく、理路整然としたものだった。
青年の統治する土地では、民衆が平和に安心して暮らすことができ、商業が大いに発展して、物流が豊かになっていった。
もう、だれも日々の糧を手に入れられなくて、餓死することはなかった。
これは、青年の政治手腕がすぐれていたからというわけではなく、その大部分は、あの老賢人によるものだった。
そして、決起から5年後には、青年はこの国の4分の1を治めるようになっていた。
ある日、青年のもとに、密告がなされた。
老賢人が、大商人とつるんで私腹を肥やしているらしい。
大商人が老賢人に賄賂をおくって、市場の監察官の地位を手に入れ、その権限をフルに使って、他の商人たちから上納金を巻き上げているという内容だった。
青年は、最初、半信半疑だった。
あの領地を上手に治め、大繁栄に導いてくれている老賢人が、そのような汚職に手を染めるなんて・・・・・・
青年は、側近を使い、内密に老賢人を調べさせた。
やがて、その報告が青年のもとに届けられた。
たしかに、老賢人と親しくしている大商人がおり、市場の監察官として、上納金を取り立てている。
青年は激怒した。
世の不正をなくすために起ち上がり、戦っているというのに、よりによって、その足元でこのような不正が行われているなんて・・・・・・
一番信頼していた老賢人がこのようなことをしていたなんて・・・・・・
その日のうちに、老賢人は側近たちによって捕らえられ、追放された。
何人かの側近たちは、老賢人の行いを憎み、処刑することを主張したが、これまでの老賢人の貢献も考慮して、ついに青年は処刑を命じなかった。
老賢人が去った後、青年の前に、大商人が引き出された。
即座に、大商人は市場の監察官の任を解かれた。
最初、青年は、大商人を容赦する気がなかった。
老賢人を間違った道へ引きずりこんだ大商人が憎かった。
散々に罵倒し、打ち据えた末に、広場で公開処刑するつもりだった。
だが、
「私は、あなた方が起ち上がった時から、味方し、兵士や武器の調達、軍資金の融通など、いろいろと助力してきた。なのに、これがあなた方の私の援助へのお礼なのですか? あなた方を助けた者への感謝なのですか?」
青年は、大商人の主張に反論することができなかった。
たしかに、青年が決起したとき、この大商人から多額の資金を借り受け、武器・兵糧・兵士などを集めるために、その助けを借りた。
青年は散々に悩んだ末、ついに大商人を処刑することはなかった。
その上で、側近たちの反対を押し切り、大商人からの借入金をすべて返済し、この大商人と完全に手切れしたのだった。
大商人は、この後、家財をまとめて、青年の支配地をでて、いずこかへと去っていった。
老賢人を追放した後も、青年の支配地では大きな混乱は起きなかった。
ただ、青年が定めた規則・規制に厳粛に則って統治が進められ、だれもそこから逸脱することは許されなかった。
民衆にとって、青年の統治は、多少の堅苦しさはあったが、他の領主たちに比べれば、平和で安心できるものだった。
そんなあるとき、青年のもとに、近隣の領主たちが連合し、青年の支配地に侵攻を開始したという報告が入った。その数、全部合わせても5,000人ほど。
通常、青年が動員できる兵の数は、4万人だから、簡単に撃破できる程度の敵のはず。
青年は早速、迎え撃つ兵を集め始めた。
やがて、広場に整列した兵士の数は・・・・・・
2,000人。
――こ、これは一体・・・・・・
兵士たちの間に動揺が走った。青年も愕然とした。
広場を埋めつくすほどいたあの兵士たちはどこへ行ったのか?
なぜ、この兵士たちは、武装が貧弱なのか・・・・・・
ともかく、青年は集まった兵士たちを引き連れて、隣の領主たちの連合軍を迎え撃ちに行った。
連合軍によって包囲された町へ救援に駆けつけた青年の軍は、途中で脱走者が相次ぎ、戦場に到着したときには1,000を大きく割り込む人数だった。それでも、青年は連合軍に挑んでいった。そして、敗れた。
青年の支配地は、近隣の領主たちによって、分割され、併呑された。
なんとか生き延びた青年は、それでも抗戦をあきらめず、国中あちこちに現れては、兵を募り、領主たちに戦いを挑んだ。だが、ことごとく敗れ、やがて、だれも青年の下に集まらなくなった。
領主たちの支配は、苛酷で不正に満ちたものであった。それでも、青年を支持する声は、しだいに、どこからも聞かれなくなった。
ある日、青年は戦いに疲れ果て、生まれ故郷で最期を遂げようと決心した。
真夜中、ひとりで先祖代々の墓の前に額づき、世の中の不正をただし、理想の国を作ろうとしたが、自分は非力であり、ついに夢破れたことを大いに嘆いた。
さらに、神がよい行いをなそうとする自分を助けなかったことを、天にむかってなじった。
もちろん、天の神がその声に答えることもなく、ただ暗闇に声が吸い込まれていくだけだった。
むなしく時がながれた。
やがて、青年は、かたわらの刀をとり、それに自ら倒れ伏そうとした。
刃が青年の体を貫き、壮絶な最期を迎えるはずだった。
だが、その体を寸前で抱きとめたものがいた。
しわくちゃの干からびた老いた体。
あの老賢人だった。
