踏切待ち
雲一つない真っ青な空の昼下がり。銀行のATMでバイト代の入金を確認してきた帰り、俺は自転車でコンビニの手前の坂を下って、私鉄の踏切へ向かっていた。
――カン カン カン
ちょうど電車が向かってくるところ。ブレーキを握りしめて、スピードを殺している目の前で、遮断機が下りきった。
踏切の手前、坂の脇には古い立派な桜の木がある。
春には、ピンク色の花びらをあたりに舞い踊らせ、幻想的な空間を生み出すその木も、今は濃い緑色の葉がいくえにも重なり、踏切で足を止めた俺にやさしい木陰を提供してくれている。
でも、その木陰に吹き込む風はなまぬるく、まったく涼しさなんて感じさせてくれない。
「ふぅ~」
息を吐き出し、汗でべとついた前髪を吹き上げる。
ふと視線を感じた。そちらを見ると、日傘を差した人が俺の隣で踏切が開くのを待っていた。
ついさっきまで、その白い日傘の陰から俺のことを見ていたのだろうか、傘がわずかに揺れていて。眺めていると、また、傘が動く。
視線が合う。
「あっ・・・・・・」
慌てて傘の陰に眼が隠れた。俺が見ていたことに気が付いたらしい。
「えっと、もしかして、森?」
日傘がビクンと震えた。
やがて、あきらめたのか、自分から傘を閉じて、俺の方を見上げてくる。
「久しぶり」
「ああ、久しぶり」
同クラスの森。いつも制服のブレザー姿で、活発な明るい声と輝くような笑顔を周囲に振りまいてばかりいる印象だというのに、今日は袖のない薄い水色のワンピースを着て、ずい分落ち着いた雰囲気。おしとやかとでもいうか。日傘のせいか?
「なんか、なんかだな・・・・・・」
「ん? なに?」
「いや、なんでもない」
「そう?」
「ああ・・・・・・」
言葉を探して、結局、うまく言葉にできなくて。
結局、そのまま二人並んで、電車が来るのを待っていた。
「おつかい?」
「えっ?」
一瞬、声をかけられたのが分からなかった。たしかに森が俺に話しかけてきているのだが、顔は踏切に接近してきている電車の方へまっすぐ向けたまま。いつもよりも、おちついた数段低い声。全然、あの森じゃないみたいだ。
「ああ、バイト代入ってるか見てきた」
「そう」
「そっちは?」
「私?」「ああ」
「親戚の家に届け物」
「なるほど・・・・・・」
ちょうど眼の前を電車が横切り、温かく強い風が吹き付けてくる。森の今日は下ろした髪が吹き散らされる。それを片手で押さえて、森は静かに立っている。
ハッとした。
髪を押さえる腕の白さが眼に飛び込む。染めていない髪の黒さが残像となって残る。
呆然として、森のことを見ていた。眼が離せなくなっていた。
「なに?」
「えっ?」
「見てたでしょ?」
「あっ、えっと・・・・・・」
「えっち」
森は、一瞬だけ、いつもの悪戯っぽい表情をして見せて、そして、再び開いた日傘の陰に隠れた。
電車はすでに通り過ぎ、遮断機はよっこらしょという感じで持ち上がっていく。
「またね」
「ああ、またな」
踏切を渡りだした森は、振り返ることもせず、まっすぐに去っていく。ワンピースの裾から伸びた、すらりとした足のふくらはぎの白さが鮮やかに映える。
俺は、サドルに座り直して、ゆっくりと漕ぎ出すのだった。そして、踏切を渡ったところで森を追い抜いて行く。
横目にチラリと、かすかにほころんでいる森の口元を眺めながら。
自然とペダルを漕ぐ足に力が入る。我慢できずに立ち漕ぎして、顔を風にさらした。
そうして、強い日差しの降り注ぐ住宅街の中を自転車は軽快に速度を上げていった。