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無造作に短くした栗色の髪を揺らしながら一段一段下りるたび、ギシギシと階段が軋む。耳障りな上に頭痛まで増長され、アクアは顔をしかめた。昨夜の深酒のせいで体が鉛の様に重い。
それでもどうにか階段を下りきりテーブルに突っ伏すと、宿の主であるゴードンが呆れた顔をしながら、水が入ったジョッキを勢いよくテーブルに置いた。
「お前なぁ、よく毎日二日酔いになっても懲りないな」
「うるさい……頭痛に響く」
顔も上げずに文句を言うさまに、ゴードンはわざとらしいぐらいに大きくため息を吐いて厨房に引っ込んだ。
ゴードンが営む宿「陸の海鳥」亭は、交易が盛んな港町ペルキアで唯一冒険者協会に加盟している宿だ。この町の冒険者はここを拠点にするか、あるいは商人向けの他の宿から仕事の依頼を受けに通っている。
アクアは前者で、1年ほど前に町に来て以来、ここを拠点にして仕事を受けている。引き受ける依頼は主に護衛で、その報酬の殆どは酒代に消える。報酬を貰ったら酒を浴びるように飲み、無くなったらまた依頼を受ける、という生活をしている。もっとも最近は、荒れた暮らしぶりを見かねたゴードンが気を掛けるようになり、夜まで寝て呑んでまた寝て、という事は少なくなった。
「若い上に剣の腕も良いってのに、もったいねぇ。体壊しちまうぞ?」
厨房から掛けられた声には返事をせず、突っ伏したままアクアは胸元に手をやった。服越しに、首から下げた物を握る。
「それは、むしろ--」
「望むところだ」と言いかけたところで、不意に鐘の音が鳴り響いた。驚いて反射的に顔を上げると、扉から客が入ってくる所だった。扉にぶら下げられた鐘が来客を知らせたのだ。
客は3人で、いずれも見ない顔だった。真新しい装備を見ると、新米冒険者なのだろう。掲示板を見て仕事を探しているようだ。アクアはレモンが浮かべられた水を啜るように飲みながら、様子を眺めることにした。
客の一人は青い髪を持つ長身の青年で、腰に長剣を下げている。アクアが同じように下げたら鞘尻が地に着きそうな長さだ。張り出された依頼を指さしながら他の2人に説明をしている。
その青年の隣に立つのは、青みがかった銀髪の、小柄な少年だ。腰から鞭と小剣を下げているのを見ると、探索を専門とするスカウトかもしれない。
最後の1人は、3人の中でも一際目を引く容姿をしていた。背に翼を持った金髪の青年で、大鎌を背負っている。金髪に白い翼、というのは有翼人と呼ばれる種族の特徴なのだが、彼の翼は鴉のように黒く、肌も浅黒い。稀にそう生まれる者がいるらしい。
一部の神職者は「神に見捨てられた罪人の証」だと主張していたが。
嫌なことを思いだし顔をしかめていると、ゴードンがトマトのスープを持って戻ってきた。「二日酔いに効くから飲め」とアクアに渡し、冒険者の相手を始める。海老の出汁が利いたスープはトマトの酸味と塩分のバランスも良く、空の胃に優しく染み渡る。アクアはちびちびとスープを飲みながら、ゴードンの方に目を遣った。長身の青年がゴードンと交渉をしているのだが、魔物退治の難易度で少々揉めているようだ。
「--お前らな、初仕事が3人でオークの巣を潰しに行くって、死にに行くようなもんだぞ」
「しかしこれ以外だと、オーガ退治とかになるのですが」
そりゃもっと無茶だ、とアクアは心の中で突っ込みを入れる。冒険者には冒険者協会本部から身分証明書が発行されており、それを見れば受けた仕事の数や経験を積んだ年数がわかるほか、実力の目安になるよう、一部の魔物を倒すと記載されるようになっている。一瞬見えた証明書は、発行されたばかりの新品のようだった。
「せめてベテラン1人でもいりゃあ考えるんだが」
一般的に、冒険者が初めて相手にするのはゴブリンやコボルドといった弱めの魔物で、オークはそこそこ慣れた冒険者が手を出す相手だ。オーガに至っては更に強い。
「他の依頼が出るのを待つ、という手もありますが--どうしますか、ガデス様」
「んー……ベテラン1人、ねぇ」
「ガデス様」と呼ばれた少年は、ゴードンの言葉を聞いて考え込んでいる。黒翼の青年は、掲示板を見て他の仕事を探しているようだ。やり取りから判断するに、少年は青年二人の主らしい。どこか名家の子息が経験を積むために、従者と共に冒険者になったといった所だろうか。
そんなやり取りを眺めていると、不意にゴードンと目が合った。嫌な予感がして即座に目を反らすアクアだったが、にやりと笑ったゴードンはその正面に立った。
「お前、仕事無いよな?」
「二日酔いで忙しい」
面倒事に巻き込まれたくないので、アクアはスープを抱えて体ごとそっぽを向いた。しかしゴードンは正面に回り込む。
「午後にでもなりゃ、その二日酔いも暇になるよな?」
「さぁな。駄目だろ」
キリがなさそうなので、アクアは目だけ反らしてスープに集中する事にした。海老、トマト、塩の他に何が入っているのかを考えながら啜る。
「今週はまだ仕事してないだろ」
「……」
アクセントになっている香草はバジルだろうか。
「もう週の後半だってのに、働かないでどうする」
「……」
胡椒が味を引き締めているようだ。
「自慢の大剣が錆び付くぞ?」
「……」
ミルクを混ぜても良さそうだ。
「……よし、わかった」
「……」
ニンニクも合うかもしれない。具は貝類にショートパスタに--。
「ここのベテラン付けるから、4人で行って来な」
「--ってちょっと待て!」
叫んだせいで頭痛がぶり返したが、アクアはかまわずゴードンを引き寄せた。
「何を勝手に言ってんだ」
「勝手に言わねぇと行かねえだろ。帰ってきたら美味い肉でも食わせてやるから、仕事してこい」
追い出すように手を振るゴードンを睨み付け、その後方の3人組を見ると、少年が申し訳なさそうな笑みで向かってきた。長身の青年の隣に居たため小柄に見えたが、近くで見ると背の高さも年もアクアとそう変わらないようだ。
「悪いな、兄さん。二日酔いは、まあ解消してやれるんで、手を貸してくれないか?」
そう言われると、断れる理由が無くなってしまう。アクアはまだ手を振るゴードンをもう一度睨み付けると、渋々ながら頷いた。
(2に続く)