第二話 量販店
翌日、柚希は電化製品の量販店に出向いた。
売り場に着いてから、大学の写真部員がどんなカメラを使っているのか、昨夜のコンパでもっと詳しく訊いておけばよかったと思い至った。
昨日は、いろんなひとと話をしたのに、思い出すのは碧との会話ばかりだ。
碧と同じメーカーの一眼レフで、ある程度機能があるものを購入する。店員に事情を話して選んでもらったので、大きく外してはいないはずだ。
紙袋を受けとって、ふと顔を上げると柱の鏡に目が留まる。若い男が、柚希を凝視していた。鏡の中で目が合ったことに気づいて、慌てて男は視線を逸らした。
自分が綺麗な容姿をしていることは、自覚していた。だから、こんなことはよくある。
あなたが見惚れているのは、女装をしているオカマですよと教えたら、頬をそめたあの男は、どんな顔色になるのだろう。柚希はつい笑いそうになって、唇の端を引き締めた。
鏡に映る自分の姿を、女として認識したのは中学になったばかりのときだった。
性同一性障害。
母親にいくつもの病院に連れられて、最後の病院でそう告げられた。
可愛いものが好きだった。綺麗なものが好きだった。黒いランドセルが嫌だった。
病気なんだといわれても、あまりぴんとこなかった。中学一年からホルモン注射を定期的に打ち、身体が男っぽくなるのを抑えた。いまも錠剤で服用している。
学校も周囲のひとも、理解してくれていた方だと思う。
まったくいじめられなかったわけではないし、気持ち悪いといわれたこともある。興味本位な視線を向けられたり、露骨に身体に触ろうとした同級生もいた。
けれど、正義感の強い友人も周りにはいて、助けられた。
よく世間で訊くような、何度も自殺を考えるようなことはなかったのだから、恵まれた環境だったに違いない。
鏡に映った喉元に手のひらを押し当てた。見ただけではわかりにくいけれど、喉仏はある。上を向いて喉をさらし、唾液を飲み込めば、見た目にもわかるだろう。
男の声だと指摘されたことはなかった。成長期の途中から女性ホルモンを摂取していたからなのか、女だと思い込んで訊けば女の声に聞こえるのか、これくらいの低音は女の子でも少なくないのか、まあ、そんなところだろうか。
歩くたびにブーツのかかとが、床に音を響かせる。
ぼんやりするたび、碧の言葉やしぐさを思い起こしてしまう。
碧のことばかり考えてしまうのは、気になっていた写真の撮影者だからだ。それ以外に心が動く理由が見つからない。
気になる、というのは、どういうことなのだろう。
写真に興味を持ったことなど、それまでなかった。柚希が興味を持つ写真は、雑誌のファッションや化粧品、化粧方法を紹介しているページくらいで、それはあくまで、情報だった。芸術ではない。
写真は素人だけど、碧の作品が非凡とは思えなかった。だけど、柚希の心には強烈な印象を残した。
言動のすべてを思い起こしても、特別な出来事はなかった。今まで出会ったひとたちと同じように、碧は柚希の容姿を称賛し、あたりさわりのない会話をした。
妊娠したらヌードを撮らせて欲しいといわれたのは、多少驚いたけど。
座席に座っていたときは、碧を小柄なのかと思ったが、幼いイメージのわりには普通の身長だった。並んで歩くと、髪の匂いが届いて胸が騒いだ。
「サッカー部の彼氏って、どんなひとなんだろ……」
気になるという感情は、理屈じゃない。