11
漁村で魔神を倒してから3日が経った。
外は相変わらず雨が降り続いている。ガデス達はオーク退治の依頼で歩いて半日程掛かる村に出かけたのだと、ゴードンが教えてくれた。
アクアは寝台で寝転んで雨が降る様子を眺めながら、フェリルの言葉を思い出していた。彼の決意は、彼が信仰する生命の神の教えそのものだ。自分には昔から決意などなにもなく、今は漫然と終わりを待っている。
フェリルの言うとおり、立ち向かうことも逃げることも出来ずにうずくまってるだけだ。だが、だからといってどうすればいいのか--。
そうして時折浅い眠りを挟みながら、延々と同じ思考を繰り返して一日を過ごし、夜を迎えた。開け放った窓からは、静かな雨音が聞こえる。
「……ん--?」
雨音に混じって、遠くから複数の足音が近づいてきた。起きあがって外を覗くと、自警団員達が慌てた様子で走っており、そのうちの一人が「陸の海鳥」亭に駆け込むのが見えた。
そのただならぬ様子が気になって、アクアは2階から階下の様子を伺うことにした。
駆け込んできた自警団員は人手を探しているようだった。滞在している冒険者を寄越してほしいと頼み込んでいるが、今はアクアしかいないため、ゴードンは返事に迷っているようだ。
アクアが降りていくと、安心と不安が入り交じった複雑な表情をされた。その一方で自警団員はアクアの姿を認め、顔が明るくなる。よく見れば顔見知りの団員だった。
「アクア! 頼む、手を貸してくれ」
「どうした、何があった?」
団員は自分達だけでは手に余るのだと前置きをしてから、答えた。
「エッケ村で得体の知れない魔物が出た」
エッケ村はペルキア周辺に点在する村の一つで、歩いても1時間ほどで行ける場所にある。たまにゴブリンが畑を襲うこともあるが、普段はいたって平和な村のはずだった。
「な--」
自警団が所有する馬車を降りたアクアは、目の前の光景に言葉を失った。
数日前、ガデス達と訪れた時はのどかだった農村は一変していた。逃げ惑う村人の悲鳴とそれを誘導する怒号が響き、家々からは火が上がっている。
想像以上の惨状に、馬車で到着した者達は皆呆然としていた。
「とっとと逃がすぞ! 手を貸せ!」
指揮を執っている自警団長の声で、アクアは我に返った。
よく見ると自警団は村人を逃がす者と、魔物を引き留める役に分かれているようだ。アクアは大剣を抜くと、武器を構えて走り出した一団の後に続く。
先行して魔物の引き留めに当たっていた自警団員達とはすぐに合流が出来た。彼らは燃え盛る教会の前で死闘を繰り広げていた。
形状を表現するならば、それは「炎を纏った巨大な鶏」だった。けたたましく鳴きながら羽ばたくたび、炎が荒れ狂い、自警団員達が後退する。
アクアには、"それ"に心当たりがあった。実家で読んだ本の内容を思い出す。
業火をまき散らし、万物を焼き尽くすもの、通称"火放ち鳥"。敵も味方も炎に飲み込み、最期は大地と豊穣の女神に首を落とされたという。
そんな魔神が何故いるのか。疑問が沸き起こるが、今重要なのはそこではないと思い直し、アクアは戦いの輪に駆け込んだ。横を抜けるように斬りかかる。
「ぐっ--」
嫌な相手だ。魔神に向き直りながら、アクアはそう思った。
魔神の纏う炎に焼かれぬよう、刀身の長さを活かして切っ先を引っかけるように斬りつけたが、それでも熱から逃れられない。勇猛な自警団員達が防戦一方なのも納得できる。
氷や水の魔法をぶつける者もいるが、炎に遮られ全く効いていないようだ。水の防護魔法を自警団の神官が掛けてくれたが、それもどこまで身を守ってくれるのか。
「勝とうと思うな、撤収まで時間を稼げ!」
自警団の副団長が叫ぶ。団員達は距離を取りながら巧みに魔神を引き留めている。アクアもそれに倣って戦線維持に努めることにした。
程なくして、村人達の避難が完了したとの知らせが入り、副団長が撤収を指示する。アクアは副団長を含めた全員の撤収を手助けするべく、再び魔神に斬りかかった。防護魔法のお陰で、感じる熱は多少抑えられている。
