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第二十八話   部室 瀬戸さん、痩せすぎじゃないの?


「碧さん、碧さん」

 碧は名前を呼ばれて、目を覚ました。図書館で本を読んでいたら、眠り込んでしまっていたらしい。

 顔を上げて辺りを見廻すと、柚希が心配そうに覗き込んでいた。

「瀬戸さん…?」

「碧さん、もうそろそろ五時ですよ。閉館になりますから」

「え? 嘘? そんな時間? 起こしてもらって助かっちゃった。とりあえず出よ」

 碧と柚希は荷物をまとめて図書館を出た。

「瀬戸さんも図書館、来てたんだ」

「区の図書館と交互に通ってるんです。大学の図書館の方が資料は見つけやすいんですね」

 出入り口の脇で立ち止まっていると、退館する学生が脇を通り過ぎていく。中には柚希を見て声をかけたそうにしている者もいる。柚希が着ている服のブランドが、大学で流行ったりしていることに、本人は気づいているのだろうか。

 いまもちらちら見られているのに、まるで反応していない。

「居眠りなんて、珍しいですね。寝不足ですか」

「うん。最近なんかあんまり眠れなくて。そういえば、こないだ副部長から写真のデータ、送ってもらったよ」

「写真? なんの写真ですか?」

「あの…モデルしたときの最後に写した……」

 キスの写真だとはいい難くて、口ごもる。

「瀬戸さんのパソコンのメルアドがわからないからって、こっちに送ってくれたの」

「どうでした?」

「フィルターかかってて、綺麗だった。副部長らしかったよ」

「うーん、イメージできない……」

「じゃあ、いまからうちに来る? メモリにコピーしようか?」

「いいんですか? そういえば、碧さん大学の近くでしたよね」

「うん、女子寮だし」

「え? 碧さん、女子寮だったんですか?」

「うん。いってなかったっけ?」

「…………すいません、やっぱり今日は行けません」

 急に歯切れの悪くなった柚希に、碧は首を傾げた。

「時間ないの?」

「時間はあるんですけど……」

 寮にだれか会いたくないひとでもいるのだろうか。

「碧さん、部室に行ってみませんか? もう少し話したいし、松浦さんがもし来てたら見せてもらえるかもしれませんし」

「うん、いいよ」

 部室に行ってみると、鍵がかかっていたので学生課に鍵を借りに寄った。部室には当たり前だが、だれもいなかった。

「残念ですね」

「夏休み中だし、そんなにタイミングよく会えないよ」

 柚希は夏の間に少し痩せたように見える。顔が小さくなった。

「まだ、バイトしてるの?」

「土曜日だけ。あ、そういえば、バイト先で名画用の写真、六十枚以上撮れたんですよ」

「ほんと? 凄い。佐々木くん喜んだでしょ」

「はい。最優秀選手だって褒められました。あそこのお客さんたち、みんなノリがいいんです。学祭も自分たちの写真がちゃんと使われたか、見に行くって息巻いてましたから」

「うわ~、最高」

 とりとめのない会話は愉しかった。ずっと、このまま時間が過ぎればいいと思う。

 ついこの間までは、キスしたいと思っていたけど、もう、このまま曖昧な関係でもいい。嫌われるくらいなら、柚希を独占できなくてもいい。他の誰と、旅行に行ってもかまわない。またこんな風に、親しく会ってくれるなら、それだけで充分だ。

「……碧さん、いまでも、全部知りたいですか?」

 唐突に、柚希は切り出した。

「知りたいけど、でももういい。あたしも、いえないことあるし……」

 碧は窓の外に視線を移した。柚希を見ていたら、また気持ちが戻ってしまいそうだった。

「最初のひと以外に、まだだれかいるんですか?」

「な…なんで知ってるの?」

 驚いて振り返ると、柚希は存外、穏やかに微笑んでいた。

「碧さんって、なんでも自分で喋ってますよ。最初のひとが最悪なひとだったんでしょ。浮気されたり、殴られたり……」

「……あ、そっか。亜衣ちゃん?」

「はい。ごめんなさい」

「ううん。そうだね。あたし、誰かに訊いてもらいたくなるから。こないだ、そのひとから電話がかかってきて、なんか落ち込んじゃったの」

 椅子に腰かけると、少し気持ちが落ち着いた。窓の外が暗くなってきた。黒い雲が空を覆い始めている。夕立が降りそうだった。早く帰った方がいいのだろうけど、柚希と離れがたくていい出せない。

「結婚するんだって」

「……それで、落ち込んでたんですか?」

 思いもよらない誤解をされたことに気がついて、碧はかぶりを振った。

「違うよ。結婚するからじゃなくて、あたし前に、そのひとのこと、好きじゃなくなってからも別れなかったから……」

 頬杖を突いて部室の壁を見あげる。大きなコルクボードに、部員が写した写真が無造作に貼られていた。柚希が写した写真は、まだ一枚もない。

「もう二度と会いたくないって思ってた。いまでも本当にそう思ってる。でも、最後に抱かれに来ないかっていわれて、動揺したの。抱かれたい気持ちもあったから。好きでもないし顔も見たくないひとに抱かれたいって変でしょ。だから、落ち込んだの」

