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第四十一話   亜衣の部屋 柚希は美少年でした


 いざ、寮に戻ってきたが、眠れそうで眠れなかった。

 目を瞑っても、いろいろな感情が溢れてくる。頭の中の情報を、うまく整理できない。

 断片的にうとうとしたが、結局あまり眠れずに起き上がった。寮長に今日宿泊することを伝えて、掃除当番をこなし、シャワーを浴びた。

 バスタオルで身体を拭いていると、足の爪に目が留まった。昨日の出来事がよみがえる。

 柚希は、同じ色の自分の爪を見て、思い出してくれるだろうか。それとも、思い出すこともなく、別の色のマニキュアを塗るのだろうか。

 碧は、身体の、どの部分より優しく丁寧に、足の爪の水気を拭いた。わずかなかけらも失いたくなかった。


 夕方、亜衣が車で迎えに来てくれた。

 薄緑の軽自動車を見て、この夏休み、亜衣が免許を取りに行っていたのを思い出した。

 助手席に座って、車内の様子を眺めた。女の子らしい装飾だ。

「そういえば、瀬戸さんと車で温泉行くってブログで見たことある。行ったの?」

「あれ、読んだんですか? 行ってませんよ。もう行かないと思います」

「そうなの?」

「自分の好きなひとが他の子と旅行に行くとか、嫌じゃないんですか?」

 車が信号で止まった。停車もなめらかだった。免許取り立てにしては、運転がうまい。

「最初はちょっと嫌だったけど、いまは平気。あたしだってさくらや他の子と旅行に行くことだってあるだろうし」

「碧先輩がさくらさんと旅行に行くのと、私が柚希と旅行に行くのとでは、意味が違いますよ」

「うん、いまとなってはね。昨日までは、一緒だと思ってたから……」

「柚希と温泉旅行に行こうって初めて計画したのは、中学のときなんです。二十歳になったら絶対性転換手術するって心待ちにしてたから。それで、完全に女の子になったら、お祝いがてら、一緒に温泉行こうって……」

「そうだったんだ……」

 やはり、柚希はまだ、身体になにもしていなかったのだ。碧は複雑な気持ちになった。

「最近になって、手術はしないことにしたみたいですよ」

「え?」

「碧先輩を同性愛者にしたくないって」

「…………あたし、どうせなら、手術した後に出会いたかったな…」

 そしたら、こんなに迷ったり悩まなかったと思う。心も身体も女の子だったら、男で生まれてきたひとだと知っても、異性として意識することはなかった。

 柚希に、男に対する幻滅も期待も抱きたくなかった。

 コンビニの駐車場で車が停まった。簡単な夕食とアルコールを買い込む。

 碧はお釣りを受け取る間、煙草が並んだ棚をぼんやり眺めた。

「碧先輩、煙草吸うんですか? うち別に大丈夫ですよ」

「ううん、違うの」

 持田が愛飲していた銘柄が見あたらないなと思ったのだ。よく見たら、見つけられた。どうしてわからなかったのだろうと考えて、パッケージのデザインが変わっていたのだと気がついた。

