第四十四話 M大 学祭初日 えびせん
足の爪がこんなに早く伸びてしまうものとは、碧は思ってなかった。
柚希の部屋を飛び出してからそろそろ一か月。足の爪が限界に達してしまった。
明日は学祭初日である。初日はカメラを担いで一日中、キャンパスを歩き回るので、歩きやすいスニーカーを履くしかない。しかたがないので、碧は足の爪を切った。
すでに、根元はマニキュアが姿を消していた。切った部分がなくなったので、碧色に染まった部分は、ずいぶん小さくなった。
伸びた爪の長さの分だけ、柚希と言葉を交わしていなかった。柚希に触れていなかった。
柚希に塗られたマニキュアをすべて失ったら、元に戻せないような気がしてくる。
早く、なんとかしたかった。せめて、話だけでもしたい。柚希がまだ、自分のことを見限っていないと信じたい。けれど、一度きっかけを失うと、どうすればいいか、わからなかった。
いいかげん、往生際が悪いのは自覚している。けれど、柚希に対応できる自信は、まだなかった。
「明日、学祭で会えるよね……」
写真展。法学部の屋台。それからエントラスホール。あとはお笑い芸人のライブ…?
お笑い芸人のライブで会っても、切実な心情を告白するのは、難しい。
会いに行く勇気はないけど、もし偶然会えたら、なにかを変えられる気がした。
(神様どうか、明日、瀬戸さんに会わせてください)
普段、信じても拝んでもない神様に祈ってみる。さくらが訊いたら、罰が当たるよ、と呆れそうだ。
碧は、落ち着かない心地で、その夜を過ごした。
学祭初日は、大変な騒ぎだった。
去年経験してるからわかってはいたが、今年は写真を撮らなければならないので、スケジュール表を手放せなかった。
初日しかないお笑い芸人のライブと、夕方から同じステージで行われる軽音部のライブは、絶対にミスが許されない。本当はチケットが必要だけど、腕に写真部の腕章をつけているので、フリーパスだ。
それから、実行委員の開会のあいさつも写真に収める必要がある。こうしてスケジュール表に印を付けていくと、かなりの時間を拘束される。
「なんか、面倒くさい……」
今更ではあるけれど。写すのが動画でないのがせめてもの救いだ。
午前中は、あっという間に終わった。写真部の部室どころか、エントラスホールに行く時間もない。
昨日の夕方、名画は無事展示できた。小さな写真を貼り合わせていたときは、本当にこれが、あの有名な絵画になるのかと、不安だったが、すべてのパーツを貼り合わせ、一枚になったとき、思っていたよりクオリティーが高くて感動した。
撮影に協力してくれたひとたちが、どんな反応をしているのか、早く見に行きたい。
学祭の写真は記録用だから、コンパクトカメラでいいといわれたが、去年松浦が写した写真を見てしまったので、一眼レフにした。人物は苦手なのに、重いカメラで写す意味があったかどうか疑問だった。
お昼に文学部の屋台に行ってみると、大変な盛況ぶりだった。佳奈とさくら、それに一年の数人が持ち場の時間だったようで、奮闘していた。
「さくら、大丈夫? 人手、足りてる?」
「人手は大丈夫。思ってた以上に数が出て、材料が足りなくなってきたの。亜衣ちゃんと男子がいま、買い物に行ってる」
「うわあ、そうなんだ。明日もなんかあったらやばいね。佳奈も明日はここばっかりいられないんだよね」
「うん。二日目はクラブの方に顔だすから。でも、ずっとじゃないよ。こっちも来るから」
佳奈はそういったが、今日屋台にいるさくらのほうが、明日、初めて屋台に入る碧よりも要領がわかっている。なにかあったときに、対応できる人間は、ひとりでも、少しでも長い時間、確保しておくべきだ。
「さくらが明日写す予定ので、今日もやってるの、あたし撮っとくよ」
「本当? 助かる~。あのね、屋台の様子と、ペットボトルハウス。あとは……あ、理学部のお化け屋敷お願い」
「お化け屋敷って、撮影できるの?」
「看板と出入り口のお客さんでいいらしいよ。副部長がいってたから」
「オッケー、わかった。じゃあ、昼から行ってくる」
「えびせん、食べてく?」
「うん。チケット買ってるし、いま食べる」
碧は財布からチケットを出して、さくらからえびせんを受け取った。
「試食会でいろいろしてみたけど、結局、このシンプルなのと、卵チーズを乗せたスペシャルになっちゃったね」
えびせんに噛り付きながら、こっそり辺りを見廻した。柚希の姿は見当たらない。さくらに、柚希がここに来たか訊きたかったが、やめた。またなにか、いわれるのが嫌だったからだ。
「手間と採算を考えて、無難に落ち着いたのが、ちょっと悔しかったな。エビアボカドとかパラペーニョチキンとか、おいしい案もいっぱいあっただけに」
「来年、考えてみる?」
「そうだね」
食べ終わってからもしばらく喋っていたが、一年に呼ばれて、さくらは持ち場に戻っていった。