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第三十九話   碧の部屋 柚希は女の美学


 寮の部屋に戻ると、碧はベッドに突っ伏して泣いた。

 自分はいったい、だれを好きだったんだろう。

 柚希が男だと考えたことは、一度もなかった。どうしてもっと早く、教えてくれなかったんだろう。

 柚希がなにを隠していても、気持ちは変わらないと思っていた。だけど、こんな展開は、想像もしていなかった。

 柚希の優しさが好きだった。

 柚希のしぐさが好きだった。

 柚希の話す声が好きだった。

 柚希のすべてが、大好きだったはずなのに、いま、柚希の存在そのものがあやふやに思える。

 部屋のドアがノックされて、馴染み深い声が届いた。

「碧、いるんでしょ。晩ごはん、いらないんだって? 食堂で訊いたけど、おなかでも痛いの?」

 ドアに鍵をかけておけばよかった。返事もしないで放っておいたが、案の定、さくらは勝手に入ってきた。

「碧、どうしたの?」

「なんでもない。放っといて」

「泣いてんの?」

「目が痛いだけ」

「目、痛いんだったら枕に顔つけてちゃ余計駄目でしょ。顔上げて」

 碧がしぶしぶ、さくらに顔を向けると、さくらは肩を竦めてため息をついた。

「化粧も落とさないで、なにやってんのよ。クレンジングは?」

「…テレビの下の引き出し」

 さくらは教えられた引き出しを開けて、クレンジングクリームと一緒にあったヘアバンドを持ってきた。

 さくらは、枕を抱きしめる碧にヘアバンドを付けて、クレンジングを塗り広げた。

「その枕カバーも洗濯しなきゃ駄目だよ」

「……うん」

 されるがままでいると、気持ちが少し落ち着いてきた。こんなときはひとりでいるより、だれかと一緒の方が気がまぎれる。ティッシュでクリームを拭き取り、洗面所で顔を洗うと、化粧とともに涙も洗い流せた気分だった。

「体調は?」

「大丈夫」

「じゃあ、どうしたの?」

「……………」

 どう説明すればいいか、わからなかった。話していいのかも判断できないし、訊いてもらいたいのかもわからない。どうしようかと迷っていると、さくらは口を開いた。

「瀬戸さんに振られた?」

 つい先日、自分が似たような状況だったから、そう思ったらしい。

「振られた……って、そっか、あたし、振られたのかな…」

「なんかビミョーにズレたみたいだね。瀬戸さんにカミングアウトされた?」

「! ……さ、さくら…?」

「あ、こっちが正解なんだ」

「嘘…なんで、さくらが知ってるの? 気がついてたの? わかってた?」

「気づいてたっていうか、一緒に瀬戸さんのバイト先のお店に行ったことあったでしょ。あのとき、碧は瀬戸さんと先に帰ったけど、わたしは残ってママさんと飲んだじゃない」

 そういえばあのとき、さくらは上機嫌で柚希の母親と店に残っていた。

「あのとき、ママさんちょっと変なこといってたの。瀬戸さんのお父さんの話になってさ、瀬戸さんがまだおなかにいるときに離婚したらしいんだけど、『私ね、元夫にそっくりな女の子が欲しかったのよね~。真逆に生まれてきてくれて、最初はがっかりだったわよ』って」

「真逆……?」

「そう、真逆ってことは、元夫にそっくりな女の子じゃなくて、自分にそっくりな男の子ってことになるでしょ? ま、わたしも酔ってたから、そのときは訊き流しちゃったんだけど、碧とくっついたとき、思い出したんだ」

「思い出したんなら、そのとき教えてよ」

「だって、どう見ても男の子には見えないじゃん。違ってたら名誉棄損問題だよ。酔ってたときの会話なんだし、勘違いや訊き間違いかもしれないし…」

「そりゃそうか……」

 もし碧がさくらの立場だったとしたら、やはり確信がなければ、軽々しく口にできなかっただろう。

 碧は枕を抱きしめた。またぞろ目に涙が滲んできて、手の甲でまなじりを擦った。

「で、男だとわかってショックなわけだ」

「だって、考えてみたこともなかったし……」

「いままで、全然、気がつかなかった?」

「気がつくわけないよ。さくらだって、男の子には見えないって、いまいったじゃん」

「そうだけど、碧はつきあってたんでしょ」

「………うん」

「あんた鈍いから、それらしいことあっても、気づかなかったんじゃないの?」

「うん………?」

 そういえば、住居が女子寮だと告げた途端、行けないといわれた。あのときは、だれか苦手な相手が女子寮にいるのかと思ったけど、寮に一年はほとんどいない。穏やかで謙虚な柚希に、避けたい相手がいるのも、しかもそれが同級生がほとんどいない場所なのもおかしい。