 碧は柚希の白い顔を見つめた。

「軽蔑してもいいよ」

 急に、バタバタと大粒の雨の音がした。開けた窓から降り込みそうな勢いだったので、慌てて窓を閉めた。柚希がすぐそばにいる。

「碧さん、そんなことくらいで軽蔑なんてしませんよ」

「それだけじゃないんだよ。あたしがどんなことしてきたか……」

 全然わかってない。そう叫びそうになったのに、柚希は荒げた言葉を押し被せてきた。

「それでも、嫌いになったりできないんです」

 柚希は碧をきつく抱きしめた。こんなに身体を密着するのは初めてだった。最初にキスしたときは唇だけを合わせる体制だったし、バイト先に向かう前に抱き寄せられたときは、あっという間だった。この間、頬にキスされたときも似たようなものだった。

 さくらや他の女友達とふざけて接触する感触と、全然違う。本当にモデルみたいな身体なんだなあと思った。

「瀬戸さん、痩せすぎじゃないの?」

「夏だけですよ」

 抱きしめ合ってるのが嬉しかった。体温が伝わってくるのも、鼓動が聞こえそうなのも幸せだった。こんな自分だと知っても、抱きしめてもらえるのが、夢のようだった。

「あたし、瀬戸さんが隠してる秘密について、いろいろ考えてた」

 柚希の肩に頬を乗せて、耳元に呟いた。

「整形してるのかなって、かなり真剣に予想してたんだ」

「整形?」

「だって、あんまり綺麗な顔だから、うさんくさいじゃない」

「うさんくさいって……」

「だから、瀬戸さんのお母さんの登場で振り出しに戻っちゃった」

「それであのとき、なんか様子がおかしかったんですね」

 柚希は愉しそうに笑って、身体を離した。雨はなかなか止みそうにない。

「碧さん、傘、持ってきてますか?」

「持ってない。瀬戸さんは?」

「持ってきてないんです。もう少し小雨になるまで、帰れないですね」

「そうだね。でもあたし、瀬戸さんにずっと会いたかったから、嫌じゃないよ」

 柚希はほっとしたように頷いた。

「それで、私が隠してることがわからなくなったんですか?」

「心当たりはあと一つあるよ。これが外れたら、もう全然わからない」

「訊かせてもらえますか?」

「当たってたら、もう隠さないでよ」

「はい」

 雨の音が、少し小さくなってきた。碧は言葉を選びながら尋ねる。

「亜衣ちゃんでしょ」

「亜衣?」

 柚希は不思議そうな顔をした。

「前に、亜衣ちゃんとつきあってた?」

「……ああ、そういう意味なんですね。つきあったことはありません。でもなにもなかったわけじゃないんです。あんまり詳しく話すのは、亜衣の名誉にもかかわってくるので、これ以上は亜衣に訊いてください。亜衣が話したら私はかまいませんから」

 なんだか煙にまかれたような返答だった。でも、二人の間になにかしらの接触があって、それを隠さないといってくれたことは、碧を安心させた。亜衣のことを慮っている思慮深さも嬉しかった。

「当たりだった?」

「それも隠してはいましたけど、外れです」

「うわ~、もう全然わからないや。お手上げ~」

「さっき、気がつきませんでした?」

「なにが?」

「あんなにくっついても、わからないものなんですね。困ったなあ」

「?」

 苦笑する柚希の言葉の意味がわからなくて、碧は疑問符を浮かべた顔になる。

 ふと外を見ると雨が上がっていた。窓を開けると、雨上がりの匂いがした。思っていたより短い通り雨だった。

「碧さん」

「なに?」

「キスしてもいいですか?」

 さっき、抱きしめられたときではなくて、どうしてこんなタイミングなんだろう。けれど、決して嫌ではないから碧は素直に頷いた。

「うん。どうぞ…」

 柚希が唇を合わせてきた。抱きしめ合いながら、深く口づけた。柚希の両手が碧の耳を大切そうに包んでいた。

 キスがこんなに感慨深い行為だと、碧は柚希に教えられた。あれからずっと、こんなキスをしたかった。けれど、欲しかったのはキスだけではなく、求められる気持ちも欲しかったのだ。

 舌を絡ませる。唾液を交換するような激しいキスに、情愛を掻き立てられた。

「…んッ………」

 吐息が口唇の隙間からこぼれた。唇を離したとき、唇が濡れていたのが、妙に恥ずかしかった。

「碧さん……」

 柚希が強く抱きしめてきた。苦しくなるくらい抱きしめられて、それでも碧は泣きたくなるほど嬉しかった。

「……私、碧さんじゃないと、駄目みたいですよ」

 いままでだれからも、いわれたことがない言葉だった。抱きしめ合って幸せなのに、お互い肩越しに違う景色を見ているのが、なぜか寂しいと思った。

「なんで、そんなこというの。だって、あたし、全然そんなんじゃないのに……」

 碧は気持ちをようやく言葉にした。

「こんなこという資格ないけど、でも、大好き……」





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