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恋を感じるとき  作者: 柏木杏花
柚希
19/50

第十九話   カラオケ店 写真のモデルですか? 

「ビール?」

「レモンサワーにしてください」

 カラオケの個室に注文の品物が運ばれると、形ばかりの乾杯をした。

「せっかくだから、なんか歌う?」

 のらりくらりと話を後回しにされているみたいで、腹が立ってきた。タブレットを奪いとって、何度か歌ったことがある曲を入れる。

 歌い終わってマイクを置くと、勢いよくソファーに腰を落とした。これで文句はないだろうと鼻息も荒く松浦を睨むと、松浦は呆然としていた。

「驚いたな。歌声も女の子なんだ。どうやったらそんな声が男で出せるんだ」

「そんなこと、知りませんよ」

 むっとした顔を隠さずに、サワーを飲んだ。いったい、いつになったら本題に入るのだろうとイライラした。自分から切り出すのも癪なので、仕方なくジョッキを傾け続けた。


 テーブルの上にジョッキが並んでいる。店員が持っていった分もあるので、結構飲んでいる。頭がグルグルする。

 要求されるまま歌って飲んでいるうちに、喉が痛くなってきた。

「松浦さん、いったいどういうつもりなんですか?」

「なにが?」

「いきなりその気もないのに、告白みたいなことして、いい迷惑ですよ」

 だんだん気が大きくなってきた。酔ってるかな、と少し自覚したが、言葉はむしろ滑らかに出てくる。

「碧さんだって変に思ってるし、どうしてくれるんですか?」

「はいはい、悪かったって」

 適当に頷かれて、なおさら腹が立つ。

「ホモでもないのに、なんで男だって知ってて告るんです? なにをたくらんでるんですか? 白状しなさい」

「酔ってるくせに妙に確信ついてくるね。まあいいけど。実は頼みたいことがあるんだ」

「頼み~? なんですか。一応訊いてあげます。仕方ないから」

 柚希はだんだん眠くなってきた。それでもまだ、会話は頭に入ってきている。ウーロン茶を飲んで、眠気を覚まそうと試みる。

「被写体になってほしい」

「写真のモデルですか? 嫌です。お断りします」

「そういうと思ってたけど、引き受けてよ」

「なんで私なんですか。変ですよ。ちゃんとした女の子がいくらでもいるのに」

「実は、最初は女の子だと思ってたから、そんなに写したいとは思ってなかったんだ。軽い気持ちでモデルを頼もうかなと思ってたんだけど、同じゼミの、きみらの同じ高校の出身の奴がさ、俺が柚希ちゃんに恋愛感情持ってるって勘違いしたんだよ。瀬戸柚希は諦めろってあんまり必死になるから、わけを訊きだしたら、きみが男だって白状してさ」