「な、なぜ? なぜ、私を止める。お前を追放したのは、私なんだぞ! お前は私を憎んでいるのではないのか?」
老賢人は、やわらかく微笑んだだけだった。ただ、足元の刀を取り上げ、青年の手の届かない遠くへ投げ捨てた。
「そ、そうか、私の命を永らえさせて、さらに長く私の零落し果てた姿をあざ笑いにきたのだな!」
青年は、胡坐をくんで、座りなおし、腕組みした。目を閉じ、吐き出すように言った。
「ほれ、この通りだ。すでに、一人の部下も、一文の銭すらも持たない。私を見るがいい。そして、思う存分笑うがいい! 笑い終わり、満足したなら、消えろ! 私の前から、いなくなって、私を一人で死なせてくれ!」
「うむ、それも良いが、わしは、それほど悪趣味ではないぞ!」
老賢人のゆったりとした皮肉な響きの声。
「なら、私など放っておいてくれ!」
「まあ、そう、死に急ぎなさんな。わしの話を聴いてから、死ぬことにしても、大して変わらんじゃろうが?」
青年は、老賢人が自分を罵倒し、侮辱の言葉を投げかけることを期待した。だが、
「おぬし、先の戦いで敗れたのは、なぜか分かっておるのか?」
どうやら、近隣の領主連合軍の侵攻にあって、兵士が十分に集まらずに敗れた戦いのことのようだ。
「それは、兵士たちが集まらなかったから」
「うむ、では、なぜ、兵士たちが集まらなかった?」
「それは、商人たちが私の借金の申し出をみな断り、兵士たちの給料を払えなくなっていたからだ」
「ふむふむ、さよう。では、なぜ、商人たちは、おぬしに金を貸さなかった?」
「そ、それは・・・・・・ 隣の領主たちの手が伸びていたとしか・・・・・・」
「ほむ、そこが間違いじゃの。商人たちは、おぬしが大商人に借金を返済し、追放したからこそ、おぬしにカネを貨さなんだのじゃ」
「・・・・・・!? いや、しかし、あれは、大商人が私腹を肥やしていたから。それに、どんな悪事を働いていたにせよ、人として、借りた金を返すのは、当然!」
人として当たり前のことしただけなのに、なぜそれが間違いなのか。青年は憤然として言いつのった。
「そう、それよ、それ! おぬしの間違いはそれじゃの」
でも、老賢人は、わが意を得たりと、ひとつうなづくと。
「いいかの? 商人というのは、大なり小なり儲けを得ることが最大の関心事じゃ。できるだけ大きな儲けを得るために人にカネを貸し、人にモノを売る。じゃが、おぬしは、最大の貸し手じゃった大商人をクビにし、借金を返済して、関係を清算してしまった。商人たちにすれば、おぬしにカネを貸しても、市場の監察官のようなうまみの大きい役職につける望みはない。おぬし自身、いつなんどき、他の領主たちに敗れて死んでしまい、貸したカネが戻ってこないようになるかもしれん。そんなやつにカネを貸してくれるほど、商人たちというのはおめでたいわけではないわさ。だから、商人たちは、早々におぬしに見切りをつけて、借金の申し出を断ってきたのじゃ」
「・・・・・・」
青年はぽかんと口を開けたまんまだった。
人として当たり前のことをしただけなのに、そのことが自分自身の身を滅ぼすもとになったとは・・・・・・
そんな青年にニコリと微笑みかけて、老賢人はしずかにこういった。
「もし、真の英雄たらんと欲するなら、借りたものは絶対に返すな!」
青年は目を点にして、その場に固まったままだった。そんな青年に老賢人は、
「商人たちにすれば、一度多額のカネを貸せば、おぬしが戦いで敗れて死んでしまうと、貸したカネが戻ってこず、大損になってしまう。だから、おぬしが戦いに勝つことが商人たちの利益になり、勝つために必要なカネを無心しに来れば、むげにもできず、さらに貸さざるをえなくなるものじゃ。そうなると、さらにさらにおぬしが負けると損する分が増えることになり、ますます負けないように、おぬしの言うがままにカネを貸さねばならなくなる。そう、つまり一度多額の借金をしてしまえば、商人たちの財布は無制限におぬしの思いのままになる。そして、もちろん、カネさえ十分にあれば、戦いに負けることなど、そうそうないわさ。結局、英雄とは、上手にカネを借りる者のことをいうのじゃ!」
そして、老賢人は、青年について来いと合図をおくって、墓地の横の暗がりへと歩いていくのだった。
青年は躊躇した。このまま、老賢人の後を追いかけるべきか、このままここにとどまり、死を選ぶべきか。
老賢人は自信に満ち溢れ、青年に恨みをぶつけることもなく、まだ青年を助けてくれる気ではいるようだ。だが、老賢人にこのままついていけば、人の道を踏み外さなければいけなくなりそうな予感がする。
青年は迷った。人として、まっとうに死すべきか、悪魔に魂を売るつもりで、生きるべきか。
と、不意に風が吹き、近くの藪がざわめいた。まるで、墓地に眠る先祖が、生きよと命じるかのように。
青年は、軽く頭を振った。そして、先祖の墓に一礼して、老人の背中を追いかけたのだった。
そうして、青年が去った墓地では、草むらに埋もれて、ゆっくりと刀がさびていった。
それから10年後、この国の100年に及ぶ争乱が、ついに終焉を迎えた。
国中の商人から多額の借金を抱えた英雄王とそれを支える老軍師の手によって。