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第三十八話   柚希の部屋 これが、隠してたことです

 柚希のマンションに、行くのは初めてだった。携帯に登録されたアドレス情報は、いままで何度も見てきた。電車で二駅目にあるマンションだ。いきなり行って、行き違いにならないか、心配だったが、固定電話はないみたいなので、連絡のしようがない。

 セキュリティーのしっかりしたマンションのようで、入り口で部屋番号を入力して、相手に開けてもらわないと中に入れない仕組みになっている。

 柚希の部屋は308号室だった。

 308の番号とインターフォンを押す。いくらも待たないうちに、モニターに柚希の顔が現れた。

「碧さん、どうしたんですか?」

「部室に携帯忘れてたから、持ってきたの」

「え? あ、ありがとうございます。いま解除しますので、入ってきてもらえますか」

 ガラスの重厚なドアが開いた。

 ドアをくぐると、床は顔が映りそうな石材だった。エレベーターが視界に入ったので、そちらに向かう。三階のボタンを押した。

 エレベーターのドアが開くと、柚希が待っていた。

「碧さん、すいません」

 オリーブ色のチノにシンプルな黒っぽい七分袖のTシャツ姿だ。いつも、大学で見る姿よりも、ルーズな格好だった。なんでもない普段着を、モデルのように着こなしているのが新鮮に感じた。

「ううん、大丈夫。えっと携帯……」

 鞄の中を探っていると、柚希に手首を掴まれた。

「部屋に寄って行ってもらえますか?」

「……うん」

 手首を掴まれたまま、碧は柚希の部屋に連れて行かれた。手首から伝わってくる柚希の体温が、とても温かかった。


「どうぞ。散らかってますけど」

 リビングに通されて、柚希はキッチンに向かった。

 落ち着かない心地で、辺りを見渡す。散らかっているといったのは、明日行く旅行のための荷造りのせいだった。

 壁際には小さめのキャリーバッグが置いてある。テーブルの上には、洗面用具やパスポート、タオルや着替えが綺麗に並んでいた。

 部屋は、ちゃんと片付いている。棚の一番手の届きやすいところには、一眼レフとレンズが大切そうに置いてあった。本をよく読むのか、棚に並べきれない分が手前で横積みになっている。それでも、すっきりとした部屋だ。一人暮らしの大学生が住むには、贅沢なマンションだろう。柚希の母親が複数の店を経営していて、最近はスィーツの店も展開していると訊いたので、その恩恵をあずかっているようだ。

 碧は、狭い部屋の大半を占めるベッドの上にパジャマを置いたままにしたりするので、こんなふうにはならない。

 ソファーに腰を下ろした。

「携帯、テーブルの上に置いとくよ」

「はい。本当に助かりました。ついさっき、大学に忘れてきたことに気がついたんです」

 部屋を見渡すと、出窓にフォトフレームが置いてある。めくれば、はがきサイズの写真を何枚も見ることができるタイプのものだ。

「瀬戸さん、この写真、見ていい?」

「どうぞ」

 碧はフォトフレームを手に、ソファーに移動した。

 一番上はカタツムリの写真だ。どこかで見覚えがある。

「? ……あ、これ、あたしがメールで送った写真?」

「はい」

「なんで、自分が撮った写真じゃないのを入れてんの?」

「気に入ってるんです」

「なんで……?」

 プリントアウトするような写真でもないのに、変わった行動だ。

 柚希が紅茶を淹れて持ってきてくれた。ソファーの隣に腰かけたので、身体が揺れた。

 フォトフレームに収まっている写真は、見たことがないものがほとんどだ。

「これは?」

 現代的な建物の一部のようだが、格子模様の向こうに空が見える。

「京都駅の天井です。なんか面白かったので撮ってみました」

 そのあとは京都で撮ったという写真が何枚か続いた。お寺や町屋の風景を撮ってきたとばかり思っていたが、写っているのは都会的な景色ばかりだった。セオリー通りでないところが柚希らしい。

 最後の写真は、松浦が撮った柚希が碧の頬にキスしてる写真だった。

「これも気に入ってるの?」

「もちろんです」

「こんな風に、あとあと残るんだったら、ちゃんと化粧しておけばよかったな。この日暑かったし、スタジオに着いたときには、結構、汗で取れちゃってたし」

 柚希の化粧はちゃんとしているので、正直バランスはよくない。

「じゃあまた、撮り直しますか?」

「他のひとに撮られるの恥ずかしいから、撮るならセルフタイマーがいい」

「セルフで撮るなら、もっと濃厚なキスシーン撮りたいですね」

「そんなの撮って、もしだれかに見られたらどうすんの?」

「現像を店に出さなかったら、だれにも見られませんよ」

「そんなにキス写真撮りたい?」

「はい。振られそうになったら、その写真で碧さんを脅迫するんです」

 碧は思わず噴き出した。もし今の関係が壊れるとしたら、振られるのは自分の方としか思えなかった。

「その発想、さくらと一緒だよ」

「小畑さんにも脅迫されてるんですか? もしかしてあの写真?」

 あの写真というのが、さくらが自分の頬にキスしているところを撮った写真なのだと、すぐに気付いた。どうも柚希は、あの写真にこだわっている。

「なんでよ。学祭に出品するのに、脅迫とかありえないじゃん。そうじゃなくて、瀬戸さんが副部長のモデル引き受けたっていったら、脱がせて写して、この写真をばらまかれたくなかったら、いうこときけ、なんてことになったりしてって………」