 どうせ誤解されているのを、面白がって放置していたのだろう。

 松浦はビールのジョッキを傾けた。このひともかなり飲んでいて、顔は赤くなっているのに、言動は冷静だ。アルコールに強い体質のようだ。

「絶対、撮りたいって思った。時間もなさそうだし」

「時間?」

「ウィーン少年合唱団って知ってる?」

「知ってますよ。変声期前の男の子の合唱団でしょ」

 それが、柚希のモデルとどう繋がるのか、さっぱり理解できない。時間ってなんの時間なんだろう。酔ってるからわからないのだろうか。

「合唱団の子どもは、声変わりすると退団しなきゃいけないんだよ。当然だけど。でも、声変わりする直前が、一番綺麗な声なんだって」

「へ~、初めて訊きました」

「柚希ちゃんがいままさに、その一番綺麗なときだと確信したんだ」

「十九ですよ。声変わりなんて、過ぎてますって。あんまりわからなかったけど、たぶん。だいたい、声なんか写真には関係ないじゃないですか」

「だから、それはたとえだよ」

 ますます、わからない。頭が回らなくて、ぼうっとする。考えるのが面倒くさくなってきた。眠くなって目を閉じかけた。

「碧ちゃんの好きなもの、知ってる?」

 急に碧の名前が出てきて、気持ちが引き戻された。

「妊婦さんと双子?」

「そう、妊婦と一卵性双生児。碧ちゃんって、『二個一』が好きなんだよね」

「二個一? 二人で一人みたいな?」

「うん。梅雨の季節はかたつむりをよく撮ってるし、キメラの本もよく読んでたな」

「かたつむり? キメラ?」

「かたつむりって、雌雄同体だろ? キメラは二卵性双生児が妊娠初期に片方が吸収されて二種類の細胞を持ってるひとのこと、だったかな。両性具有者もキメラだっけ?」

 なるほど、と柚希は素直に感心した。キメラの話は初耳だったが、カタツムリの写真はメールで送ってもらったことがある。二個一が好きなのだとは、気が付かなかった。

「俺の知る限り、碧ちゃんはまだ、きみの正体に行き着いてない。知りたくない?」

「なにをですか?」

「碧ちゃんがきみを気にしてる理由。二個一的なものを感じ取って惹かれているのか、それとも他に理由があるのか」

 松浦という男は、つくづく頭のいい男のようだ。柚希は大きく息を吐いた。自分の性別と碧に対する感情を知っている相手だとわかり、気が楽になった。

「松浦さんは、碧さんが私を意識してるように見えるんですか?」

「そうだね。ほら、部室できみの写真を見たことがあっただろ。亜衣ちゃんばっかり写してた、あれ。あのとき、碧ちゃん、妙に複雑な顔してたんだよ。あの子は素直で単純だから、あんな表情することないんだよね。なんでかなって不思議だった」

 隣の個室からは賑やかな歌声と歓声が聞こえてくる。柚希はウーロン茶の中の氷をストローでつついた。

「エントラスホールできみ達を見たとき、もしかして、好き合ってるのかなって感じたけど、全然自信はなかった。だから、わざとあんな言い方をして引っ掻いてみたんだ。どっちかが反応するかと思って」

「私はあのとき、碧さんは松浦さんのことを好きなんじゃないかと思いましたよ」

「俺のこと、ムカつくっていってただろ。碧ちゃんは正直だから、本当に言葉のままだよ。俺が柚希ちゃんに告ったことに腹を立てただけだ」

「碧さんは普通に彼氏がいたりするじゃないですか」

「最近はいないだろ? あの子あれで結構モテるから、こんなに長い間おひとり様でいるのも、珍しいよ」

「私…碧さんに、同性愛者の汚名を着せたくないんです。せっかく普通の恋愛ができるのに、逆走するような人生、選ぶ必要なんかないじゃないですか」

 泣きたくなってきた。酔ってるからだと思いたい。感情がうまく抑えられない。汗をかいたグラスで、手が濡れていた。濡れているのは手のひらなのに、手の甲に水雫が落ちる。

「そんな後ろ向きに考えなくてもいいんじゃないの? 世の中、いろんなひとがいるし。死んじゃったひとを忘れられないとか、不倫に比べたら、よっぽど恵まれてるよ。見た目はともかく、きみと碧ちゃんは一応仮にも若い男女なんだから」

「来年、手術して、戸籍も変えるつもりなんです」

「決断したなら、それは正しいと思う。でも迷いがあるなら、ほかに正解があるかもしれないよ」

 松浦は柚希の肩に手をかけ、慰めるように髪を撫でた。親切にされると余計に悲しみが込み上げた。

「……モデル、してもいいですよ」

「本当?」

「ええ。その代わり、教えて欲しいことがあるんです」

「なんでも訊いてくれていいよ」

「碧さんが去年学祭で展示した写真、汚れたガラスの向こう側、あれって、どんな設定で撮った写真か、知りたいんです」

「碧ちゃんに訊いてみなかった?」

 松浦は不思議そうに首を捻った。

「訊いたんですけど、フィルムだからわからないって」

「え……あー、わかった。そうか。いいよ、今度会ったときにそのカメラを貸してあげるよ」

「カメラ? なんでカメラなんですか?」

「あれ、トイカメラで撮った写真なんだよ。だから、シャッタースピードとか露出とか触れないんだ。どんなデキになるか、出たとこ勝負だな」

「そうだったんですか」

 トイカメラ。日本語でいう玩具のカメラ。

 なんだか碧らしい。とりとめのない、ふわふわした写真だったんだなと、改めて思った。

 写真は一瞬で、見えるものをありのまま写す。けれど、碧の持つ感性はやわらかく不安定で、そのファインダーを通すと独特の世界観が表現される。

 柚希はその世界を知りたいと思ってきたけれど、そこはガラスで仕切られた向こう側の空間のように、見えても行き着けない場所かもしれなかった。

「松浦さん、ついでにもう一つ教えてください」

 松浦はポッキーをかじりながら頷き、話の先を促した。

「男の立場から、突っ込むだけがエロじゃない、ってあり得ます?」

 かじりかけのポッキーが、床に落ちた。

「柚希ちゃん、そういうことを、その綺麗な顔で……、まあ、いいか。うーん、突っ込まずにエロが可能かといわれれば、可能だろうな。ただ、俺はそれほどのテクニックがないから、自信がないけど」

 頭をぐしゃぐしゃ掻きながら、松浦は答えた。

「なんか、いまいち参考にならない。松浦さん、頼りな~い」

 眠たそうな声で不満をぶつけてくる柚希に、松浦はがっくりと肩を落とした。





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