「おい、退くぞ!」
「わかってる!」
副団長の声に答えながら、アクアは渾身の力で大剣の腹を魔神に叩きつけた。強打に倒れた魔神に背を向け、皆の後を追って村の入り口に向かって走り出す。
本物の鶏とは違って足が遅いようなので、馬車に乗ってしまえばひとまずは逃げられるはずだ。ペルキアまで退ければ、ガデス達が帰ってきているかもしれない。彼の魔法なら魔神にも通用するはずだ。
村の入り口には馬車が着けられ、副団長が手招いていた。それ見てアクアはほっとする。
不意に、その姿が炎で覆われた。
「なっ--?!」
戦慄するアクアをあざ笑うかのような、けたたましい鳴き声が背後から響く。振り向くと、ゆっくりと近付く魔神が見える。
「アクア、無事か?!」
「!」
炎の奥から聞こえてきた副団長の声が、アクアを正気に戻した。相手が無事なことに安堵する。
冷静に見れば、炎は壁となって村の入り口を塞いでいるだけで、副団長らの所までは及んでないようだ。--あくまで、今のところは。
「--問題ない、どうにかする!」
だから先に行け、と叫び返し、アクアは村の奥へと走り出した。魔神の横を抜け、挑発するように剣を突きつける。魔神はその誘いに乗り、アクアの後を追ってきた。
短く息を吐き、アクアは相手を見据えた。魔神は足は遅いが、攻撃動作は素早い。
魔神の弱点は伝承と同じなので、首でも落とせれば倒せるのだろうが、相手の首の位置はアクアの背丈の2倍ほどの高さにある。防護魔法を頼りに飛びかっても、避けられて狙い通りに落とせなければ、身が焼けるだけだ。だが、倒そうとしなければ問題は炎と熱だけだ。敵わない相手ではない。
「……倒せなければ、止めるだけだ」
聖印を握りしめて決意を口にしてから、神に見放されても捨てられなかったな、と聖印を見てアクアは苦笑する。
フェリルとの会話を思い出し、もし帰れたら謝ろうと誓う。
アクアは大剣を下段に構えて、一気に間合いを詰めた。魔神の嘴をかわしながら、右足でブレーキを掛ける。それを軸足に体をひねり、遠心力を乗せて魔神に大剣を叩きつけると、すぐに間合いを取り直した。
魔神の胴はぱっくりと切れるも、徐々に傷口がふさがる。予想はしていたので、アクアは特に驚かない。
皆が逃げ、ガデス達が帰ってくるまでの時間さえ稼げればいいのだから、再生されてもどうでもいい。
今度は大剣を青眼に構え、啄もうと首を伸ばす魔神の頭に振り下ろす。相手の勢いにたたらを踏みそうになるも、腰を落としてぐっと堪える。押し返されて、魔神がよろめいた。アクアはもう一度間合いを詰め、今度は脚を狙う。
大剣を振りかぶったところで、魔神が身を翻した。
翼で横に薙がれ、アクアは飛ばされて地面を転がった。薙払われた傷が焼け、痛みに息が詰まりそうになるが、飛ばされた衝撃で手放してしまった大剣を探すため、急いで身を起こす。大剣は少し離れたところに落ちていた。それを、魔神が見下ろしている。
にやり、とその目が笑った気がした。魔神は一声鳴くと、大剣に足を踏み下ろした。一層強い炎が起こり--くにゃり、と刀身が歪んだ。
「え--?」
アクアが殺してきた大量の人の血と無数の魔物の血に塗れた、しかし只の、何の変哲もない鋼の大剣だ。それが魔神の足の下で、熱に耐えきれず変形していく。
「は……はははは……嘘、だろ……?」
アクアはそれを呆然と見ていた。何故か笑いが込み上げてくる。半身を失ったかのような大きな損失感に襲われ、思わず座り込んだ。
もう、終わらなければいけないのか。
アクアはすがるように聖印を握ろうとしたが、それも先程どこかに行ってしまっていた。のろのろと視線を動かすと、すぐに聖印は見つかった。
焼けて大きく崩れた教会の壁から、不思議と火が及んでいない部屋の様子が見える。アクアの聖印は、部屋の隅に置かれた、ここの神父の物であろう剣と盾の傍らに落ちていた。盾には聖印と同じ模様が彫られ、炎の明かりに照らされて輝いている。
