表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/50

第四十五話   M大 学祭初日 タイカレー


 夕方の軽音ライブまで時間が空いたので、お化け屋敷を撮影した。そして、学部やクラブの屋台を撮影しておこうと場所を移動する。

 どこにいても、碧は視線の端で柚希を探した。他の友人や顔見知りにはいくらでも会えるのに、柚希には、なかなか会えない。昨年つきあっていた元彼の二人と出くわしてしまったのが、いっそう虚しかった。

 法学部の屋台まで来たとき、碧は撮影を言い訳にして、立ち止まった。レンズ越しに探してみても、柚希の姿は見つからなかった。

「碧さん」

 がっかりしていると、探していたひとの声が、背中から届いた。

「瀬戸さん……いま、屋台担当?」

 振り返って見た柚希の表情は、いままで見たことがないような複雑な表情だった。ぎこちなさと、戸惑いを隠しきれないまま、無理に笑おうとしていた。碧は、自分も似たような顔をしているのだろうな、と思った。

 そして、そんな顔をさせていることが、そんな顔をしているのに声をかけてもらえたことが、嬉しかった。自分はまだ、見捨てられてないと信じられた。

「あの、…お昼、食べました?」

 いまは二時近い時刻だ。柚希にしては間の抜けた発言である。

「えびせん、食べたよ」

「じゃあまだ、入りますよね。カレー、食べていきませんか?」

 柚希の震えそうな声からは、緊張感が伝わってくる。

「……うん、食べる」

 柚希がほっとして笑みを浮かべたのが、胸についた。まともに口を効いたのは、柚希の部屋を飛び出して以来だ。

 鞄から財布を取り出そうとしたら、柚希がそれを制した。

「チケットがあるので、これ、使ってください」

「いいの? お金出すよ」

「いえ、一年は五枚購入がノルマだったんです。二日で五食カレーを食べるのは、さすがに無理なんで、手伝ってもらえると助かります」

「じゃあ、奢ってもらう。ありがと」

 柚希はぎこちなく頷いた。

 テントの中に設けられた席に座って、柚希の後姿を眺めた。ふと、この間、佳奈と交わした会話を思い出した。終始、デート割り勘説を唱え続けていた。援助交際みたいだ、と嘆いていたけれど、結局佳奈は、恋人と長くつきあっていきたいから、あんな考えになるのだ。

 大切な相手だから、デート代のために無理してバイトして欲しくないし、嫌われたくないから、デートの最後まで生理だと打ち明けられなかったのだ。

 碧はいままで、そんな風に恋人に心を砕いたことがなかった。あとから不満を訴えられるのが嫌だから、体調のことはさっさと告白した。それで嫌がるなら別れてもいいと思っていた。

 柚希とのつきあいは、特殊だった。

 後輩の女の子だと思っていたから、奢ってあげるべきは自分の方だと思っていた。一緒に出掛けることはほとんどなかったけど、一度だけ、一緒に外食したときは、柚希が譲らなかったので割り勘にした。

 柚希が最初から男だとわかっていて、それでもつきあっていたとしたら、確かに金銭面で、なにかしらの躓きはあったかもしれない。いままで同性だと思っていたから、うまくやってこられたところも、多かったのだ。

 柚希がお皿に載せたカレーを運んできた。目の前の料理を見て、碧は小首を傾げた。

「これ、カレーなの?」

 確かに、ご飯の上に、カレーのような汁がかかっているが、その色は碧がよく知るものではなく、白っぽくて、緑がかっていたのだ。

「タイカレーです」

 よく見れば、屋台の看板に大きく『タイカレー』と大きく書いてある。柚希を探すことに夢中になっていて、気づかなかったらしい。いままで撮ってきた写真が、心配になってきた。

