第七話 部室 あたし、レズの才能でもあったのかな
現像できた印画紙を吊るして、バットを片付けていく。
水の中から解放された写真は、撮影者の個性が出ていて、おもしろい。
「副部長の写真、いいなあ。この人、なんでも器用にこなすから」
「あ、ほんと。松浦さんデジタルでもセンスいいの撮るし、すごいですよね」
「器用貧乏だって自分でいってたよ」
最初に吊るした写真から、ドライヤーで乾かしていった。
二台のドライヤーの音に救われている思いだった。気まずいような恥ずかしいような居心地の悪さだ。
あんなキスをした直後なのだから、お互いぎこちないのは当然だろう。けれど、女同士の戯れが、多少、度を過ぎたからといって、ふたりの距離は遠くも近くもならない。柚希の高校でも、女の子同士のキスが流行ったことがある。
同じ世代だし、碧にも同じことがあったのかもしれない。
「瀬戸さん、キス慣れてるね」
口づけのことは蒸し返さないと思っていたので、唐突に投げられた爆弾に柚希は心臓が波打った。
「そんなことないですよ」
「絶対、慣れてる」
「本当です。モテないんで」
嘘ではない。憧憬の思いを伝えられることは多かったが、交際を申し込まれることは、それほどなかった。
「そりゃ、その辺の男にはモテないでしょ。でも、とんでもないひとにはモテるんじゃない?」
いっている意味がさっぱりわからない。
「とんでもないひとって?」
「なんていうか、すごいひととか…」
ますます、碧のいっている意味がわからない。こんなに脈絡のない話し方をする碧も珍しかった。
「あたし、女同士でベロチューしたの、初めて」
あからさまな表現に、柚希は顔から火が出る思いになった。
「すいません。ついうっかり…」
引きつった頬に無理やり笑みを浮かべた。
「べつに、謝らなくていいよ。あたしが誘ったんだから」
ドライヤーを動かしながら、碧は乾いた写真を重ねていく。
「なんか、変かも」
「なにが変なんですか?」
「どうか、なりそうだったから」
息が止まりそうになった。鼓動の音がドライヤーの音より大きく感じる。鼓動の音を聞かれてしまいそうな気がした。ドライヤーを持つ手が震えた。
「おかしいなぁ。あたし、レズの才能でもあったのかな」
「…………碧さん」
「なんか、あたし、変なことばっかりいってるよね。ごめん。ほんとに気にしないで」
いま目の前にいるひとが、手の届くひとだと思ってしまいそうになる。
指を伸ばしそうになったとき、碧の携帯が鳴った。
携帯を開いて、碧は耳に押し当てる。
「……うん、うん、いま大丈夫だよ。月曜日、学食でいいの? わかった。じゃあね」
鞄に携帯を放り込んで、碧が振り返った。
「早く片付けて帰ろう。おなか、空いてきちゃった」
柚希は、ほっとしたように頷いた。
片付けを終わらせて、部室から出たのは七時を過ぎていた。辺りはすでに暗くなっている。
「さっきの電話、彼氏からなの」
碧の言葉で、柚希は碧に恋人がいたことを思い出した。
「彼氏っていうか、元彼っていうかだけど」
「別れたんですか?」
「うん。なんかお互い遠ざけてたんだけど、ちゃんと解散したいんだろうね。まじめな性格だから。一応メールで友達に戻ろうって伝えたんだけどさ」
「悲しくないんですか?」
「ないなあ」
「喧嘩したんですか?」
「ううん。優しかったよ。最後まで」
長い付き合いの末の、自然消滅ならば、別れもこんなにおだやかなのだろうか。
「付き合ってどれくらいですか?」
「三ヶ月ちょっとかな」
想像と違ってずいぶん短い付き合いだ。三ヶ月なら、一番楽しい時期のはずなのに。
「あたし、いつもこんな感じなの。優しいひとしか好きになれないのに、優しいひとに優しく抱かれても感じないんだ」
「…………」
「不感症なのにセックス依存症の女の子って、世の中にどれくらい、いるのかなあ」
淡々と他人事のように話す碧が、とても痛々しいと思った。
このひとは自分を飾ることも、隠すこともしない、強いひとなんだと思った。
純粋で寂しがり屋で、精神的にも肉体的にも、辛いことをいくつも乗り越えたひとなんだと思った。
いまこの瞬間、抱きしめたい衝動に駆られた。そんなことを許される立場じゃないのがわかっていたから、かろうじて堪えた。
碧の悲痛な胸の内を訊いたのに、恋人と別れたことに安堵している自分が情けなかった。
「取れちゃったね。グロス」
「碧さんについちゃってますよ」
口紅を分け合ったこの日の出来事が、これから先、どれくらい深く心に残るのだろう。柚希は泣きたい気持ちになった。