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恋を感じるとき  作者: 柏木杏花
柚希
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第二十話   柚希の部屋 マイマイの靴下


 二日酔いというものを、柚希は生まれて初めて経験した。

 頭が痛い。

 ベッドから起き上がる気がしない。今日がバイトの休みの日でよかった。

 柚希の母親はアルコールに強い。水商売をしているのだから当たり前かもしれないが、多少、機嫌がよくなる程度でザルだった。どうやらその血は、遺伝しなかったらしい。

 午前中はだらだらとベッドで過ごし、午後になってようやく頭痛が治まった。

 シャワーを浴びると、すっきりした気分が戻った。

 濡れた髪をタオルでたたく。

 昨日、松浦と会って話をした。二日酔いにはなったが、話したことは覚えている。

 松浦が柚希に、好意を抱いていたわけではないこと、写真のモデルをして欲しいと頼まれたこと。ちゃんと覚えている。

 被写体になることを承諾したのは、適当にその場の空気を切りたかったからだ。あのまま碧のことをしゃべっていたら、泣き出してしまいそうだった。

「好きなひとには好かれたい、か……」

 なんて率直な欲求だろう。いま、本当にこの言葉を紡ぎたいのは、柚希の方だ。

 いっそ、後先考えずに、手を伸ばしたらどんなに楽になるだろう。

 手術で女になりたいわけではない。男でいたくないのだ。

 だから柚希は、完全な性転換手術をする予定はなかった。胸にシリコンを入れるつもりも、女性器を作りたいとも、思っていなかった。

 長年蓄積された、性別に対する嫌悪感は、そう簡単に払拭できない。

 けれど碧の存在が、柚希を迷わせている。

 男のままでいれば、結婚できる可能性があるから、などという馬鹿馬鹿しい理由ではない。もしそんなことをいえば、地球の裏側に住んでいる老人にだって、可能性があるのだから。

 碧に好意を寄せられている可能性があるなら、いまの自分を変えてしまって、その好意を失うことが怖いのだ。松浦がいった、碧は二個一に惹かれるのだということも、迷う要因になっている。自分が男でも女でもなく、そしてどちらの要素も併せ持っているなら、それが碧に好意を向けられる理由なら、手放したくなかった。どんなものにでも、すがりつきたかった。

 そして、碧に意識されているなら、自分の存在を少しは愛しく思うことができそうだった。

 松浦のモデルを引き受けたのは勢いだったけど、彼のレンズを通した自分が、どんな姿をしているのか興味もあった。松浦は柚希を、女として撮るのだろうか。男として撮るのだろうか。

 簡単な昼食をとって、パソコンを立ち上げた。

 亜衣が春からブログを始めていた。一度見ただけだったので、コメントを残そうと思いついたのだ。

 お気に入りに登録しておいたので、すぐに開くことができた。

「前も思ったけど、『あいあいのあいある日常』って、ブログのタイトルとしてどうなんだろ?」

 ブログには、夏休みを利用して、車の免許を取りに行ってること、実家からそうめんをひと箱もらって、アレンジしながら食べていることが書かれていた。自己紹介の欄に、柚希が写した亜衣の写真が掲載されている。

 以前、ブログで使いたいからデータを貸してほしいといわれたことがあった。キャンパスで撮った写真のデータをコピーして渡したことがある。その中の一枚を使っているのだが、舌を出してる変な顔なのだ。

「なんで、よりによってこれ? センス疑うなあ」

 まあいいけど、と最新の記事にコメントを残すべく、マウスをクリックした。

『あいあいさん、こちらでは、はじめまして。住所も近いし携帯もメールもできるのに、ブログにコメント入れるって、変な感じです。車の免許、頑張ってください。ドンくさいところがあるので、脱輪とかしそうですね。昨日、写真部の先輩とふたりでカラオケに行きました。歌いすぎと飲みすぎで喉が痛いです。またお邪魔しに来ます』