 えびせん同様、マクロモードで食べる前のカレーを写真に収めた。すべての屋台の食べ物を撮ることはできないが、自分が食べたものくらいは撮影しておきたい。

 小さめの深さがある皿に盛られたカレーは、あちこちの屋台で食べ歩くことを考慮して、量は半分くらいだ。中途半端な時間に食べるには、ありがたかった。

「いただきます」

 手を合わせて、碧はスプーンを手にした。柚希は、向かいの席に座った。この時間になると、テントの中の席も空いている。

「あれ? そういえば、法学部って、インドカレーじゃなかった?」

「そうなんです。でも、インドカレーだと煮込む必要があるらしいので、途中で変更したんです。タイカレーの方が調理時間は短いので」

 エコがテーマの学祭の影響は、文学部のみならず、法学部にも及んでいたらしい。

「エコでお国替えって感じだね」

「そ…うですね、たぶん…?」

 碧はひと口食べて驚いた。

「あ、おいしい。こんなの初めて食べた」

 いままで食べてきたカレーとは、全然違う。他のなにに似ているとも形容しがたい味だった。好き嫌いは別れるかもしれないが、碧は好きな味だった。

「よかった。辛くないですか?」

「辛いけど、なんかちょっと甘い感じもしておいしいよ」

「ココナッツミルクが入ってるんです」

「ねえ、この黄色くて細いの、これ、なに?」

「たけのこです」

「へー、カレーにたけのこ入れるんだ。本場タイ流?」

「いえ、かなりアレンジしてますよ。しめじが入ってるでしょ。本当はフクロダケってキノコを入れるらしいんです」

「そうなんだ。でも、おいしければどっちでもいいよね」

 こんな風に会話を交わすのも久しぶりだ。ぎこちなさが、だんだんほぐれていく。柚希の心地よさを、思い出してきた。なんでもない時間が、大切なものだったと再認識した。

 少し風が強くなった。碧は髪を押さえながら食べようとしたが、食べにくかった。撮影することを考えて、手首にシュシュを付けてきている。けれど、柚希の目の前で髪を束ねることに、躊躇した。この期に及んで未練がましくも、子どもっぽく見られることを心配している。

「碧さん、よかったら、髪、くくりましょうか?」

「…うん、じゃあ、お願い……」

 戸惑っている碧を見てどう思ったのか、柚希の方から申し出てくれたので、シュシュを手渡した。

「ポニーテールでいいですか?」

「うん」

「いま、ブラシがないんで手櫛になりますけど」

「いいよ」

 柚希が背後に立って髪に手をかけた。久しぶりに触れられて、碧はやはり柚希が好きなんだと実感した。

 顔を見られないのが、残念だった。少し会話をして、柚希の存在が大切なものだと確信できるいまなら、たとえ混乱していても、その混乱した気持ちを伝えられそうな気がした。

「……碧さん、私、碧さんのこと、諦めてませんから」

 碧の髪を指で何度も梳き上げながら、柚希は告白した。

 振り返ることも、俯くこともできない体制で、碧は唇が震えた。

「…………あたしも、あきらめてないよ。まだ、前の瀬戸さんといまの瀬戸さんを、繋ぎ合せられないだけだから……」

「…この間、小畑さんと話をしたんです」

「さくらと?」

 そんな話は、さくらから訊いてなかったので意外だった。

「碧さんは嘘が嫌いなんだって、教えられました。だから自分も、嘘をつくのが下手なんだって。私は結果的に、ずっと碧さんに嘘をついてきたんで、嫌われてもしかたないと思ってました」

「…それは……」

 そうなんだろうか。柚希は嘘をついていたのだろうか。

 確かに、碧が柚希を女だと思っているのを知っていて黙っていたのだから、嘘をついていたことになるかもしれない。けれど、そんな短絡的な言葉で片付けられない複雑さが、柚希にはある。

