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第四十六話   M大 学祭二日目 行き着きたい場所


 翌日、碧は九時過ぎに大学に来た。学祭二日目、最終日である。

 昨日、結局見ることができなかった写真部の作品展を、少しでも早く見たかった。

 学祭は、十時からなので、準備に入る学生も、まだ少ない。学生課で部室の鍵を借りて中に入った。

 学祭前日に、みんなで部室の大掃除をした。机や椅子をすべて撤去した部室は、こんなに広かったのかと驚いた。

 余分なものを暗室に詰め込んで、壁面パネルを運び入れた。

 碧はそのあと、文学部の屋台の準備に駆り出されたので、他の部員の写真作品を、ほとんど見ていなかった。

 最初に目に飛び込んできたのは、松浦の写真だった。

 夏休みに、スタジオで写したあの柚希の写真だ。幻想的な雰囲気で、展示している写真の中でも、ひときわ存在感がある。さすがは松浦だ。柚希の綺麗な容姿だけではこれほどの写真にはならないし、松浦の腕だけでも、この作品はできなかった。

 松浦の表現したかった世界観に、柚希が見事に応えた写真だった。

 碧にとって見覚えがある白いオーガンジーを身に着けた写真の隣に、もう一枚、対をなすように柚希を写した写真が並んでいた。

「これは……?」

 背景や光の状態がそっくりなので、同じ場所で撮った写真であることは、間違いない。けれど、その写真は、碧が初めて見るものだった。なぜなら、その柚希は水色のオーガンジーに包まれているからだ。

 今どきはパソコンで服の色だけ変えることもできるが、白を水色に変換すると白い壁の背景や、肌の白い部分まで色が変わってしまう。それを避ける方法もあるが、相当手間がかかるし、それに、松浦がそんな加工技術を取り入れたことは、いままで一度もなかった。

 別の日にスタジオを借りて撮影したとは考えにくい。手間と費用を考えれば無駄だし、もしそうだとしたら、柚希から話くらい訊いているはずだ。

「……あ、そっか。あの日、亜衣ちゃんが先に来て、先に帰ってたんだ」

 この水色のオーガンジーの柚希は、碧が来る前に、亜衣が一緒にいたときに撮られたものなのだ。

「あのとき、あたしがスタジオに着いたときには、すでに撮影が半分くらい済んでたってこと……?」

 だとすると、柚希の疲労も大変なものだったはずだ。碧はあらためて柚希の体力と気力に感心した。そして、やっぱりもしかしたらちょっと、男子の体力かも、と思ってしまった。

 水色のオーガンジーの柚希は、穏やかで自然な笑顔だった。まるで、自宅で家族と過ごしているような、少し子どもっぽくて、くつろいだ表情だ。

「……そっか。亜衣ちゃんと二人のときは、こんな顔もしてるんだ」

 以前松浦が、亜衣に対する気配とは全然違うといっていたが、訝しく思っていた。いま、写真を目の前にして、その言葉が本当だとわかった。

 白いオーガンジーの柚希は、憂いを帯びた目をしていて、そして艶めいている。ときどき碧を落ち着かない気持ちにさせる、あの視線が、写真に写しだされていた。

 この写真を撮った時、碧は松浦に指示されて、カメラの後ろに立っていた。あの日、かなりの数の写真を撮ったけど、この写真のことは覚えている。柚希の視線を見ているうちに、キスしたくなったからだ。

「あたし、愛されてたんだ…」

 頬が緩むのを、碧は抑えられなかった。いまの状況を思えば、決して喜んでばかりもいられないが。

 写真のタイトルは二枚合わせて『変化のとき』とある。

 松浦の真意はわからないが、二枚の写真で柚希の表情の違いがあることは理解できた。

 碧は、部室の他の作品を見ていった。

 さくらの写真だけは、すでに知っていた。寮で出来上がったものを見ていたのだ。ランダムに区分けされたひとつひとつに、ほほえましいキスシーンが収められていた。自分もその中にいるのが、どうにも居心地が悪い。目を瞑っているので、すぐに碧だとわかるひとは、それほど多くないはずだけど。

 佐々木は予想通り、電車の写真だ。タイトルにも電車の名前が書いてあるが、その名前を見てもどこを走っているどんな電車か、わからなかった。先日、亜衣の部屋からドクターイエローを撮影したとき、気を付けたのに、ちゃんと撮れなかった。そのときのことを思うと、佐々木の技術の高さには、舌を巻くものがある。

 他の写真を眺めながら歩き進めると、奥の壁に、喫茶店のような室内から、開いた窓の外を撮った写真があった。窓の外は夕暮れの街中で、人通りのある商店街だ。

 シャッタースピードをかなり遅く設定して撮ったようだ。歩くひとの姿が、残像のように流れている。

 撮影者のネームプレートは、瀬戸柚希である。

 碧はその写真に、引っかかるものを感じて見入った。どこかで見たことがある風景のような気がしたが、思い出せない。

 柚希と一緒に行った場所だろうか。以前待ち合わせしたカフェや食事した店とも違う。気のせいだろうか。そういえば、京都の写真を出品するはずだったから、これは京都の写真かもしれない。だが、柚希の部屋で、この写真は見てなかった。