「いや--まだ、終われるか!」
アクアは弾かれたように立ち上がり、部屋に駆け込んだ。聖印を拾い、手放さぬようその紐を手に巻き付けると、置かれていた剣と盾を手に取る。
普通の、鉄製の武具だ。炎をまともに浴びれば容易に溶けてしまうだろう。
それでも構わずに、アクアは部屋を出てもう一度魔神と対峙した。聖印を額に当てて、少しでも長く戦い続けられるよう祈る。嘲るように首を揺らす魔神を睨みつけ、剣を構える。
祈りは、思わぬ形で叶えられた。
突然、地面が震えるような咆哮が響き、上から高速で何かが降りてきた。
起こった風に煽られそうになりながら、目を凝らす。アクアと魔神の間に降り立ったのは、魔神と同じ程度の大きさの、青い鱗の竜だった。乱入者に怒る魔神の威嚇をかき消すように再び咆哮し、氷のブレスを吐きつける。
「……ヴァイン、か?」
面影など何もないが、アクアにはその竜がヴァインだと分かった。炎をものともせずに魔神に襲いかかるのを呆気に取られながら見ていると、不意に体が軽くなった。
治癒の神聖魔法を掛けられたと気が付くと同時に、今度はフェリルとガデスが降りてきた。
「間に合ってよかった! アクア、大丈夫?」
「あ、ああ。--なんで?」
その日の内に帰ってきたにしても早い。素直に疑問を口にすると、魔神を観察していたガデスが振り返って答えた。
「帰りは歩くの大変だからって、文字通り飛んで帰ってきたからな」
言われてみれば確かにヴァインもフェリルも飛べる。一緒に歩いて出掛けていたのですっかり忘れていた。
「って、あれ? アクア、大剣どうしたんだ?」
「え、あぁ--溶けてるな」
大剣があったところを見ると、溶けて固まった鋼の固まりだけが残っていた。そこまで変わり果てると、未練も残らない。
「うわ、あんなふうに剣まで溶かせるのか"火放ち鳥"。首を落とせれば一発なんだけどな」
ガデスの言うとおり、確かに大剣なら重さを活かして一息に断てるだろう。それに比べれば、今手にしている剣は紙のように軽い。だが--。
「……大丈夫だ、この剣でも行ける」
確信を持って断言する。
迷いなく言うアクアに、ガデスはにやりと笑って頷くと、フードを被って魔神に振り返った。
「ヴァイン、動きを止めるぞ!」
ガデスの声に、ヴァインは短く吠えて答える。魔神を蹴って距離を離すと、大きく息を吸って氷のブレスを吐いた。そこにガデスがアイスストームの魔法を重ねる。魔神の姿が見えなくなるほどの氷嵐が襲いかかり、魔神を炎ごと凍らせていく。その激しさに感心して見ていると、フェリルが魔法の障壁を作る防護魔法を掛けてくれた。
「アクア、止めはよろしく」
君なら大丈夫、と背中を押す。アクアは謝罪の言葉を言いかけたが、ガデスの声に遮られた。
「--アクア、今だ行け!」
振り返れば、殆ど凍り付きながらも逃れようと身を捩る魔神が目に入った。アクアは剣を握り直して走り出し、大地を蹴って跳躍。両手で柄を握り、魔神の首目掛けて剣を振りかぶった。
「うぉぉぉぉおおおおおおおおおッ!」
渾身の力で剣を振り抜く。
剣は魔神の首を断ち切り、切り抜いた瞬間に「役目は果たした」とばかりに根本から折れた。アクアは魔神を踏み台にしてさらに跳躍し、宙返りをして着地の体勢を整える。
首を落とされた魔神は、よろめきながらもがいた。最期の力で氷を振り払うと、アクア目がけて翼を振るった。
翼が迫ってくるのが、アクアにはゆっくりと見えた。反射的に盾で受け止めようとしたが、空中に居たため、堪えようもなく跳ね上げられた。
回る視界の中で、手をすっぽ抜けた凹んだ盾と、目をまん丸にして見上げるガデスとフェリル、人型に戻って自分を受け止めようと走り出す、珍しく慌てた表情のヴァインが見え--アクアの意識は暗転した。
(12に続く)




