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第四十八話   柚希の部屋 男でも受け入れてもらえるまで


「怖かった~。なんなの、あれ?」

 理学部のお化け屋敷から出てきた碧は、心臓がバクバクいっていた。

 不覚だった。

 柚希が怖がっているのを見たかったのに、それどころじゃなかった。

「碧さん、大丈夫ですか?」

「…あんまり、大丈夫じゃない。瀬戸さん、怖くなかった?」

「怖かったですよ」

 ……そうだった。このひとは、あまり感情が出ないのだった。

「怖かったんですけど、興味深くて、意識がそっちに行ってました」

「なにが興味深かったの?」

「少ない予算と限られた空間の中で、素人がどうやって恐怖心を引き出すのかと思ってたんです。色とか音とか、あとは温度もそうだし、すごく工夫してるんだなあって……」

「……瀬戸さんって、心理学得意?」

「はい。得意っていうか、好きです」

「さくらと気が合いそうだよ……」

 柚希はさくらのような鋭さはない。むしろ鈍い印象があるのに、共通する部分があったのは、少し意外だった。

 昼食を終えたあと映画研究部の上映会を見るために、視聴覚室に行ったのだが、時間ぎりぎりだったので満席だった。何度か上映すると訊き、夕方にまた来ることにした。

 時間が余ったので、昨日冗談交じりで誘ったお化け屋敷に行ってみたら、このていたらくである。

「可愛いとか面白いって、思ってみたかったのに……」

「は?」

「なんでもない」

 そのあと、いったん、それぞれ持ち場に戻った。文学部の屋台は、おおむね好評のまま、問題も起きなかった。法学部のタイカレーは、三時前に完売してしまい、そのまま片付けまで済んだ。

 夕方、碧の当番が終わったあと、メールで待ち合わせた。法学部の先輩が部長をしているという映画研究部に行って、昼間、見られなかった映画鑑賞をした。

 大学はイベントがすべて終了し、一般客が帰ると、学生の飲み会と化す。写真部の部室も同様で、碧と柚希もしばらくはその場にとどまり、写真部員やその友人たちと飲んだり食べたりした。

 八時を回って、柚希が立ち上がった。

 碧も他の部員に別れを告げて、柚希のあとを追いかけた。


 柚希の部屋に着くと、あの日の出来事がよみがえった。

 初めてここに来たとき、柚希のことを同性だと思っていた。この部屋で、同性の柚希に恋をしていた。部屋から出ていくとき、柚希が異性だと知って、失恋したような失望感を味わった。

 ついひと月ほど前のことなのに、ずいぶん前のことのように思えた。

 前に来たときに見たフォトフレームが、同じ場所にあった。

「これ、見ていい?」

「どうぞ」

 前回、京都の写真が最後だったページの続きに、韓国で撮った写真が追加されていた。

 碧が見たいといっていた、唐辛子やキムチが山積みになって売っている、市場の風景が何枚かあった。

「韓国、愉しかった?」

「いえ、あのときは碧さんに振られて、落ち込んでましたから」

「振ってないよ。びっくりしただけだから」

「あの日の夜中に、亜衣から写メールが届いたんです」

「え? 韓国に?」

「はい。碧さんの寝顔の写メール」

「…………?」

 碧は記憶を手繰り寄せた。柚希が韓国に行った日、碧は亜衣の部屋に泊まった。寝顔を撮られたというなら、そうかもしれない。亜衣がどうしてそんなことをしたのかは、よくわからないが。

「亜衣や小畑さんが羨ましかったです。同性の友人なら、そばにいられるし、ずっと懇意でいることができるんだと思って。私はどっちも選べたけど、ちゃんと形にする前に、碧さんに嫌われたんじゃないかって思って、後悔しました」