 いままで経験してきた、たとえば、持田が浮気をしてごまかしてきたような嘘とは、性質が全く違う。

 何度も柚希が送ってきたシグナルに気づかなかった自分も、非は同じだ。むしろ、ずっと悩み苦しんだ柚希より、碧の方が無神経だった。

 最初に柚希は、隠していることを伝えたら、軽蔑されるか嫌われる、と心配していた。その行為は嘘をついてきたとはいえないはずだ。

 髪から柚希の指の存在がなくなった。束ね終わった気配に、触れられていた時間を惜しむ気持ちになった。もっと、時間のかかる髪型を願えばよかった。

 話したいことはまだたくさんあるが、いまこの場所で、なにかと注目されやすい柚希と、これ以上込み入った話はしにくかった。

「瀬戸さん、今日はもうあちこち回ったの?」

「写真部とエントラスは行きました」

「エントラス、どうだった?」

「みんな立ち止まって見てましたよ。自分の写真を見つけて、指差して記念写真、撮ってる人の行列ができてました」

「ほんとに? うわ~、早く見に行きたいな~。去年はほとんど一般のひとは参加しなかったから、作品展のついでに学生が見てるだけだったし」

「碧さんまだ、行ってないんですか?」

「うん。エントラスも、写真展も行けてない。時間が決まってるのを撮ってから、ゆっくり行こうと思って」

「写真、撮ってるんですよね。なにを撮ったんですか?」

「開催のあいさつでしょ。お笑いライブでしょ。ペットボトルハウスに、あと、お化け屋敷も行ったよ」

「お化け屋敷にカメラ持って、ひとりで入ったんですか?」

「ううん、出入り口だけ。写真はそれでいいんだって。悲鳴が聞こえてきたよ。出てくるひとの中には、泣きそうになってたひともいたし」

「理学部のお化け屋敷、評判ですよね」

「瀬戸さん、お化け屋敷、得意?」

「う~ん、どっちかというと、苦手かも…」

「そうなの? 明日、一緒に行ってみる?」

 からかうような視線を送ってみる。柚希は苦笑した。

「碧さん、愉しそうですね」

「怖がってる瀬戸さんを見てみたくて」

「趣味、悪くないですか?」

「そう?」

「はい。でも、誘ってもらったのは嬉しいです。明日、碧さんはいつ頃、自由時間なんですか?」

「明日はえびせんの当番が午前十時から十一時までと、午後は三時から四時まで。それ以外は空いてるよ。えびせんに問題が起きなければ」

「問題、起きそうなんですか?」

「思ったより数が出てるみたいで、さっき、亜衣ちゃんが買い出しに行ってたんだ。明日もそんなことになったら、どうなるかわかんないし。卵がいくつ出るか計算できないんだよね」

「ああ、なるほど……」

「ごちそうさま」

 食べ終わって、ずいぶん経ってから碧は手を合わせた。この言葉をいうと、立ち去らなければならない気がして、なかなか、いえなかった。けれど、そろそろ撮影に戻らなければならない。

「ね、明日はっきり空いてる時間わかったら、メールしていい?」

 柚希は驚いたように、目を見開いた。しばらくして、ゆっくり頷いた。

「…はい。…お願いします……」

 碧も柚希も、お互いに相手をあきらめていなかった。けれど、気持ちに踏み込んだ行為には、まだ行き着けそうにない。

 もしかしたら、このまま友人の関係になっていくのかもしれない。そしてそれが、案外、居心地のいい、正しい関係なのかもしれない。

 碧は柚希との距離を、まだ掴みきれずにいた。


 結局その日、部室の作品展まで見には行けなかったが、エントラスの名画、青いターバンの少女を見ることはできた。

 碧が行ったのは、すでに陽が傾いていた夕方だったが、多くのひとが名画を囲っていた。

 名画の写真は、昨日設置したときに、佐々木がちゃんと撮っている。部員全員の集合写真もこの名画の前で撮った。碧が今日撮っておくべきものは、名画を見学するひとの様子だ。場所を変えて、何枚か撮影した。

「おかあさん、あたしの写真、この中にあるの?」

 小さな女の子が、母親の腕にしがみついていた。

「ないわよ」

「ええ~、なんでないの?」

「この写真はきっと、ここの大学生のお兄さんやお姉さんたちなのよ」

「だって、赤ちゃんの写真あるよ。おばあちゃんの写真もあるよ。なんであたしのはないの?」

 母親が困っていたので、碧は近づいて行って説明した。来年もあるので、よかったら参加してください、とお願いしたら、親子は喜んで帰って行った。

 来年までの一年を、柚希と一緒に過ごしたかった。

 この企画をまた共有して、喜んだり困ったりしながら、時間を刻んでいきたい、そう思った。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