夏が来る
4月、新しいクラスになり、新しいクラスメイトができ、そして、ボクは恋をした。
新しいクラスでの最初の自己紹介のとき、隣の席に座っていた彼女。緊張して、噛んでしまったボクになぐさめの優しい言葉をかけてくれたのだ。
ボクはそのことが忘れられず、いつのまにか四六時中彼女のことばかり考えるようになっていた。
だから、5月の終わり、ボクは告白した。
「考えさせて」
彼女はそう言って、すぐには返事をくれなかった。
同じ教室の中では、ボクの隣に座っていても、彼女が友人たちとおしゃべりをしていても、いつもと変わらず、明るく優しく綺麗で可愛くて。まるで、何事もなかったかのように、以前と同じように振舞う。そう、まるであの告白なんてなかったみたいに。
その隣で、ボクだけが彼女のことを常に意識しつづけていた。彼女の会話を盗み聞き、口にする言葉のひとつひとつに深い意味を探ろうとしていた。
「よっ! 最近どうしたの? なんか暗いけど?」
小学校のときからずっとクラスまでも一緒だった環がボクに背中を叩いて声をかけてくる。
「ん? なんでもないよ」
「そう? なんかあったんじゃないの? ヘンだし。あっ、でも、浩司がヘンなのは、いつものことか」
「うるさいな。ほっといてくれ!」
大声を上げたボクの剣幕におどろいたのか、環はビックリした眼をして、しばらくボクのことを見つめていた。それからわざとらしく肩をすくめて、
「そ、なら、別にいいけど」
あっさり去っていった。
そんなことがあった後の6月の半ば、とうとう彼女が返事をくれた。
「ごめんなさい」
開口一番、彼女はボクの前で長い髪を振り乱すようにして頭を下げた。
ど、どうして・・・・・・
その言葉を口にしようとして、
――でも、そんなことを聞いてどうするんだ? なにも変わらないんだぞ!
ボクは口を閉じた。代わりに、
「謝らないでよ。別に君が悪いわけじゃないんだから」
「で、でも・・・・・・」
「余計にみじめになるからさ」
ボクは精一杯の元気を寄せ集めて、彼女に笑顔を向けた。
そして、その日、今年の梅雨入りを告げる雨がふった。
雨は、降ったり止んだりを繰り返した。
上空は重たそうな雲で覆われ、いつもどんよりとしている。ときどき、青い空がのぞくこともあったが、それも短時間。地表に湿気がこもり、冷たく重たい空気で息が詰まりそう。
洗濯物もからっとは乾かず、どこかかび臭く、べとついているようにも感じられる。
時に台風が近づき、強い風が濡れたような空気を運んできて、さらに不快指数を引き上げていく。
そして、集中豪雨があちこちで発生し、川の氾濫情報が各チャンネルのニュース画面をにぎわせる。
ボクの席の隣では、彼女の様子はいつもとまったく変わらなかった。ただ、ボクに話しかけてくる頻度がすこし多くなった気がする。
それに対して、ボク自身は、うまく対応できたためしはない。
どうしても、彼女の顔をむさぼるように見つめてしまうし、それに気がついて、不自然に視線をそらせてしまう。
自分でも普通じゃない感じだった。多分、そのことは、周りの人間もうすうす感じていたのだろうが、だれもそのことに触れようとはしなかった。
それとも、クラスでも地味な部類のボクのことになんか、だれも興味がなかっただけなのだろうか?
ボクにとっては、正直どっちでもいいこと。
ただ、ボクは6月の残りをそうしてすごしていた。
7月。ますます、集中豪雨のニュースが増え、いよいよ梅雨も終盤を迎えた。
予定されていたプールの授業も、強い雨のせいで中止になり、男子たちがとても残念がっていた。
「よっ! プール中止かぁ! 折角、あたしのメリハリボディで、このクラスのエロ小僧どもの眼を釘付けにしてやろうと思ってたんだけどなぁ」
環がそんな冗談とも本気ともつかないことを言いながら話しかけてくる。
「ああ、そうだな。残念だったな」
「・・・・・・」
拍子抜けしたような顔をして、ボクの顔を見つめてくる。
「なんだよ? 調子狂うなぁ~」
「・・・・・・」
「あんた、あの子にフラれてから、ムチャクチャ、キモイよ」
「・・・・・・!」
「ったく、いつまでひきずってんだよ。あれって、半月以上前のことだろ?」
「な、な、なんで、お前が、フラれたってことを・・・・・・」
「知らないわけないじゃん。あたしとあんた、どれぐらい付き合い長いと思ってるのよ。教室でも、ずっとマイナスオーラを出しつづけてさ。あー、いやだ、いやだ」
「う、ううう・・・・・・」
「あんた、どうせ、自分のことを可哀そうとか思ってんだろ? 好きになった子にコクったら、見事に撃沈でよ。でもさ、考えてみろよ、隣で自分がフッた男が自分のことをうらめしそうにいつもチラ見してるんだぜ。そんなの見たら、別にあの子が悪いわけじゃないのに、申し訳ないって気分になっちゃうじゃん。彼女の方こそ、いい迷惑じゃん?」
「えっ?」
そ、そんなこと、今まで一度も考えたことがなかった。ボクがこうしていることが、彼女にとって負担になっているなんて・・・・・・
ば、バカな、そんな・・・・・・ ありえない・・・・・・
「いい加減、気持ち切り替えなよ。あんた、男なんだろ?」
環はそう言いながら、ボクの背中の真ん中を力一杯に叩いた。
「けほっ! い、いてぇよ!」
「ふん。それぐらい我慢しな!」
「くっ、このバカ力女め!」
ボクは顔を引きつらせながら、憎まれ口を叩いた。その顔を眺めながら、環が一つ大きくうなずく。その反動で、しけったブラウス越しに下着の線が見える大きめの胸が揺れる。
きゅっと締まった腰、その下のスカートのふくらみ具合、たしかに水着になると、目のやり場に困るかもしれない。
「ちょっと、どこ見てるのよ、エッチ!」
「ど、どこも見てないよ。へ、へんなこと言うなよ」
「ふん、変態っ!」
そうして、環はおかしそうに笑った。
その笑い顔を見ていたら、自然とボクにも笑みが浮かんで。
今日も窓の外では、大粒の雨が降り続いている。
グラウンドのあちこちに大きめの水溜りが出来て、学校周辺の側溝では水が溢れ出している。
教室の中に湿気がこもり、体力をもてあます生徒たちがガサガサしているだけで、不快感が増す。
それでも、ボクはその先の季節を感じていた。
夏が来ると。
ボクの傍らを乾いた熱い風が吹き抜けていった。