 碧は自分で話して、あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れられそうだと肩を竦めた。

「小畑さんって、本当に面白いですね。でも、松浦さんも信用されてないなあ。いいひとなのに」

 たいして気の毒とも思ってないような口調で、柚希は笑っていた。

「でも、キスの写真くらいじゃ、脅迫できないですか?」

「さあ。脅迫なんて、したこともされたこともないから、わかんない」

「脱がせて写して……って鬼畜ですよね。してもいいですか?」

「勘弁してよ」

 紅茶を飲みながら、愉しくも物騒な会話が面白くて、何度も笑い合った。

「碧さん……」

 柚希に髪を撫でられて顔を上げると、口づけされそうな気配だった。唇の距離が近かった。

「駄目…」

「どうして?」

「あたし、いまでもコーヒー飲むたび思い出しちゃうんだもん。今度は紅茶飲むたび変になったら、大学で飲めるものがなくなっちゃう」

「……………」

 いってて大概、恥ずかしい。意識過剰だと笑われそうだ。柚希の顔を見られなくて俯いていると、抱き寄せられた。

「私、碧さんが可愛くてしかたないです」

 柚希の抱擁は胸を締め付けられる。ドキドキしてそして、愛しくなる。

 碧は柚希の背中に腕を回して、自分からキスした。合わせるだけの口づけでは終わらなくて、角度を変えながら深いキスを繰り返した。

 息が苦しくなるほどキスしてぼうっとした。視線を下に逸らせると、柚希の素足が目に入った。

「……あおみどり、みどりあお、エメラルド?」

「え?」

「足のマニキュアの色」

「ああ、これですか? 碧さんも塗っていきません?」

「でも、乾くまで帰れなくなるし……」

「だから塗ってもらいたいんです。帰ってほしくなくて」

「明日、朝、早いんでしょ?」

「碧さんがいま、自分の部屋にいるのが信じられないくらい嬉しいんです」

「………マニキュア、貸して。塗るから」

 柚希はどうして、自分をこんなに深く求めてくれるのか不思議で仕方がなかった。けれど、柚希が求めるなら、どんなことでも叶えてあげたかった。

「私に塗らせてください」

「べつにいいけど……」

 柚希が引き出しからマニキュアを持ってきた。いわれるまま裸足の足を差し出した。

 フローリングに座り込んだ柚希に足を触られて、碧は身体を震わせた。

「碧さん?」

「ううん。大丈夫。嫌とかじゃないの」

 前に髪に触られたときも、心が騒いだ。そのときと似た気持ちだった。けれどいまは二人きりなので、胸のざわめきも受け入れやすかった。

 どうやら自分は、思っていたよりずっと、柚希に夢中になっているらしい。いままで足に触られることなんかなかったから、緊張した。

 足の爪が一本ずつ青とも緑ともいえない曖昧な色に染まっていく。柚希と同じ爪になっていくのが、くすぐったくも照れくさい。こんなことで、この美しいひとに近づけるわけでもないのに。

 触れられているところから、言葉にできないほどの官能を感じた。吐息が色めいた声になりそうなのを、必死で堪えた。

 さくらに訊かれたことを思い出した。同性で好き合ったら、どうなるのかと。異性とつきあうのと変わらないとはいえない。もし柚希が異性なら、とうに性行為に突入している。

 柚希とセックスしたいと思っているのだろうか。

 この美しくも愛しいひとの肌を、味わってみたいのだろうか。

 思いはいつまでも、ぐるぐる回るばかりだ。

 たぶん自分は柚希と寝たいのだ。けれど邪な欲望の対象にしたくないのも、本当の気持ちだと思う。

 キスより先に行く方法がわからないから、かけがえのない存在なのだ。

 こんなにときめいたり、切なくなるのは、男が相手なら誰であってもありえない。

 最後の爪にマニキュアが塗られて、何分か経った。

「爪、もう乾いたかな?」

「もうちょっとです」

「足、もう放して」

「できればもう少し、触っていたいんですけど」

「やだ。なんか変な気分になるもん」

 そんなやりとりをしている間に、爪が乾いた。

「じゃあ、あたし帰るね」

 碧は鞄を肩にかけた。

「碧さん、また来てもらえますか?」

「うん。絶対来る」

 立ち上がったとき、碧の膨らんだ鞄がテーブルの角をかすめた。音がしたので振り返ると、パスポートがフローリングに落ちている。

「ごめん」

「いいですよ」

 碧はパスポートを拾い上げた。開いて落ちていたので、つい中を見てしまう。

「へー、こんな証明写真も綺麗……あれ? これ、間違ってない? 性別のとこ、Mになってるよ。女はFじゃなかったっけ?」

「………………」

「瀬戸さん?」

「碧さん、パスポートは間違ってません。Mで正しいんです」

「え? だって……?」

 柚希は碧の手を取ると、自分の喉に押し当てた。唾液を嚥下して感触を伝える。

 喉仏の膨らみを手のひらに感じて、碧は驚いて手を引っ込めた。頭の中が真っ白になった。

「嘘……だよね。そんなの、違う…よね……?」

 気が動転して、言葉がかすれた。

「これが、隠してたことです」

「………ごめん。なんか、わかんない。なに訊きたいのか、なにがいいたいのかも…」

「碧さん、ずっといえなくて……でも…」

「お願い…帰らせて……。ひとりになりたい」

 碧は柚希の腕を振り切って、部屋から逃げ出した。





ようやく、正体がバレました。長いよ柚希~。ひとから聞かされるではなく、柚希が自分で言うでもない伝わり方にしたいなあ、と思ってたら、こんなに長くかかってしまいました。

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