第三十七話 部室 お前、男運、悪そうだし
土日の撮影会のおかげで、名画の写真はほぼ数が揃った。いよいよ、プリントして貼り合わせる作業に突入する。授業が終わって時間のある一、二年は、毎日、部室に集まる日が始まった。
日に日に、空いた時間も部室に足を運ぶことが多くなった。
作業としては、事務的な内容だ。横の軸がアルファベット。縦の軸が数字だ。たとえば、Dの7という番号の写真は、左から四列目で下から七番目の場所に配置される。
一枚一枚の写真は、同じ場所で写していても、モデルになったひとの服装や、写した時間、カメラで色が変わる。暗い写真は影になる場所に配置されるし、明るい写真は光の当たっている場所に配置される。この作業は佐々木がパソコン上で済ませているのだが、プリントアウトした写真を順番通りに番号を振り分ける作業が、思っていた以上に大変だった。ひとつ、ずれるとすべてが狂ってくるので、ときどき確認しながらの地味な作業だった。
それでも今年は、佐々木がこだわっただけのことはあったと、碧は素直に感心していた。
去年、この役を担当した上級生は、並べながら入れ替えるという、アナログなことを繰り返していたので、余分な手間ばかりかかっていた。
この日、部室には碧と柚希、松浦、さくら、佐々木が入っていた。
「あ~、EかFか、わかんなくなった。佐々木くん、パソコン見せて」
碧が近づくと、佐々木は慣れた動作で、ノートパソコンを碧のほうに向けた。
「眼鏡かけてて、髪が茶色で……、このひと、どこかな…」
「なあ、碧ちゃん、最近、なんで男とつきあわねーの?」
佐々木がA4サイズにプリントされた写真を分割するために、カッターナイフを滑らせながら、ボソリと呟いた。
「6…7…8、あ、あった。Eの8だ。べつにどうでもいいじゃん。興味あるの?」
「どーかな。あるかもな。お前、男運、悪そうだし」
「ほっといてよ」
碧は手にしていた写真の裏に、番号を書き込んだ。
「幸せのドクターイエローって知ってる?」
「幸せの青い鳥とは別物?」
「ちげーよ。黄色い新幹線だよ。見たら幸せになれるって噂なんだぜ」
「はあ? 撮り鉄の都市伝説かなんか?」
どうも佐々木のマニアな会話には、ときどきついて行けない。
「ま、そうといえる部分もあるかもしれねーけど、俺は結構信じてんだな。でも、ドクターイエロー見て幸せになった奴、見たことねーし、お前、最近不幸そうだろ。見て幸せが訪れんのか、興味ある」
失礼な男だ。勝手に男運が悪そうだとか、不幸そうだとか、なにを根拠にそんな発言が飛び出すのか、理解できない。自分は現在、なかなか幸せの最中にいるのだ。相手がこの部室で一緒に作業をしている絶世の美女だと宣言できないのが辛いけど。
「あたしは充分幸せだよ」
「そーは見えねーけどな。もし、ドクターイエロー見たら、教えろよ」
「はいはい」
面倒くさくなってきて、碧はおざなりに頷いた。いままで二十年近く生きてきたが、黄色い新幹線など、見たことも訊いたこともない。これからの二十年も、見ることはないだろう。
「松浦さん、俺、今日のノルマ終わったんで、帰ります」
佐々木は立ち上がって荷物をまとめ始めた。
「お疲れさん」
「わたしも帰ります。寮の掃除当番だし」
「さくら、今日だっけ?」
「そう。碧は明日だよ」
「忘れてた」
さくらと佐々木が部室から出ていくと、室内はいささか寂しくなった。最近、この部室は大勢の部員でにぎわうことが多かったので、こんな静寂は久しぶりだ。
「柚希ちゃんも、終わったら? 今日の分は済んでるんだろ」
「そうなんですけど、明日、来られないので……」
「土曜日だから、どっか行くの?」
尋ねたのは碧だった。
「はい。韓国に。明後日の昼過ぎには帰りますけど」
「ずいぶん慌ただしい海外旅行だね」
「旅行というか、通訳なんですよ。夏にバイトしてた店の店長さんたちが、円高を利用して買い物に行くんですけど、いつも一緒に行ってたひとりが、インフルエンザで行けなくなったんです。他のひとは英語もほとんどできないので、急遽、ピンチヒッターで……」
「韓国って、キムチとか唐辛子いっぱい売ってるのかな。写真に撮れたら見せてね」
「はい」
「あー、なんかキムチの想像したからかな。目が痛くなってきちゃった。顔、洗ってくる」
一時間以上、座ったままで数字とアルファベットを相手にしてきたので、目が疲れてきた。少し作業から放れたかったので、碧は部室を出て洗面所に向かった。
洗面所の鏡を見て、化粧をしていたことを思い出した。顔を洗ったりできないので、手を洗うだけで済ませた。
恋人が男だったときより、身だしなみを気にしている。以前は面倒なので髪を束ねてしまうことも多かったけど、綺麗な柚希を意識して束ねなくなった。子どもっぽいとか、みっともないと思われたくなかった。
同性を意識すると、女子力が上がるのかもしれない。
碧は廊下を戻った。
部室の扉の前まで来たとき、部屋の中から話し声が聞こえてきた。
「…………マスの掻き方でも教えてあげようか?」
「…そうですね……。教えてもらおうかな」
松浦と柚希が話をしているようだ。途中からしか聞き取れなかった。
「柚希ちゃん、あのさ、冗談を本気で受け取らないでくれる? 俺はまだ普通の人生に未練があるんだ」
「なんだ、冗談だったんですか」
