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恋を感じるとき  作者: 柏木杏花
柚希
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第五話    高校の回想


 その日も、うだるような暑さだった。

 柚希の部屋は、朝からエアコンをかけっぱなしで、寒いくらい涼しかった。

 夏休みの課題が多い高校だった。ずっと一人でするより、友人と長期戦を交えたほうが、効率も上がるからと、亜衣が昼過ぎから来ていた。一緒に宿題をするつもりだったけど、やはり雑談が多くなる。

 三時を過ぎて、柚希の母親が顔を覗かせた。

「柚希、仕事いってくるね」

「いってらっしゃい」

「亜衣ちゃん、よろしく。帰るとき、気を付けて」

「はーい」

 柚希の母は、銀座で店を二つ持っている。不景気をものともせず、立派に乗り切っていた。人気絶頂のカリスマホステスだった頃、結婚もしないで柚希を産んだ母である。

 だから柚希は、自分の父親がだれなのかを知らなかった。小さかった頃は、知りたいと思っていたが、訊いてはいけない気がして、訊けずにいまに至る。訊いたところで、納得する答えをもらえるとも思ってなかったから、父の存在は諦めていた。

 ずっと夜の仕事をしている母親とは、一緒に過ごす時間が少ない。だから、亜衣のような友人が家に来てくれるのは、母も歓迎していた。

「柚希、彼氏、いないの?」

 この年齢の女子なら、一番気になる話題である。けれど、亜衣がこんな質問をしてきたのは、初めてだった。亜衣は、中学の時、柚希が性同一性障害と診断されて苦しかった頃、そばで支えてくれてきた。その亜衣が、こんな質問をしてきたということは、自分はもう、普通の女の子に近いのだろうと、柚希は思った。

「いないよ」

「片思いも?」

「うん。なんでかなって、自分でも思うけど、テレビでアイドルとか見てても、なんとも思わない。女の子の方が見てるかな。髪型とか、服装とか」

「クラスの男子は?」

「なんか、みんな苦手かも。話とかは普通にできるけど、できればあんまり近づきたくない。熱っぽい視線で見られると、怖いっていうか、気持ち悪いっていうか……」

 性同一性障害なら、好きになるのは男のはずだ。けれど柚希は、いままで、同性にときめいたことがなかった。

「なんでだろ。なんか生理的に無理な気がする。いつか、好きになれる男の子が現れるとは、どうしても思えない」

 開いたノートに頬杖をついて、柚希はずっと一人で悩んでいたことを吐露した。

「柚希って、ほんとに性同一性障害なのかな?」

 亜衣の言葉に、柚希は驚いて顔をあげた。

「だって、生理的に受け付けないって感覚は、年齢を重ねたってそんなに変わらないんじゃないの?」

「……………」

「世の中には、結婚して子供もいるけどオネエなおじさんもいるし、彼女がいるけど女装が趣味って人もいるじゃない。柚希はそっちなんじゃないの?」

「そんなこと、思ってみたことない」

 医者に診断されたから、そうだと思っていた。女の子の服装に身を包んでみたら、妙に落ち着いた。なのに、男に恋愛感情を抱いたことは一度もない。でも、女の子に恋愛感情を持ったこともないのだ。

 亜衣の言葉で、ますます自分をどこに位置付ければいいのか、わからなくなってきた。

 ふいに亜衣が膝で移動してきた。二人でベッドを背もたれにして並んで座る。

 亜衣は柚希の手を取ると、自分の胸に乗せた。

「どう?」

「亜衣? 急になに?」

「いいから、感想は? 気持ち悪い? 生理的に無理な感じ?」

「………気持ち悪くないし、生理的に無理とかは思わない。柔らかいし、大きいなって思う」

「もうちょっと先まで、確かめる?」

 正直にいえば、確かめてみたい。けれど、亜衣にとってこれから先の行為は不愉快なものになるだろう。もし、柚希が男としてまともだったら、亜衣は好きでもない男と初体験をしてしまうわけだし、まともでなければ、自分の身体に反応してもらえなかった、魅力がなかったと自信を失ってしまうかもしれない。

「やめよ」

「なんで?」

「亜衣にはいいこと、なにもないじゃん。それに、大事な友達をなくしたくない」

「わたしは、こんなことで柚希の友達を降りたりしない。確かめることは柚希にとって大事なことだから、わたしが役に立ちたい。他のひとに任せたくない」

 亜衣の友情が胸に沁みた。この先、だれかに恋をしてもしなくても、亜衣が友達でいて欲しいと思った。

「ありがと、亜衣。ごめん…」

 柚希は、ゆっくりと亜衣に顔を近づけた。


 ………結論からいえば、柚希と亜衣の行為は、キス以上セックス未満で終了した。性器を擦り合う行為は、不快感こそなかったが、性的に興奮することはなく、柚希の男性器が勃起することはなかった。

 ホルモン剤の摂取が影響しているのか、精神的な要因があるのかもはっきりしない、曖昧な決着だった。

 ただ柚希は、この出来事に深く感謝した。亜衣には、この中途半端な情交を忘れてしまうくらい、かけがえのないひとに出会って、恋をして欲しいと願った。









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