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第三十二話   さくらの部屋 もったいな~い


「もー、信じられない」

 さくらはクッションに八つ当たりしながら、碧に不満を吐露していた。

 部屋まで来てくれといわれて来てみれば、顔を真っ赤にしたさくらに力任せに抱きつかれた。扉に背中をしたたかぶつけて、文句のひとつもいおうとした矢先、彼氏から別れ話を告げられたのだと涙ながらに叫ばれた。

「そりゃ、高校卒業してあんまり会えなくなってたけど、でも、そんなの、大丈夫だって思ってたの。いままで喧嘩もしなかったし。なのに、なのに……」

 さくらがティッシュで涙や鼻水を拭きながら、嗚咽をこらえていた。碧はさくらの背中を撫でながら、ただ黙って訊いていた。

 高校時代からつきあっていた恋人が、遠距離恋愛に音を上げたのだ。

 身近にいる可愛い女の子に目がいくことは、よくあることだ。けれどさくらは、自分たちは大丈夫だと思っていたのだ。

 さくらの恋人は家から別の大学に通っていたが、M大とは逆方向だった。

 さくらも碧と実家までの距離は似たようなものだ。二時間くらいだから、もっと会おうと思えば会えたけど、大学のレポートやつきあいで忙しかった。時間を作っても、今度は相手の都合が悪くて、なかなか会えなかった。経緯には理解できるけど、さくらだって、どんなことをしても会いたいという情熱が薄れていたのだ。

 だいたい、浮気する気がなくても、数合わせにしても、しょっちゅう合コンに参加していたのだから、彼氏ばかりを責められない。

「碧って、別れるとき、泣いたことないの?」

「うん。そういえば、ないなあ」

「なんで?」

 少し落ち着いてきたのか、涙は止まったようだ。

「悲しくなかったのかも」

「どうして?」

「さあ? よくわかんない」

「好きじゃなかった?」

「う…ん…?」

 持田以外のひとには、恨みはなかった。好きだったはずだ。優しくて、穏やかで、誠実で、嫌いになる理由など、なにもなかった。

「好きだったよ」

「嘘。だって碧、別れ話にショックも受けてなかったじゃない。大学きてからつきあったひと、全員知ってるけど」

「そうだっけ…?」

「碧が好きになる人って、結婚したら絶対いい夫、いいパパになりそうなひとばっかりだったよね。なのに、結婚願望がないって、矛盾してる。わたしは、彼氏と結婚したらどうなるんだろうって、よく想像してたもん。碧って、好きだったんじゃなくて、好きになれたらいいのにって気持ちだったんじゃないの?」

 さくらの指摘はたぶん間違っていない。碧は口を噤んだ。

「碧って、バツイチみたいな精神状態なのかもね」

「うん…。そうかも」

 持田との交流は、碧の心をすり減らした。恋愛は懲りたといいながら、相手が悪かっただけだと思いたかった。けれど、他のひととつきあってみても、うまくはいかない。失恋で臆病になってしまった。いつか裏切られると用心してるから、いつまでも信じられなかった。

 相手に非があるのではなく、自分の問題だった。

「ねえ碧、なんで男って浮気するの?」

「男だから浮気するんじゃない」

 質問の答えになってない、と自分でも思う。女だって浮気っぽいひとはいるだろう。

 でも、碧の知る限り、男は誘惑に弱い。女は一年近くかけてひとりしか子どもを産めないが、男は一度に何人でも子どもを作ることができる。

 男が浮気をするのは、本能かもしれない。

「あたし、結婚したら、絶対、夫の浮気とか受け入れられないと思う。だから、結婚なんかしたくない」

「持田さんだっけ? はじめてのひと。そんなに好きだった?」

「うん、最初はね。でも、浮気されてからはもう、なにをいわれても疑心暗鬼だった。言葉の全部が嘘に聞こえたし、信じられなかった。好きだったのって、最初の半年くらいだったかも」

「最初に浮気されたとき、なんで別れなかったの?」

 自分の辛さと重なる碧の経験が、いまのさくらには慰めになるのか、自分の話を訊いてもらいたい気持ちより、碧の破れた恋の体験を教えて欲しい気持ちの方が大きいようだ。

「別れるつもりだったけど、嘘つかれたり、謝られたり、ほだされたり、逆切れされたり、許したりで一年半くらい。我ながら、馬鹿だったなあって思ってるよ」

「うん。それは馬鹿だわ。わたしは絶対別れるから」

「そのほうがいいよ。信じられなかったら、いつかは別れるんだし」

「そうだね」

 女子寮じゃなかったら、ビールでも飲みながら、元彼の愚痴を一晩中でも訊いてあげたかったが、禁酒禁煙が規則の寮ではそれもできない。

「長いよね」

「え?」

「碧がだれともつきあってないの。何人かは申し込んできてたでしょ」

「うん。断ったよ」

「合コンにもいかないし。好きなひとでもいるの?」

「…………………」

 答えようがなくて、口を噤んだ。けれどその態度で、さくらは自分の予想が当たっていると確信したようだ。

「いるんだ」

「だから…いるなんて、いってないじゃん」

「嘘つけない性格だよね、碧って。で、だれなの?」

 さくらの失恋を慰めていたはずなのに、どうして自分ばかりが質問されているのだろう。ひとの恋愛話を訊いているうちに気持ちが紛らわされているのだろうけど、いい迷惑だ。まして、相手が同性となれば、白状もできないのだから。