「なんていうか、きみら、似た者同志だな。きみも碧ちゃんも、ふらふらしてて、危なっかしいよ」
扉に手をかけたとき、自分の名前が出てきたので、入りにくくなった。どうしようかと迷っていると、柚希の声が続いた。
「そうなんですか? 訊かれたから答えただけですよ」
「自覚がないのが、危なっかしいんだよ」
さっさと室内に入っていかなければ、盗み聞きしているようで気まずい。意を決して扉に指を伸ばすと、また自分の名前が出てきた。
「まだ、碧ちゃんには、あのこといってないの?」
碧は思わず手を引っ込めた。身体が強張ったように動かない。あのこととは、柚希の秘密のことだろうか。
「はい」
「いうの、怖い?」
「何度か伝えられそうだったんですけど、いざとなると駄目ですね。ヘタレで」
「そんなもんだよ、男なんて」
「男って情けないもんですね」
「がっかりした?」
「いえ。私には似合ってるのかな」
おかしい。この二人はだれのなんの話をしているのだろう。途中から、よくわからなくなった。
「正直、自分でいわなくても、他のひとから伝わるのかなって思ってたんです。松浦さんと同じゼミのひとから、大学中に拡がるのかと思ってましたし」
「あいつ、たぶん誰にもいってないよ。ま、きみの人徳ってやつかな」
柚希の口から大きな溜め息が落ちた。
「とりあえず、いま出来ることは終わったんで、帰ります」
「お疲れ」
碧は慌てて来た廊下を引き返した。トイレの壁に隠れて、柚希の足音が遠ざかるのを待ってから、部室に戻った。
「柚希ちゃんとすれ違わなかった?」
松浦が顔を上げて尋ねた。
「隠れてやり過ごしたんで」
「どうして? 二人になりたくなかった?」
「副部長と話してるの、立ち聞きしちゃったんで、顔、合わせられなくて……」
「…そういうことを正直にいってしまうのが、碧ちゃんだよな。黙ってたらわからないのに」
そうかもしれないが、訊かれたのでつい答えてしまう。どうも、先回りして言い訳を考えるのが苦手なのだ。
「どの辺から訊いてた?」
気を悪くしている風でもなく、松浦は写真に視線を落としたまま問う。
「なにかを教えるとかなんとか……」
「それで、訊いてなにか、わかった?」
「いえ、全部聞き取れたわけじゃないし、話の内容もよくわかりませんでした。ただ……」
「ただ?」
「副部長、瀬戸さんのこと、なにか知ってるんですか?」
「知ってるよ」
あっさり肯定されたので、碧は唇を噛みしめた。
「…どうして副部長は知ってるのに、あたしは知らないんですか?」
「逆だよ。柚希ちゃんはきみだからいえないんだ。他のだれよりも」
松浦の言葉に、碧は驚いた。
「……そんなことまで、知ってるんですか?」
「きみらの間に恋愛感情が存在してるってことなら知ってるよ」
「普通、女同士でそうだとは考えないんじゃないですか?」
「いや、身近にいる人なら、そこそこ気がつくんじゃないかな。きみらは二人ともわかりやすいから」
「あたしって、そんなにわかりやすいのかな。さくらにもあっさりばれちゃったんですけど」
「だろうね」
「なんで同性なのに、親友って方向に見ないんですか?」
「柚希ちゃんの場合は亜衣ちゃんがいるからね。亜衣ちゃんに向ける視線と、碧ちゃんに向ける視線は、気配が全然違うよ。きみの場合のさくらちゃんと一緒で」
徐々に世間にばれていく。さくらに続いて松浦にも知られてしまった。亜衣もたぶん知っているのだろう。自分と柚希の過去をわざわざ教えて、柚希を見捨てないでくれ、とまでいったのだから。
良いのか悪いのか判断できない。柚希が他人に知られることを気にしていない様子も、なんとなく腑に落ちなかった。
「瀬戸さんって、何者なんですか?」
「それは、俺がいって良いことじゃないだろうから」
「あたしが知ったら、どうなるんですか?」
「それは、碧ちゃん次第だろう。柚希ちゃんにちゃんと訊けば、教えてもらえるんじゃないの?」
碧は息を吐いて俯いた。確かに、いままで自分は、柚希に強く尋ねなかった。
怖いのだ。なにかが変わってしまいそうで。
けれど、やっぱり知りたい。もっと近づきたいし、もっと好きになりたい。
夏休み、柚希を無理に呼び出して借りていた本を返したあの日から、ずっと歯に物が挟まっているようで、すっきりしない。好きだと告げられて、隠していることがあると打ち明けられた、あのときからずっと。
「とりあえず、これ」
松浦が携帯電話を持ち上げてみせた。見覚えがあるのは、松浦の携帯だからではない。
「それ、瀬戸さんの……」
「正解。明日から韓国に行くっていってただろ。ないと困るんじゃない? 届けてあげれば?」
「もしかして、隠してました?」
「いや、写真に埋もれてただけだよ。教えるのは忘れてたかもしれないけど」
「それって、隠したのと変わらないじゃないですか」
「いいから、早く届けてあげなよ。住所は知ってるんだろ」
「…はい。じゃあ、お先に失礼します」
「ちゃんと、訊いてみなよ。訊きたいこと全部」
「…………」
やっぱり松浦は、なにを考えているかわからないひとだった。
何度も思ってきてるんですが、大丈夫なのかな、この話(笑) 15禁って、どこまでを指すのかがいま一つ解りにくいです。なんか碧視点になってから、会話の内容がアダルト過ぎ? と思っております。明け透けな碧の性格に似たような友人が集まって…って感じですけど、この話に関しては、碧のせいではありません(笑)