 男だから行けないといっていたのだろうか。

 女子寮なので、当然男子は入れない。黙っていれば、柚希を男だと思う人はいないだろうけど、もし柚希が大学に自らの事情を申告していれば、管理人も大学の関係者である寮に来ることはできないはずだ。

 それに……。

「あたし、自分がもし男だったら、瀬戸さんとどうなってたのかなって思ってたの。そのこと、瀬戸さんにいったら、逆のパターンを考えないんですか? ってなこと訊かれたことあった」

「……………」

「そういえば、水着も持ってないっていわれたとき、なんでかなって不思議だったんだけど…」

「……碧、あんたの鈍さは犯罪だよ」

「ええ~ッ! なんでよ」

「そこまでして、なんで気づかないのか、そっちの方がおかしいよ。だいたい、人並み以上に男に触ってきた過去の栄光があるじゃん。共通の感触ってもんがあるでしょ」

 いちいち突っかかる言い方だが、いまはそんな言葉尻を捕えている余裕もない。

「ないってば。モデルみたいに痩せてるんだとしか思わなかったもん」

「男だと思わなくても、女にしては変だな、とかそういう疑問は抱かなかった?」

「うん。まったく、全然」

「……瀬戸さんも気の毒に…」

 さくらは大きな溜め息をついて、頭を抱えた。

 確かに、いま考えれば、思い当たることは色々出てくる。強く抱きしめ合ったあと、あんなにくっついても気づかないのか、といった内容の疑問をぶつけられたこともあった。だけどそれもこれも、いま考えれば、なのだ。柚希を女と思い込んでいれば、疑問に思わない。

「あのさ、瀬戸さんって、ニューハーフなの?」

 さくらの疑問に碧は思考を巡らせた。いわれて初めて、そのことに気がついた。柚希が『どの状態』なのかは、本人から訊かなかった。

 パスポートがMなのだから、戸籍が男であることは間違いない。性転換手術をして、戸籍が男のままのひとはいるのだろうか。完全なニューハーフなら、水着を着ても問題ないだろうけど…。

「わかんない。亜衣ちゃんならたぶん、知ってるんだろうけど。でも、もしかしたら、まだなにもしてないんじゃないかな」

 亜衣の名前を出した途端、碧は亜衣に会いたいと思った。他のだれより柚希を知っている人物だ。少なくともさくらと話しているより、建設的な話ができそうだ。

「なんで?」

「瀬戸さん、ピアスしてないの。二十歳までは故意に身体を傷つけないんだって」

「ふーん、だとしたら、すごいね」

 碧は頷いた。この年齢の身体で性別を感じさせないのは、神憑り的だ。

「で、なにがそんなに悲しいの?」

「だって、男だったんだよ」

「あのさ、碧はもともと同性愛者じゃないでしょ。好きになった相手が同性だと思ってたけど、実は異性でした。駄目なの?」

 さくらのいってる意味はわかる。けれど、違うのだ。

 碧は柚希を好きだった。柚希というひとの本質は女でなければあり得ないと思う。

 柚希は女の美学だ。

 柚希が女でなければ、もう、別人のような感じがする。

「碧、携帯、鳴ってるよ」

「……………」

 だれからのメールかなんて、表示を見なければわからないのに、碧はそのメールが柚希からのメールとしか思えなかった。

「いいの?」

「……うん…」

「気持ちは、わからないでもないけど……」

「うん……」

「佐々木くんじゃないけど、碧ってやっぱり、男運、悪いのかな」

「そっか……。そうかも…」

「黄色い新幹線、探しに行くなら一緒に行ったげるよ」

「うん。ありがと」

 碧は、濡れた目でどうにか笑って見せた。

「あーあ、一生で一度の珍しいカップルを間近で見られて、面白かったのに……」

 どうしてこの友人は、いつもひとこと多いのだろう。

 解せない。








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