 ハンドルネームをどうしようか迷ったが、結局思いつかなかったので『ユズ』にした。

 ブログのコメントとして変かもしれなかったが、送信してしまったし、まずければ亜衣が削除するだろう。

 スクロールして過去の記事を眺めていく。結構多くのコメントが載っている。読んでみるとM大生も多く書いていた。連絡を取るのにも使っているようだ。

「人気あるなあ、亜衣。だれとでも仲良くなれるから」

 コメントのハンドルネームの一つに、目が留まった。

 マイマイの靴下。

「マイマイ……。カタツムリって、なんとかマイマイっていうよね」

 カタツムリの靴下? なんとなく、このセンスが碧を連想させた。コメントを読んでみる。

『昨日は一緒に飲めて、愉しかった。ありがと。飲むと歴女になってごめーん。写真部の名画、今年もあります。これ読んでる文学部のみなさん、九月以降でいいのでご協力、おねがいしまーす』

 やっぱり、碧が書いたコメントだ。思いがけず碧の痕跡を見つけて、嬉しいような腹立たしいような気持ちになった。

 碧と亜衣は文学部の先輩後輩なのだから、親しいのはわかるけど、なんとなく面白くない。しょっちゅう飲みに行ってるらしいことも、なにか引っかかる。けれどそれは、子どもじみた焼きもちだ。

 学部の先輩とは、選択授業や三年から入るゼミのことで、教えてもらうことが多い。柚希にしても、法学部の先輩とは交流があるのだから、碧と亜衣が懇意なのは当然である。

「亜衣にまで焼きもち妬いて、どうすんの」

 自嘲気味に呟いて、柚希はパソコンを閉じた。

 まだ、知らない碧がいる。一度、一緒に飲んで、歴女になるところを見てみたい。

 けれど、昨日みたいに酔っぱらってしまったら、口説いてしまいそうだと苦笑いした。


 その日は夕方になって買い物に行った。自炊は好きな方だ。夏はあまり食欲が湧かないが、夏野菜を中心に買い物かごに入れていく。

 アボカドを見つけて足を止めた。亜衣のブログにアボカドとエビを使ったそうめんのレシピが載っていた。柚希は、アボカドとエビもかごに入れて、レジを済ませた。

 マンションに戻り、食材を冷蔵庫に放り込むと携帯が鳴った。電話の受信音だ。表示された名前を見て驚いた。碧だった。碧とはメールのやり取りしか、いままでなかった。

「もしもし、碧さん?」

『ごめんね。メールにしようかと思ったんだけど、いま大丈夫?』

 久しぶりに声を訊いた。少しつぶれたような、甘く可愛い声。胸に沁みるような思いだった。

 声を訊いたら、顔を見たくなってきた。ああ、このひとのこと、やっぱり好きなんだと実感した。

「大丈夫ですよ。自宅なんで」

『借りてた本、読み終わってるから返したいんだけど、大学に行く日、ある?』

「来週、行きます」

『明日とか、時間取れない?』

「夕方からバイトなんで、それまでだったら」

『じゃあ、瀬戸さんのバイトの近くで待ち合わせさせて。駅前の……カフェでいい?』

「わざわざ、いいんですか? 本ならいつでもいいのに」

『……ほんとは、瀬戸さんに会いたくなったんだ。本は口実だから』

 心臓が飛び跳ねるかと思った。携帯を持つ手が震えた。

「碧さん、私もずっと、会いたかったです」

 言葉が勝手にこぼれた。考えたら、気持ちを伝えたのは、これが初めてかもしれない。

『あ、あの、昨日……』

「昨日?」

『ううん、明日でいい。電話じゃうまく訊けないから』

「はい…? じゃあ、明日」

 電話を切って、柚希はそのまましばらく携帯を見つめていた。いろいろな感情が溢れていたけど、明日会えることが、一番、嬉しかった。








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