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恋を感じるとき  作者: 柏木杏花
柚希
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第九話    柚希の部屋 碧だけが、柚希の心を揺さぶった

 ひとり暮らしのマンションに帰ってくると、柚希はベッドに身体を投げ出した。

 頭の中で、いろんなことがグルグル回って、混乱している。

 碧のことを知りたいと思っていた。最近、少し知ることができた。知って、勝手に落ち込んでいる。

「恋愛って、難しい……」

 碧のことを、すべて理解できたわけではない。けれど、彼女の胸に棘が刺さっていることは理解できた。その棘を抜く方法は見当もつかないけど。

 わからないのは、自分のこともだ。

 自分は碧と、どうなりたいのだろう。

 性同一性障害と診断されて、女として生きてきた。なのに、どうしても男を好きになれなくて、自分は一生、だれにも心を動かすことがないのかと思っていた。

 碧だけが、柚希の心を揺さぶった。

 恋の対象が女の子だったことには、戸惑ったが安心もした。まともな感情もあったと知ったからだ。

 碧に会いたい、顔を見たい。声を訊きたい。そして、触りたい。だけど、それから先が、わからない。

 女同士で恋人になりたいのか、男に戻りたいのか、霧がかかったように、判然としない。

 二十歳まで、一年ちょっとしかない。二十歳になったら、性転換手術を受けるつもりだった。けれどいま、生まれた性別に未練を覚えていた。こんなことになるとは思わなかったから、ムシャクシャする。

 懇意な後輩としてそばにいることは簡単だけど、碧に恋人ができるのを見ているのは、耐えられそうにない。ならば、自分は男に戻りたいと願っているのだろうか。

「考えられない……」

 無理だと思った。

 思春期の頃から薬を服用して成長期を終えた身体は、肩幅も背中もきっと広くはならない。春休みに亜衣と行ったエステで、脚も脇も永久脱毛をしてしまった。なにより、自分はED(性的不能)だ。

 初めて夢精をして、あまりの嫌悪感に吐いた。何日も食事ができずに、眠るのが怖くて、うつ状態になった。病院に連れて行かれて、性同一性障害と診断されたのだ。

 それ以来、そこは一度も反応したことがない。亜衣の指で擦られたときですら。

 ……いや、一度だけ、碧とキスしたとき、違和感を覚えた。でもその感覚が性器の屹立の兆しであったかは、判断できなかった。

 あまりにも中途半端だ。心も身体も。


 うんざりして目を閉じると、鞄の中からメールの着信音が鳴った。腕を伸ばして携帯を確認する。松浦からのメールだった。

『最近来てないけど、カメラには慣れた? もうすぐ就活で部室にはあんまり顔を出せなくなるから、訊きたいことがあったら早めにおいで』

 文字だけのシンプルなメールだ。

「面倒見いいなあ。松浦さん」

 写真部に入ってわかったことなのだが、写真部員でも一眼レフを持つ者は半分もいない。驚いたことに、携帯で写す人もいるくらいなのだ。

 一眼レフを持つ上級生は、同じメーカーの後輩に指南する構図になっているようだ。松浦が就活で席を外すようになれば、碧がその役を引き継いでくれるのだろうか。

 現在、部長を筆頭に、別のメーカーの一眼レフを使う部員が多数を占めていた。

『明日、部室に行かれますか?』

 レスしてすぐ、着信音が鳴る。

『行くよ』

『じゃあ、明日撮った写真、見てください。パソコンに入れて持っていきます』

『了解』

 柚希はベッドから起き上がって、ノートパソコンを立ち上げた。カードリーダーを接続して、メモリからデータを取り込む。

 枚数があるので、結構、時間がかかった。取り込んだ画像を確認していくと、カメラの小さな液晶ではわからなかったミスが見えてきた。ほとんどがひどい写真だが、消さずに残しておくことにした。

 明日、松浦に見てもらったときに、原因がわかる方がいい。偶然、よく撮れた写真だけを持って行っても、次に繋がらない。

 柚希は、キッチンに向かった。全部確認するのは、まだ時間がかかりそうだ。コーヒーを飲みながら、のんびり取りかかろうと伸びをする。

 カップにインスタントのコーヒーを入れて、リビングに戻った。

 コーヒーの匂いに包まれていると、あの日のキスを思い出してしまう。

 缶コーヒーを飲んでもグロスが取れない、と指摘されたのをきっかけに、あんなことになってしまった。

 あれから随分経つのに、合わせた唇の感触が消えない。絡めた舌の甘さが忘れられない。

 パソコンの画面が止まっていた。止まった画面をぼーっと眺めていると、メールの着信音が聞こえて思考を戻された。また松浦からの連絡かと思って携帯を開くと、発信者は碧だった。

 驚いてメールを開く。

『昨日、お姉ちゃんの友達がうちに遊びにきたの。双子の子ども連れだよ。すごい可愛かった』

 画像が添付された写メールだった。双子が画面から、はみ出しそうな勢いで近づいてくる写真だった。

 短い文章を何度も読み直した。あのときのことには、なにも触れられていない文章だったのに、胸が高鳴った。

 落ち着かない心地で返信しようとして、指を止めた。なにか、画像をつけたくなった。最近、携帯では写真をほとんど撮らないし、古い写真を付けても意味がない気がした。

 結局、いま読んでいる文庫本をテーブルに乗せて、写真を撮った。近況報告くらいにはなると思うことにした。

『メール、ありがとうございました。双子ちゃん可愛いですね。ふたりとも、男の子ですか。さっき、松浦さんから連絡がありました。明日、いままでに撮った写真を見てもらうことになりました。あきれられそうな写真ばっかりですけど』

 しばらくすると、レスが来た。

『あたしも行く。あたしも見たい』

 ただ、それだけだった。レスしようとして携帯を見つめた。なんて書いていいかわからなかった。

 久しぶりで嬉しい? 楽しみにしてます?

 あの出来事を、なかったことにはしたくなかった。でもなかったことにしなければ、そばにいられないなら、忘れたふりをした方がいいのだろうか。

 あの出来事に触れない碧のメールには、そういう意図があるのだろうか。

 結局柚希は、返信することができなかった。







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