 碧はフォトフレームを元の場所に戻して、ソファーに腰を下ろした。前に来たときと同じ場所に座ったのに、気持ちはまるで違う。それは、隣に座る、柚希も同じだろう。

「……あたし、なんで瀬戸さんが男じゃ嫌なのか、自分でもずっと不思議だったの。色々あるのはあるんだけど、一番の原因は、水着かもって思ったんだ」

「水着?」

「うん。夏休みにさくらが、海合コン行こうって誘ってきたことがあったの。そのとき、瀬戸さんも行かないかなって話になって……」

「小畑さんって本当、心臓に悪いですね。だいたい、なんでそんなしょっちゅう、合コンになるんですか?」

 柚希は、自分も誘われかけたことより、碧がいつ合コンに行ってしまうか、心、穏やかではいられないようだ。その合コンに連れ出してしまう張本人のさくらに対して憤慨している。

「さくらは合コンの雰囲気が好きなのもあるんだけど、そうじゃなくて、そんなのどうでもよくて、あたしそのとき、瀬戸さんの水着姿、可愛いだろうなあって想像したの」

「…………」

「そのときイメージが固まっちゃって、瀬戸さんの身体が男だって、どうしても考えられなかったみたい。勝手に変な想像して、切り替えができなかっただけかも。怒る?」

「怒りません。私の場合、そんな程度じゃありませんから」

「瀬戸さんが?」

「想像できないですか?」

「うん」

「私、碧さんとキスしたら、勃ってましたし」

「! 本当に?」

「初めてキスしたときは、よくわからなかったんです。違和感はあったんですけど。はっきりわかったのは、大学の図書館で偶然会ったあと、部室でキスしたときです」

「夕立、降ったときだよね」

「はい。あのときは、自分でもはっきり自覚できたんです」

 あの日のことは、全部、覚えている。柚希が『私、碧さんじゃないと、駄目みたいですよ』といってくれたから。

 それまでだれも、そんな風に自分を特別扱いしなかったから、忘れられなかった。

 その場の雰囲気で、軽く出た言葉には聞こえなかった。心の奥から絞り出したかのような、真摯な響きがあった。

 あの言葉には、そんな事情が隠されていたのか。

「幻滅しました?」

「ううん。ちょっとびっくりしたけど、嬉しい」

「嬉しいんですか?」

「嬉しい。亜衣ちゃんから、瀬戸さんがずっと性転換を愉しみにしてたって訊いたから、あたしを同性愛者にしないために諦めたって訊いたから、どうしていいか、わからなくなってたの」

「碧さん……」

 柚希は、困惑したような顔をした。

「正直に答えて。あたしは瀬戸さんの夢を、奪っちゃったの? 瀬戸さんはあたしのために、犠牲になるの?」

「違います。諦めたとか、犠牲とか、そんなんじゃないんです」

 柚希はかぶりを振った。

「ずっと、自分のことがよくわからなかったんです。どうして性同一性障害なのに、男に恋愛感情を持てないのか。どうして碧さんだけが、こんなに……こんなにも…特別なのか……」