 何年も思い出さなかったのに、今頃どうしてこんなときに思い出したのか、考えた。

 久しぶりに、車の助手席に乗ったからだ。

 つまらないことでも、人間、完全には忘れられないものらしい。なのに、デザインが変わっているのが皮肉だった。時間の流れとは、こういうことなのだろう。


 亜衣のマンションは、柚希のマンションの近くだった。おそらく歩けば五分もかからない。建物の陰になって見えないが、土地勘のない碧でも、歩いて行き着けそうだ。

 部屋に通されて、座布団に腰を下ろした。寮より広いが、作りは似ている。1DKといわれる部屋だ。寮と違って、キッチンスペースがちゃんと、確保されていた。

 テーブルの上に購入してきた揚げ物やサラダを広げて、ビールを並べた。

 しばらくは、視界に入るテレビの話題を肴にビールを飲んだ。亜衣も、本題に話を振らなかった。けれど、寝不足と変な緊張感から、いくらも飲まないうちに、碧は酔ってきた。

「碧先輩、大丈夫ですか? もう寝ます?」

「寝ない。だって、話、訊きたいんだもん」

「柚希のなにを訊きたいんですか?」

「なにもかも。だってあたし、瀬戸さんのこと、なにもわかんないし…」

 碧はビールの缶を見つめて呟いた。爪の先でたたくと、軽いアルミの音がする。

「そうだな~、いろいろ訊きたいけど、瀬戸さんの名前……」

「柚希?」

「うん。柚希って本名なの? 源氏名なの?」

「源氏名って、芸者じゃないんだから…。偽名かどうかってことなら、本名です」

「なんでそんな名前なの? 太郎とか次郎って名前だったらあたしだって、どんなに女に見えても、男かなって思ったのに」

「柚希のお母さん、女の子しか産む気がなかったらしいですよ。柚子の季節に生まれるから柚希って名前しか考えてなかったそうです」

「じゃあ、冬の誕生日なんだ」

「いえ、夏です」

「へ?」

「柚子が実り始める季節なんですよ、誕生日」

「なんなの、そのややこしさは……」

 碧は思わず脱力しそうになった。苦笑して肩を落とすと、ビールに口をつけた。

 柚子の実が熟す時期でもなく、花の季節でもない。まだ青く小さい実に、柚希の母親はなにかを思ったのだろうか。けれどそれも、なんだか柚希らしい。

 知り合ってから柚希はひとつ、誕生日を通り過ぎたことになる。誕生日すら知らずに、いままでつきあってきたのだと思うと、また気が重くなった。

「亜衣ちゃんは、いつから瀬戸さんが女じゃないって知ってたの?」

「最初から。初めて会ったとき、柚希は美少年でしたから」

 以前、写真部の部室で中学からの同級生だと訊いたことがある。六年越しらしいので、出会いは中学一年ということだ。

「……そうなんだ。好きになった?」

「ええ、好きになりました。わたし、面食いなんで」

 頬杖を突いた顔は、穏やかな笑顔だった。

「好きなひとが女の子になっていくのを、見守ってたんだよね」

「見守るつもりはなかったんですが、結果的に、そうなりました」

「辛くなかった?」

「多少は。でも、柚希は柚希なんで」

「すごいね。中学のとき、そう思えたなんて。あたしなんて、中学のときはめちゃくちゃだったよ。いまだって、瀬戸さんに、どう向き合っていいか全然わからないのに……」

「男だってわかって、ショックでした?」

「うん。目の前が真っ暗になって、頭の中が真っ白になった」

 亜衣は小さく噴き出した。

「真っ暗になって、真っ白になったって、状況わかるんだけど、面白いですね。なんか一瞬、パンダを想像しました」

「笑い事じゃないよ」

 碧が頬を膨らませると、今度こそ亜衣は笑いが止まらなかった。


 途中でピザのデリバリーが届いた。

 柚希と一緒に食べたピザを思い出した。

 あのとき、自分の発言で気まずくなったけど、男の柚希がどんな気持ちだったかと思うと、落ち込みそうだ。あのときだけでなく、いままでに、たくさんのすれ違いを重ねてきたことになる。

「瀬戸さん、どうして亜衣ちゃんと、つきあわなかったんだろう」

「わたしも以前、そう思いました」

 悔しいとか悲しいとかではなく、正直な疑問だった。亜衣ほど柚希を理解しているひとはいないと思う。自分のすべてを知ったうえで好きになってくれたひとを、柚希はなぜ選ばなかったのだろう。

 妊婦になったらヌード写真撮らせてくれ、などと噛み合わない要求をしてくる人間に、どうして心を傾けたのだろう。

「あたしは瀬戸さんが同性でも異性でもいいなんて、いえない。ずっと女だと思ってたし、同性だから愛情も純粋なんじゃないかって思えるから。まして、自分が原因で手術しないなんていわれたら、どうしていいかわかんない。受け止めきれない」

 情けないけど、亜衣とは度量が違いすぎる。

 それでも、柚希を忘れられるのかと問われれば、首を横に振ってしまう。

「親友にも、才能と相性があるんですよ。わたしと柚希は、恋愛じゃなくて、そっちだったんで。柚希が嫌がらなければ、どこまでもつきあいます」

「亜衣ちゃん、あたし本気で尊敬する」

「でしょ。ご遠慮なく、どんどんどうぞ」

「いまどきの若者はズーズーしいなー」

 どこかでだれかにもいったようなことをいって、碧は呆れた顔をしてみせた。







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