第三十話 食事 なんかちょっと、デートみたい
部室を出てわずかな間、碧は柚希の隣を歩くだけで落ち着かない気持ちだった。部室で夕立をやりすごした日から、今日まで会ってなかった。柚希が九月の後半、京都に行っていたからだ。
「京都、どうだった?」
「裁判員制度の講演会は思ってたより、大学生が多かったです」
「講演会のあと、京都に残ってなにしてたの? 法学部の子はほとんど日帰りだったって訊いたけど」
「写真、撮ってました。学祭の個人写真がまだなにもなかったので」
「へー、京都の写真なんだ。そういえば、瀬戸さんの練習じゃない写真って、見たことないな」
「まだ、手探りですよ。愉しいけど難しくて」
「性能を全部覚えなくてもいいんじゃないの? 撮りたいものがはっきりしたら、そのための性能を勉強すれば他は知らなくてもいいよ。その点、佐々木くんははっきりしてるよね。電車が撮りたいって」
「そういえば、そうですね」
佐々木の写す写真は百分の一秒、千分の一秒のシャッタースピードを求められる世界だった。シャッタースピードに関する知識と技術だけは、他の部員の追随を許さない。
「それより、フェルメールブルーの写真、どうしよう。背景にできそうな色の壁なんかないし、色画用紙買って写真部の壁に貼ろうかな」
「写真部の部室に来てくれって頼むんですか? 来てくれますか?」
「うーん、やってみないとわかんないけど、とりあえずしてみて、駄目だったらそれから考えようかなって。瀬戸さん、一緒にしない?」
碧は悩むより先に身体を動かすタイプだった。
「はい。じゃあ、いまから買いに行きますか?」
「ウルトラママンの色画用紙とストール?」
「ウルトラマリンだったと思いますけど……」
「そうそう、それ」
「時間、大丈夫ですか?」
「うん」
碧と柚希は駅前に向かって歩き始めた。
画材店で色画用紙はすぐに見つかった。店のひとにウルトラマリンの色画用紙を見せてもらい、これがフェルメールブルーなんだ、と呟いた碧に、店員は口を挟んできた。
「フェルメールブルーなら、こっちのほうが近いですよ」
見せてもらった色画用紙は、ウルトラマリンとは少し違う。
「群青色ってどれですか?」
出してもらった画用紙は、もっと色味が違った。
「青色のくせに生意気だなあ。ややこしすぎる」
「碧さんの名前も青色じゃないですか」
柚希がくすくす笑っていた。とりあえず、フェルメールブルーに一番近いといわれた画用紙を何枚か購入した。ストールは、無地で色違いを多く扱う衣料品店で購入することができた。
時間が遅くなったので、イタリアンの店で、一緒に夕食を済ませた。
この日、寮は夕食のない日だったので、ちょうどよかった。
「なんかちょっと、デートみたい」
ピザを頬張りながら、碧は無邪気な発言をした。
「デートじゃないんですか?」
柚希は不満そうな顔をしてみせる。
「女同士でも、デートっていうのかな?」
疑問は単純だけど奥深かった。碧も柚希も答えをすぐには、見つけられなかった。
「………碧さん、ありがとうございました」
「なにが?」
「写真。いままで自分が写されるの嫌いだったんですけど、碧さんに写してもらって嬉しかった」
「下手なのに?」
「下手じゃないですよ。私、もともと碧さんのファンだから」
「冗談でも嬉しいけどさ、妊婦になってくれたら、もっといい写真撮るよ」
「私が妊婦になるとしたら、誰かと結婚するってことですよ。碧さんはそれが望みですか?」
「あ…あの、ごめん。そうじゃなくて……」
いわれて初めて気がついた。自分たちはいま、異常な関係なのだ。
柚希のようなひとが、異性とつきあって結婚すれば、だれもが羨ましがる夫婦になるだろう。綺麗で控えめで謙虚なひとだから、どんな男も誠意をもって愛情をそそぐに違いない。
柚希は幸せな未来を掴めるひとなのだ。
男に諦めと失望を抱いている自分とは違うのだ。
碧は、自分の気持ちがかわいそうだと思った。
いまだけでいいから、そばにいたかった。けれど本当は利己的な考えに、飲み込まれそうだった。
ずっと一緒にいられたらいいのにと、願ってしまう気持ちを、碧はどうしても払拭できそうになかった。
なんだかんだ言ってるうちに、三十話まで来ました。色々、予定と違ってきてますが、プロット無しで書いてるので、なにをもって予定と思っていたのか、自分でも疑問です(笑) ざっくりとした予定では、四十二~四十五くらいで終わるかな、と一応考えてますが、話が進むと登場人物たちが勝手に動き回ることもあるので(笑)あくまでたぶん、です。