 首を傾げながら、部室の中をさらに移動した。碧の写真も展示されていた。去年同様、街の景色を写した写真だ。碧の好みは、懐かしさを感じる風景だ。今年もそうした写真を選んだし、去年もそうだった……。

「……去年…、あ、去年の!」

 碧は柚希の写真の前まで慌てて戻り、もう一度柚希の写真を凝視した。

「…これ、去年あたしが写した場所なんだ……」

『汚れたガラスの向こう側』

 柚希は、そのガラスの向こう側から『こっち側』を写したのだ。

 驚いた……。

 あのときの、なんでもない風景写真の続きを見ることになるとは、想像したこともなかった。

 碧はいままで、こんなに感動的な写真を見たことがなかった。

 見ているだけで、涙が溢れてきた。他のだれも、この写真で感動なんかできない。この写真は、碧に見せるためだけに、撮影されたのだ。

 写真のタイトルは『行き着きたい場所』だった。

 ガラスで区切られた空間を、柚希は開け放してくれたのだ。

 柚希が男だったからといって、別のひとのようだなんて、どうして思ったのだろう。柚希はなにも変わっていなかったのに。

 柚希であることがなにより大切で、性別が大切だったわけではなかったのに、どうしてあんなに悩んでいたのだろう。

 早く、柚希に会いたかった。会って、気持ちを伝えたかった。他のだれより好きだと告げたかった。

 部室の扉を開ける音がして、碧は我に返った。

「なんだ、碧ちゃんか。だれかと思った」

「副部長…もう、十時ですか?」

「十五分前だよ」

 十時から屋台の当番なので、そろそろ行かなければならない。

「昨日、ここに来る時間なかった?」

「はい」

「じゃあ、ほとんど初めて見たんだ。どうだった? とりあえず、柚希ちゃんの写真とか?」

 松浦がすぐに柚希の名前をいい出したのは、碧が柚希の写真の前で、泣きそうになっているせいばかりではないのだろう。きっとこの面倒見のいい上級生は、ふたりのことをずっと気にかけていたのだ。

「すごく、感動しました」

「そりゃ、よかった。柚希ちゃんが喜ぶよ」

「副部長、前に瀬戸さんのどこを好きになったか、訊きましたよね」

「ああ、訊いた」

「あたし、瀬戸さんのどこが好きかなんて、わかんないです。でも、性別なんてどうでもいいくらい、好きみたいです」

 松浦はしばらく呆然としていたが、吹き出した。

「あのさ、わかってるのかな。恋愛は男女の間でするのが普通なんだよ。碧ちゃんの言い方だと、決死の覚悟で異性の胸に飛び込んでいくように聞こえる」

「だって、あの瀬戸さんですよ」

「……まあ、あの柚希ちゃんだよね。確かに…」

 松浦はある程度納得したように頷いた。

「きみが柚希ちゃんを、カタツムリや双子と一緒くたにしてないみたいだし、安心した」

「はあ?」

「いや、なんでもない」

「副部長、副部長のこの作品、これが終わったら小さいサイズでいいんで、もらえませんか?」

「欲しいの?」

「はい。部屋に飾りたいんです」

「いいよ。これをそのままあげる。碧ちゃんがいなかったら、撮れなかった写真だから。どっちが欲しいの?」

「ありがとうございます。できれば両方」

「両方?」

「はい。いつか、こっちの写真のような顔も、あたしに向けてもらえるように」

「欲張りだな。碧ちゃんが恋愛事で欲張りになったの、初めて見たよ」

「あたしもです。じゃあ、えびせんの当番なんで、行ってきます」

 碧は、松浦をちょっといいひとかもしれないと思った。写真をもらえるから……と正直にいったら、やっぱりあげるの止める、といわれそうな気がしたので、口を噤んだ。

 碧にしては、賢明な判断だった。





この話を書くきっかけは、ニューハーフの人で女の子を好きになってしまった人っていないのかなあ、と疑問が湧いたからなんです。ネットで見ても、それらしい話は出てこないし、聞かないし、小説も見つからないし、気になるなあ、と思ってました。で、どんな話になるのか、ためしに書いてみたのでした(笑) たぶんありえないんだろうけど、もしあったら、ちょっといいな、と読んでる間だけでも思ってもらえれば、嬉しいです。ためしに書いてみた話が、こんなに長くなるとは思ってませんでしたが。長くはなりましたが、話の中の時間は短くなってます。予定では、柚希の二十歳の誕生日が最終話でしたので~。次の話も学祭2日目なので、一応、明日も更新する予定です。ただ、大苦戦の47話なので、読み返して修正に時間がかかったら、お休みにします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 柚希も碧も自分に似てて、すごく共感できたしとっても嬉しかったし安心しました。 [一言] ニューハーフの人で女の子を好きになってしまった人っていないのかなあ、と疑問が湧いたからなんです。> …
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