7
未明から降り続く雨により、道はずいぶんぬかるみが出来ていた。普段ならば漁村までは2時間程で着けるのだが、道が悪くなっている今は、もう少し掛かりそうだ。
しばらくは誰も口を開かず、黙々と歩き続けていたが、不意にヴァインが何かに気付いた。
「--荷車が来ますね」
言われて前方を見ると、確かに雨が煙る先に何かが見える。視力が高いヴァインやガデスには、それが荷車だと分かるようだ。
「何台もいるし、人も多い。--まさかな」
そう呟いて、ガデスは荷車に駆け寄って行った。槍を手にした先頭の男に話しかける。話すうちに、みるみるその顔が険しくなる。アクア達が追い付くと、その理由を告げた。
「--ゾンビが大量に現れて、村を襲ったらしい。彼らはなんとか逃げてきたそうだ」
たどり着いた漁村は、ひどい有様に変わっていた。辛うじて人としての形を保った死体が何体も歩き回り、石畳や家の壁に汚泥が跳ねる。雨が降っていなければ、酷い腐乱臭が辺りに立ちこめていただろう。
「--小さな村なのに、数が多くないか?」
「確かにね。骨が折れそうだ」
村から逃げてきた者によれば、殆どの村人が脱出できたという話だった。「災害でもあったのか」とガデスは呟いているが、聞いたことはない。保存状態の良い死体が多かったということだろうか。
「先ずは、行方不明になった神父探しだね」
調査を依頼していた神父は、逃げる際には姿が見えなかったらしい。逃げる村民を率いていた男は、村の様子の確認と、行方不明になった神父の捜索を依頼してきた。
「--まぁ、こうしていても時間がもったいない。早く済まそうぜ」
そう言ってアクアは大剣を抜くと、手近なゾンビに切りかかって行った。
鋼の鎧でも着込んでいるならともかく、ぼろ布を纏っただけの腐乱した体は簡単に断ち切れた。
生身とは感触が違う。
力任せに大剣を振るえば、何体もゾンビが倒れていく。数は多かったが、村はずれの教会までたどり着くのに、そう時間は掛からなかった。
「ここに隠れていてくれると良いんですが」
途中、行方不明の神父らしき姿はなかった。彼が身を隠していそうな場所は、残るはここだけだ。年期が入った扉を開けると蝶番が軋む音が大きく響き、生臭い空気が流れ出してきた。中は薄暗くて様子が分からなかったが、ガデスが魔法の光源を天井近くに浮かべた。
白い光に照らされた教会は荒れていた。床は汚泥で汚れ、水と海の女神を象ったであろう偶像は胸部から上が破壊されている。教壇の前には黒い固まりが蠢いている。
「なんだ--?」
距離があるため、少し近付こうとアクアは前に出た。どのみち、見逃してよいものではないだろう。すると、こちらに気付いたらしい固まりが形を変えた。
固まりに見えたのは「それ」がうずくまっていたからだった。人型で、立ち上がると天井に届くほどの大きさがある。肌はのっぺりとした黒色で、顔には裂けたような口しか付いていない。
「なっ、なんでこんな所に--」
正体に気付いたらしいガデスが呟くのが聞こえる。アクアはかつて読んだ本の記載を思い出していた。黒い肌に裂けた口を持つ。穢れを振りまき、死を歪め--。
「--死者を呼び従える魔神、通称"フェイスレス"」
フェリルも同じ本を思い出していたようだ。古の時代に神々と戦ったという魔神達の伝承は、神職者ならば必ず勉強するものだ。本には伝説に伝えられるような存在から、今でも遺跡の奥で遭遇できる存在まで、禁忌とされる名前以外が詳細に記されていた。
"フェイスレス"は遺跡の奥での遭遇例があり、その時は討伐されたようだが、一介の冒険者には荷が重すぎる相手だ。
そもそも魔神という存在自体、普通に遭遇するようなものではない。
アクアは"フェイスレス"を見据えながら、素早く考えを巡らせる。魔神は魔法が効きにくく、高い再生力を持っているという。戦って勝てるだろうか。
いや--もっと良い方法があるではないか。
「--俺が、引きつける。その間に逃げろ」
言うと同時にアクアは駆けだした。魔神はアクアに向き直ると背筋が凍るような叫びを上げた。しかしアクアは怯まず、その目前まで迫る。
やっと終われる。それも、人のためという大義名分付きで。そう考えると胸が躍った。鋭い爪が振り下ろされるのを、笑みすら浮かべて見上げる。
「--させるか!」
不意に衝撃を受けて、アクアの視界が回った。受け身を取れず強かに背中を打つ。
状況が把握できずに目を動かすと、膝を付いたフェリルの背中が見えた。肩を押さえた指の間から血が見える。
魔神はヴァインが引き付けていた。振り下ろされる爪を巧みに受け流しながら、アクア達から離そうとしている。斬りつけた傷は再生を始めているが、波状の刀身が深く傷を抉るため、再生に時間が掛かっている。
ヴァインは治りきらない傷口を狙って刃を滑らせ、さらに傷を抉る。
その傍らをすり抜けて、ガデスがフェリル達の方に駆け寄って来た。
「大丈夫か?」
「あはは、ちょっと痛かったかな」
傷を治しながら軽い口調で答えるフェリルに頷くと、ガデスが視線をアクアに動かした。呆然と倒れたまま何も言えないでいると、大きくため息を吐かれた。
「--頼むから、そこで大人しくしててな」
言いながらフードを被ると、ガデスの瞳が琥珀色に変わった。鋭い眼差しで魔神を見据えて指さす。
「行け!」
ガデスの声に応え、床から無数に伸びた水晶の柱が"フェイスレス"を貫いた。魔神は怒りの声を上げ身を捩って柱を砕くが、砕かれた水晶が消滅すると同時に新たな柱が伸びる。
ついには倒れて起きあがれなくなると、間合いを取っていたヴァインが剣を逆手に握り、"フェイスレス"の頭部に突き立てた。剣は床板ごと易々と貫き、魔神は声もなく崩れさった。
魔神が完全に消滅したのを見届けて、ガデスが振り返った。青い目が少しつり上がっている。フェリルの横をすり抜け、未だ倒れたままのアクアを見下ろす。再び大きなため息を吐くと、フードを脱いでアクアに手を差し伸べた。
「お前な。一人で暴走して突っ込むって何--」
考えてる、と言いかけたガデスが不意に押し退けられた。それと同時にアクアは襟首を掴まれ引き寄せられる。
相手がヴァインだと理解した瞬間に頬を殴られ、アクアは勢いよく倒れた。背中を打った衝撃で息ができずに喘いでいると、再び襟首を掴み上げられる。
「--どういうつもりだ」
静かだが低く、唸るような声だ。普段は僅かにしか変わらない表情が、今は怒りの色に染まっている。
「自殺して人助けか。それで相手が喜ぶと?」
「……」
問いかけに何も答えられずにいると、ヴァインは手を離してアクアを突き飛ばした。
「--独りよがりの偽善だな」
吐き捨てるように言うと、外の様子を見てくると告げ、ヴァインは教会を出ていった。フェリルがその後を慌てて追う。ガデスは苦々しい顔で2人を見送り、視線を床に落とした。
アクアは座り込んだまま、それをぼんやりと眺めていた。
(8に続く)