 黙り込んだ碧に、さくらはあっさりいった。

「あのさ、間違ってたら申し訳ないんだけど、瀬戸さんだったりする?」

 碧は飛び上がりそうになった。視線を逸らす程度では逃げられそうになかったので、部屋から出ようと立ち上がる。

「あたし、そろそろ部屋に戻らないと」

「こら、逃げないの」

 腕を掴まれて引き戻された。しりもちをついた碧を、さくらは背中から羽交い絞めにした。

「やっぱりそうか。ふーん」

「もー、違うって」

 もがいて逃げ出そうと試みるが、後ろから両方の肩を捕まえられているので、抜け出せない。

「あのね、簡単に割り出せるよ。好きなひとがいるんでしょ。だれかはいえないんでしょ。碧ってなんでも訊かれたら簡単に答えちゃうのに、いえないってことは、いえない相手なんでしょ」

 さくらは理路整然と述べたてる。

「碧はここのところ、大学と寮を往復してるだけでしょ。いえないような相手で大学の関係者となると、彼女持ちか教諭と不倫だけど、碧の性格でそれはないし、そうすると、もう、限られてくるんだよね。副部長か瀬戸さんかどっちかしかあり得ないの。最近、友達以外でよく会ってるの、その二人だけだし。でも、副部長だったら、もうとっくに決着ついてるはず。で、残りはひとりだけ」

 ぐうの音も出ないというのは、こういう時に使う言葉だと碧は身をもって知った。

「………まいりました」

 碧は逃げることを諦めて、力を抜いた。そういえば、さくらは心理学が得意科目だった。

 はーっとため息をついた顎を、立てた両ひざに乗せて、碧は上目づかいにさくらを見た。

「さくらの失恋なんか可愛いもんだよ」

「それはそうかも。なんか怒ってたのも、悲しかったのも、ぶっ飛んじゃったし。いつから?」

「よくわかんない。いつのまにか」

「瀬戸さんのほうはどうなの?」

「…………たぶん、ある程度は…」

 碧は顔から火が出そうだった。律儀に質問に答える必要はないのだろうけど、いまの自分の様子から、さくらにはあっさり看破されそうなので、同じかもしれない。

「うわ~、あんなに可愛いのに女に走っちゃうんだ。もったいな~い」

 最初の感想がそれなのか、碧は脱力しそうになった。

 本当にこの友人は口が悪い。口だけではなくて、性格も悪かったのだと、いまになって気がついた。

「人間あれだけ綺麗で性格いいと、どっか欠陥あるんだね~。今年の夏は暑かったし、脳が変になっちゃったのかな」

「……さくら、面白がってるんでしょ」

「それはもう、心から」

 理不尽だ。呼び出しに応じて来て、泣いたり怒ったりする友人を慰めていたのに、この顛末は何事だろう。

「碧がコイバナで恥ずかしがるなんて、すごい新鮮」

「なによ、それ」

「自覚ないの? 今日の晩ごはん、なに食べた? って訊いても、昨日の夜、彼氏とエッチした? って訊いても、碧は同じ顔色でありのまま答えるんだよ」

「……………」

 それではまるで、馬鹿みたいではないか。けれど、まったく身に覚えがないわけでもないので、黙り込んだ。

「あれ? そういえば、瀬戸さんって……」

「なに?」

「……ううん、なんでもない」

 さくらは少し、引っかかることを口にしてやめた。小首を傾げてなにか考える様子だったが、気を取り直して碧に身を乗り出した。

「女同士って好き合ったら、なんかイベントみたいなことあるの?」

「さあ? 特になにもない気がするけど」

「じゃあ、友情と愛情の区別はどうなの?」

「さあ……」

「頼りないなあ。男女と変わらない感覚かどうかもわかんないの?」

「え? じゃあ、あたしって、瀬戸さんを抱きたいとか思ってるのかな?」

 驚いたように訊いてくる碧に、さくらは拳を握りしめた。

「そんなこと、わたしに訊いてどうすんのよー!」

 さくらの雄叫びが、狭い部屋に轟いた。








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