リボンまみれ
その日、ボクの部屋のドアをあけると、そこには痴女がいた。
生まれたままの姿にいくつもの色とりどりのリボンを巻きつけ、ベッドの上でポーズをとっている。
「おかえりなさい。うふっ」
「は、はぁ? な、なにやってんだよ、お前」
「今年はチョコじゃなくて、あたしをあげる。ね、あたしを食べて」
「な、な、な、なに言ってんだ!」
「さあ、はやくぅ」
ボクに両腕を伸ばしてくる。不本意なことに、ボクの心臓がバクバクしている。
「って、な、なんでだよ!」
「もう、兄貴、ノリわる~い! こういうときは、ルパンみたいに、『不二子ちゃ~ん』ってベッドダイビングするのがお約束じゃない。そんなんだから、今日も義理チョコしかもらえないんだよ」
「し、知るか、そんな約束ごと。って、な、なんで、今日は義理チョコばかりだったって知ってるんだ」
「うふ、そんなの顔見れば分かるじゃない。全部顔に書いてあるもの」
「う、ウソだ、そ、そんなの」
ウソに決まっている。ボクの顔にそんなこと書いてあるはずなんて・・・・・・
そ、そういえば、帰りの電車の中で、近くの席に座っていた女子高生たちが、ボクの方を見て、笑っていたような。すれ違った中学生たちが、気の毒そうにして、顔を逸らしたような。
「う、ウソだ!」
だけど、目の前の痴女は、可哀相なものを見るような眼をして、首を振るばかりだった。
「う、ウソだぁ~」
「どうせ、チョコをもらったはいいけど、席が近くだからだとか、彼氏の親友だからとかいう、ホントどうでもいいような理由の義理チョコなんでしょ?」
「そ、それは・・・・・・」
ぐぐぐ、なんでこいつは今日のボクをこうまで正確に言い当てられるのだ? 痴女ならぬエスパーか?
「ふふふ。やっぱり図星ね。ねっ、ほら。だから、いいのよ。あたしを食べて」
「って、だれが食べるか! お前なんか!」
「ええ~ ショックぅ~ そんなに全力で拒否られるなんて思わなかったなぁ~」
「当たり前だ!」
「てっきり、変態のアンタだから『あたしを食べて』なんて言ったら、理性を吹っ飛ばして、襲い掛かってくると思ってたのに。そしたら、ちょうどいいから、こないだ習ったばかりの合気道の技で投げ飛ばして、フルぼっこにしてやろうと思ってたんだけどなぁ~」
「お、おいっ!」
「折角、こういうときのために習ってるのに。まったく、もう!」
「って、お前、そんなことのために合気道習ってたのか?」
「ん? 当ったり前じゃない。アンタの変態行為で危ない目にあわないように、お父さんたちが、合気道をすすめてくれたんだよ」
「って、な、なんだよ、それ。って、いうか、家族からもボク信用されてないの?」
我が家の家族関係の根本にかかわる問題に、この目の前の痴女、もとい我が妹は、明るい声で答えた。
「ウン。そうだよ」
そ、そんな~ これまで信じてきた家族の絆がぁ~
「だって、そうじゃない。妹がお風呂に入っているのをいいことに、脱衣所に勝手に入ってきて、妹の脱いだ下着をスーハーしてるんでしょ?」
「はぁ? だ、だれが、そんなことするかぁ!」
「ええ? だって、一昨日、私がお風呂入っているときに、脱衣所に入ってきてたじゃない。ガラス越しに見えてたわよ」
「あ、あれは、風呂入ろうとして、先にお前が入っているなんて気がつかなくて、たまたま入っただけだ。妹の汚い下着なんてスーハーしてねぇ~!」
全力で否定するボクに、妹のヤツはジト眼で、
「ええ? ウソだぁ。だって、私がお風呂に入るときに、アンタが先に入っていたら、あたしはアンタの下着、クンカクンカするもん!」
「・・・・・・」
「脱衣所に脱いだばかりの異性の下着を見つけたら、とりあえず匂いをかぐもんでしょ? 人間って、ふつう」
こ、この妹は・・・・・・
「変態はお前だぁ!」
力いっぱい叫んで、肩を上下させているボクに、妹は、親指を立てて『ナイスつっこみ』なんて声をかけてくるし。
「ふふふ、そんなの冗談に決まってるじゃない。あたしがそんなことするはずないじゃん。変態じゃあるまいし」
いや、その格好で変態じゃないと主張されましても・・・・・・
ボクがあちこち剥き出しの妹の体(いうまでもなく、隠すべきところは、ちゃんとリボンで隠してはある。チッ)をあきれ返りながら眺めていると、
「ちょっと、どこ見てるのよ。変態兄貴!」
「はぁ~ どっちが変態だよ。まったく」
と、
――クシュン
「ほら、いい加減、服着ろ。風邪ひくぞ」
「む、変態兄貴のクセに・・・・・・ 分かったわよ」
そう言いながら、ベッドを降りて、ボクを押しのけるようにして、廊下へ出て行こうとする。
「って、ちょっと待った。なんで、折角もらったチョコを全部もっていこうとする? もらったのボクなんだぞ!」
「なに、言ってんのよ。全部義理じゃない。あたしのピチピチのお肌を見せてあげたんだから、お礼代わりにもらって、全部あたしがおいしく食べてあげるわよ」
「なんでそうなるんだよ!」
掴みかかろうとするボクの手を器用にすり抜けて、
「ふん、そんなこと言って、ドサクサまぎれに、あたしに触ろうというのね。そんなことをしたら、投げ飛ばしてあげるんだから」
「はぁ? とにかく、それ返せよ」
「いやよ。あたしがもらうの」
「やらねぇよ。返せ!」
そう押し問答しながら、チョコを取り返そうとしたら、ボクの手が偶然リボン越しに妹の胸に触れてしまって・・・・・・
次の瞬間、ボクの体は上下さかさまになって、廊下に打ち付けられていた。
「ふん、変態兄貴! サイテー! 性犯罪者!」
えっと、これってボクが悪いの?
凶悪で最悪なチョコ強盗の被害にあい、可哀想なのはボクの方だと思うのだけど・・・・・・
「あ、それはそうと、アンタ、自分の机の上ぐらい、いつも整理整頓しておきなさいよ。まったくもう」
「はぁ? ボクの机の上なんて、いつもキレイにしているだろ?」
昨日の晩も、勉強をした後、キチンと参考書やノートは片付けたはずだし、すっきりしているのが好きなので、ごちゃごちゃと小物類を机の上に並べておく趣味はない。当然、妹に文句を言われるはずもないわけで。
ふと、机の上に視線を向けると、リボンを結んだ大きめの箱と小さめの箱が一つずつ。
「ふふふ。そっちの小さいのが、義理だけどあたしのだから」
「え? あ、ああ。ありがとう」
「あと、大きい方は、絵梨から」
「絵梨・・・・・・ちゃん?」
たしか、妹の親友で、こないだの休みの日に妹と一緒に、台所で手作りのチョコレートを作っていたはず。そういえば、あのとき、台所の隣の居間でテレビを見ていたら、やたらと視線を感じたような。
「あたしの親友をなかせるようなことをしたら、投げ飛ばすわよ!」
そう言い残して、リボンまみれのキューピッドは部屋を出て行った。義理チョコは全部抱えて。
そんな妹のことはもういい。ボクは、ただただ、呆けたように机の上を見入っているしかなかった。そのリボンに包まれた大きな箱を、いつまでも。