いつもの座席
朝、いつもの乗換駅で、ボクはいつもの電車のいつもの座席に座った。
一駅分乗った支線から乗り換えるボクは、すでにホームで待っている車両に乗り込む。
さすがに、この駅が始発になっている電車だけに、中はあまり混んでおらず、いつも乗り込む車両も空席だらけ。空いている席ならどこに座っても問題はない。だが、ボクが座るのは、いつも車両の前方出口のすぐ近くの同じ席。
よくよく観察してみると、同じようにいつもこの車両に乗る客たちの大半も、それがその人の指定席でもあるかのように、同じ席を毎朝占めている。
やがて、発車のベルが鳴り、扉が閉まって、電車が動き出す。
しだいに加速し、いくつもの踏切の遮断機の甲高い警告音が窓の外を流れすぎていき、朝日の中でまだ寝ぼけているような気配がただよう家々のシルエットが漂い去っていく。
そうして、減速がはじまり、次の駅へ到着した。
扉が開いて、やっぱりいつもの顔ぶれの乗客たちが乗り込んでくる。
いつものように眠そうなあくびをかみ殺しながらサラリーマンが乗り込み、乗るときと降りるときでは全然別人のように変身するOLさんが向かいの席に座る。
彼ら彼女たちも、前の駅から乗り込んでいるボクたちと同じように、いつのまにか、いつも座る席が固定されていて、ボクの隣にもいつも同じ人が座る。
真っ白なブラウスがまぶしい少女。横目で盗み見ると、紺のリボンタイが揺れている。
いつもなら、彼女はボクの隣に座ると、すぐにスマホをいじり始める。アプリを起動して、電子書籍を読み始めるのだ。
彼女は、この半年間、ボクの隣で、肩をプルプル震わせながら笑いをかみ殺したり、目尻にうっすらと涙を浮かべて画面を凝視してきた。
そうして、いくつかの駅を過ぎ、いくつもの遮断機の音が飛んでいく。でも、そんなことには構わず、一心不乱に画面とにらめっこを続ける。
やがて、電車の中では彼女の制服と同じものを着た女子高生たちが増え始め、しだいに友達同士のたわいもないおしゃべりが車両の中に溢れかえる。
けれど、今までに一度だって隣の彼女に話しかける子はだれもいなかった。いつも、彼女はスマホを睨んで周りを拒絶するオーラを撒き散らしていた。
そうこうするうちに、彼女たちの通う女子高の最寄り駅に到着し、隣の彼女も含めて、全員がその駅で電車を降りるのだった。
今日も彼女はボクの隣に席にとった。
ボクは膝の上の文庫本を読むフリをしながら、横目で彼女の様子を観察する。
いつもなら、周囲の様子など気にせず、さっさとスマホを取り出して、読書体勢をとるはずだ。だが、今日は違った。
彼女はスマホを取り出したりもせず、二三度、キョロキョロと周囲を見回す。やがて、そっと息を吐き出し、腰を深く引いた。
そのまま、眼を閉じ、顔をうつむける。
えっ?
彼女は珍しく睡眠姿勢をとるようだ。
どういうことだろう? 今日はスマホの充電が間に合わなかったのかな? それとも、壊れて修理中?
まもなく彼女は電車の揺れに合わせて、上半身をユラユラと揺らしはじめる。そして、
コト・・・・・・
いくらも経たないうちに、彼女の頭がボクの肩にもたれかかってきた。
・・・・・・?
ボクはそのまま、身動きもできず、ただ座席で固まっていた。彼女の枕代わりで、ずっと。
当然、もう膝の上の本になんか集中できないし、たとえ視線を向けても、内容が頭に入ってこない。
ただ、ボクの鼻腔をくすぐる柑橘系の甘い匂いと、やさしいかすかな寝息の音だけが、ボクにまとわりつく。ふわふわと心地いい気分と戸惑いがボクの中で膨らむ。
いつの間にか、電車の中に彼女と同じ制服の女子高生たちの姿が増えていて、彼女たちがボクたちのことを見ているような気がしたけど、でも、それはボクの思い違いで、実際には、だれもボクたちのことをその会話の話題になんてしていない。
完全に、ボクの自意識過剰。それを自覚していても、やっぱり周りの眼を気にしてしまう。
やがて、電車は減速を始め、彼女たちが降りる駅に近づく。
――すー すー
隣の彼女はまだ目を覚ます気配がない。
これは・・・・・・
ボクは、腕を伸ばして、彼女の肩を揺すった。
「おきて、次、君が降りる駅だよ」
そうして、その駅の名前を彼女の耳元に告げる。
と、まぶたが開き、焦点のあっていないとろんとした眼でボクを見上げてくる。視線が合う。
ボクは、もう一度、次の駅の名前を彼女へ告げた。
だんだんピントが合いはじめ、そして、しだいに彼女の顔が朱色に染まっていく。
ホームに到着して、電車が止まったとき、ボクたちはまだお互いの眼を覗きあったままだった。
突然、彼女は自分のカバンを胸に抱いて立ち上がり、飛び出すようにして、出て行った。
ボクは、そんな彼女の後姿をただ黙って見送るだけだった。
次の日、ボクはいつものように電車にのり、いつもの席に座る。
電車は出発し、加速し、隣の駅へ。
減速が始まった。
ボクはさっきまで読む気にもなれなかった文庫本に視線を無理やり固定する。
周囲の様子になんの関心もないかの風を装う。それでいて、隣の空席に今日はだれが座るのか、それとも、だれも座らないのか気になってずっとそわそわし通しだった。
やがて、電車はホームに滑り込み、止まった。
空気が抜ける音とともに、扉が開き、そして、ホームで待っていた乗客たちが乗り込んでくる。
いつものように、自分の席を目指して通路を行く。
そして、ボクの隣の空席へは・・・・・・
ボクは、パタンと音を立てて膝の上の文庫本を閉じるのだった。