 柚希はおそるおそる、碧の肩を抱き寄せた。壊れ物に触れるようなしぐさだった。柚希の首元に鼻先を寄せると、柑橘系の匂いがした。

 その匂いで、柚希に恋焦がれていた自分を思い出した。

 恋は、いくつも経験してきた。

 激しかったり穏やかだったり、さまざまだったけど、いまほど優しくて、切ない気持ちになったことはなかった。

 以前碧は、柚希に対する切なさを、同性だからだと思っていた。

 けれどいま、男とわかっているのに、やっぱり切ない。いままでよりずっと、愛しくて切ない。

 同性だからじゃない。柚希だからだ。柚希に出会えて、よかった。

「碧さんのおかげなんです。生まれてきた性別に、意味があって嬉しかったんです」

「あたし、瀬戸さんがこれから、どんな選択をしても、そばにいたい。離れたくない」

 碧は柚希の首に腕をからませた。俯いて、額を柚希の肩に乗せた。

「だから、あたしのことは考えないで、自分の気持ちだけで考えて。もしあたしが、手術して女の子になって欲しいっていったら、するの?」

 目を見ては訊けなかったから、俯いたまま尋ねた。矛盾した質問だけど、きっと柚希は、自分の質問の意味をわかってくれる。そう、信じた。

「……しません。碧さんに男でも受け入れてもらえるまで、時間がかかっても粘ります」

「そっか。よかった……」

 それが柚希の選択なら、柚希の本心なら、碧は安心できた。

「前に、ここに来たとき、脱がせて写して、脅迫していいかって、訊いたよね」

「あ、あれは……」

「してもいいよ」

「碧さん!」

「それとも、キス以上は無理? 裸、見るのも気持ち悪い?」

「え? なんですか、それ?」

「セックスに嫌悪感あるんでしょ? いままでHなDVDも見たことないんでしょ?」

「……ああ、亜衣から訊いたんですか?」

「うん。違うの?」

「まあ、以前はそうでした。自分の身体も気持ち悪いと思ってましたから、他人のそういう行為を見るなんて、とても考えられませんでした。いまでもできれば避けたいですけど、必要があれば、見れなくはない気がしてます」

「必要って……?」

「知識として必要なら。あんまり、なにもわかってなかったら、碧さん困りませんか?」

「え? え? 瀬戸さん、そういうこと、できないんじゃないの?」

「……キスしたら勃ってたって、いいませんでした?」

「いった……けど、でも…」

 多少、生理的に身体が反応するのと、セックスへの興味は違うと思っていた。

「碧さん、セックスできない覚悟で、好きになってくれてたんですか?」

「……うん」

「セックス依存症なのに?」

「うー…ん、だって……」

 自分でも不思議だった。恋人ができれば、すぐに性行為に結び付けていた。セックスがしたかったのか、恋愛がしたかったのか、よくわからなくなっていた。でも、柚希を好きになってから、そうした不安定で情動的な欲求は収まっていた。

 持田から電話がかかってきたときも、動揺はしたけど、碧はちゃんと柚希を選んでいた。

「碧さん、嬉しくて、おかしくなりそうです」

 柚希が抱きしめてくれた。

 碧は柚希の背中に腕を回した。唇を重ねると、途端に官能的な心地になった。

「碧さん、してもいいですか?」

「うん……」

「でも、ひとから少し話を訊いた程度で、やり方とか、よくわかってないんです。嫌な思いをさせるかもしれませんよ」

「いいよ。もし、途中でできなくなっても気にしないから……だけど…」

 碧はいままで経験したことがない、弱気を口にした。

「もし、あたしとして、瀬戸さんが気持ち悪くなっても、二度とセックスは嫌だと思ってもいいから、だから、嫌いにならないって約束して」

 セックスでこんな心配をしたのは初めてだった。でも、柚希と普通に事が済むとは思えなかった。いざ、異性の裸を目の当たりにして、どれほどの嫌悪感が柚希を襲うのか、想像ができない。

 もしかしたら、これから行う情交があまりにも不快で、やっぱり性転換したいと言い出すかもしれない。

 それでも、いま柚希が『したい』なら、したっていいと思ってる。碧はただ、なにがあっても、柚希と別れたくないだけだった。もし、性転換するなら、その未来も含めて受けとめたい。

「碧さん……どうしてあなたは、そんなに……」

 柚希の震える声は、途中でかすれて、そして、互いの吐息に飲み込まれた。





これで終わってもいいような気がするんですが、まだちょっと続きます。あと二話は柚希視点で投稿します。一応、明日、明後日、更新予定です。この48話も含めて、いろいろ触り倒してるんですが、私の能力的限界もあるので、時間をかければ良くなるものでもない気がしますので。


……この48話と次の49話の間の話を、ムーンライトに投稿してます。そこそこ生々しいエロストーリーですが。18歳以上で興味があって、男の柚希でも大丈夫な方は「恋を感じる夜」で探してみてください(笑)


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