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第二十七話   碧の部屋 あの、お幸せに……


 九月に入ると大学に行く日が増えていく。夏休みなので講義はないが、遊んでばかりもいられない。大学の図書館は解放しているので、レポートのための資料を探しに、碧はここ数日、大学の図書館に通っていた。

 借りて帰ることもできるが、目的の内容か確かめるだけでも手間がかかった。ようやく何冊か見つかったので、学生証を出して借りる手続きをした。

 寮に戻り、付箋を貼りながら資料を読んでいく。

 碧はパソコンを立ち上げた。わからない言葉を調べるためだ。

 立ち上がるのを待つ間に、ふと集中力が途切れた。辞書を開くつもりだったのに、ブログを開いた。

 あいあいのあいある日常。柚希の友人、亜衣のブログだ。

 柚希がコメントを書いたあと、亜衣が返事を書いていた。

『ユズ様、コメントありがとうございます。でも、どんくさいとは失礼な! ま、一回だけ、脱輪はしましたが。夏休み中に免許取れそうです。ドライブに連れて行ってあげるので、ありがたく待っててください。来年行く約束の温泉旅行も、車で行く?』

 そのあと、柚希のコメントはない。読んでいるのか読んでいないのかわからないが、柚希がそれほど亜衣のブログを覗いている様子はないので、見ていないのかもしれない。

「温泉旅行、行く約束なんだ……」

 行かないでくれと頼めば、柚希は行かないでくれるだろうか。

 行ってほしくない。

 けれど、そんなことをいえる権利があるとも思えなかった。柚希に好かれている自覚はある。自分も柚希を好きだから、気持ちは重なっている。なのに、はっきりとした形がない。友情の範囲でしかないのか、情愛の域に達しているのか。

 もし、男女なら、好き合っていればつきあうし、つきあえば他のひとと旅行に行ったりしない。行くといわれれば怒って反対すればいい。温泉旅行に行くのが同性の友人ならば、反対することはない。

 自分も柚希も女で、亜衣も女という構図の中で、どういう決着が正しいのだろう。けれどもし、柚希が男と旅行に行くといえば、やっぱり嫌なのだ。そうすると、柚希には他の誰とも旅行に行ってほしくないとでも願うつもりだろうか。

 柚希とは好意を寄せあっているはずなのに、つきあっているわけではない。それは、女同士だから好意の深さに関係なく、友情の交流にしかならないのだろうか。

 同性と異性の境界線はなんだろう。

 ぼんやりしながらブログを閉じた。電源を落とそうとして、最近パソコンのメールチェックをしてなかったことに気がついた。ほとんどのメールは携帯だし、問題はないはずだが、こんなに何日も溜めていたのは初めてかもしれない。

 メールチェックのボタンをクリックすると、二十七通のメールが届いていた。なかに一通、やたら重いメールがある。受信に時間がかかっていると、携帯の着信音が鳴った。名前ではなく、電話番号が表示されていた。だれだろうと首を傾げながら、通話ボタンを押した。

『碧? 久しぶり』

 声を訊いた途端、碧は血の気が引いた。苦い初恋の相手だったからだ。

「………直哉さ…持田さん、お久しぶりです。どうかしたんですか?」

 声が震えないように、必死だった。短い言葉だけで、何年も会っていなかったひとだと気がついた自分に愕然とした。久しぶりでだれかわからなかった、と演技することもできなかった。

『よそよそしいな。だれに電話番号教えてもらったか、訊かないのか?』

「べつに……」

 そんなことはどうでもよかった。早く、この電話を終わらせたかった。

『きみの中学の時の親友だよ。知り合いのつてで、どうにかたどり着いた』

 この男は話をするときに、吐息を吐く癖がある。その吐息ごと口づけで飲み込みたいと願ったかつての欲望が思い起こされて、鳥肌が立った。

『今度、結婚するんだ』

 持田の年齢からすれば、不思議ではない。むしろ遅いくらいだ。けれどいままで、そんな展開を想像したことはなかった。胸がざわめいているのを、どう解釈すればいいのだろう。

「そう、ですか。おめでとうございます」

『最後に抱かれに来ないか』

 ああ、この男は、何も変わっていないのだと碧は思った。自分勝手で人でなしで傲慢で、そして途方もない魅力の持ち主なのだ。

『碧?』

 低くて甘い声だった。この声で名前を呼ばれることが大好きだった。自分はきっとこの先、この男から受けた以上の快楽をセックスで得ることはないだろう。

 目に涙が滲んだ。滲んだ目に、柚希の美しい顔が浮かんだ。深呼吸して携帯を持ち直した。

「直哉さん、正直にいえば抱かれたいです。でも行きません。大切なひとに合わせる顔がなくなりますから」

 柚希に会えなくなるより辛いことなど、なにもない。だから選択に迷いはなかった。

『………そうか』

 ライターの音が聞こえた。昔、嗅ぎ慣れた煙の匂いの記憶がよぎった。

『変なことをいって悪かった。元気にしてるか?』

「はい。持田さんは?」

『相変わらずだ』

「あの、お幸せに……」

『きみもな。いろいろすまなかった。これでも俺は、碧のことを本気で好きだったんだぜ』

「わかってます」

 本当は、わかってなかった。いまでもこの男の言葉は信用できない。それでも、いっとき心から好きだったひとからの言葉には、深い感慨があった。

『じゃあ、元気で』

 電話が切れた。

 碧は閉じた携帯を握りしめて膝を抱えた。

「瀬戸さん、あたしちゃんと断れたよ……」

 涙声で呟いた。

 一人きりの部屋が寂しく感じた。柚希に会いたかった。

 ぼやけた視界でパソコンの画面を見た。メールの受信が終了している。ほとんどがダイレクトメールだったが、一通だけ松浦から届いている。添付メールだったから重かったのだ。

 メールを開いた。

『この間は、手伝ってもらってありがとう。いいのが撮れたから時間のある時に、見せるよ。とりあえず、この写真だけ送る。柚希ちゃんのパソコンのメルアドがわからないから、もしわかるなら送っておいて』

 添付された画像は、柚希がモデルをした日に松浦が写したものだ。最後に柚希に騙されたように、頬にキスされた、あの写真だ。

 驚いた自分の顔と柚希の綺麗な横顔。頬に、柚希に押し当てられたやわらかな唇の感触がよみがえった。

「瀬戸さん、あたし昔の恋人とセックスするより、あなたとキスしたいんだよ。また困らせるよね……」

 持田の存在を知られたら、柚希にどう思われるのだろうか。汚いものでも見るような目で、見られるのだろうか。嫌われるのも軽蔑されるのも、自分の方だった。何年も前に終わったことだと思っていたけど、他のひとと抱き合った事実は変わらない。愛し合ってではなく、快楽に引きずられてずるずる抱かれた事実が。

 そしていまでも、心の中では持田と交わした性の交歓に未練を持っている。たった一本の電話で、自分のあさましさが露呈した。

「ねえ瀬戸さん、それでも好きっていってくれる……?」

 碧はいつまでもパソコンの画面を眺めていた。






重い~。暗い~。すいません~。碧の最初の相手は、声だけとはいえ登場させる予定はありませんでした。が、二十五話くらいで終わる予定の話が思いがけず長くなってきて、その中で悪役がひとりも出てこないというのはどんなもんかな、と思って、ちょっと入れてみました。たぶんここがお話の谷底…だといいな。まだ書き終わってないので、自分でもよくわかりません。

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