第十五話 ファミレス 気持ちの種類に決着ついた?
ファミレスのドリンクバーで、おなかがいっぱいになってきた。時計を見るとそろそろ五時だ。
七月末の試験が近づいてきた。柚希は亜衣と二人で必修科目の追い込みをしていた。図学、ドイツ語が最大の難関だった。ノートを広げて、わからないところを教え合う。完璧ではないだろうが、だいたい問題ない状態まで持ってこられた。
「あたしさ、ちょっとうらやましがられてるんだ」
何杯目かのエスプレッソを飲みながら、亜衣は含みのある笑みを見せた。
「なにを?」
「柚希と勉強してるのを」
「べつに、図学もドイツ語も、得意じゃないけど?」
「あんた、文学部だけでも結構、話題になってるよ。タイソー美しい花のカンバセで」
花の顔とはずいぶん古典的な表現だ。さすがに文学部だなと、妙なところで感心してしまう。
「そう? 目立ってたら嫌だなー」
「目立ってるって。心配しなくても」
「え~、だからかな」
「なにが?」
「松浦さんにばれちゃった」
「…………男だって?」
しばらく沈黙してから、亜衣は唾液を嚥下して尋ねた。
「うん」
「なんでばれたの? 松浦さんって、写真部の副部長さんの方だよね。碧先輩じゃなくて」
「うん。ゼミに私たちの高校出身のひとがいるって」
「ああ、二年上のひとにいたかもしんない。それでなんかいわれた?」
「つきあってくれっていわれた」
「げ。秘密を守りたければ、つきあえって?」
「ううん。そんな感じでもなかったけど、ちゃんと話しないで帰ったし、どういうつもりかはわからなかった」
頬杖をついて考え込む亜衣に、柚希は言葉を続ける。
「大学にはちゃんと受験の時に申告してるし、べつに問題ないよ」
「でも、学部の友達にも写真部にもいってないんでしょ。だいたい、なんでいわないの? 高校のときも中学のときもみんな知ってたのに」
「あれは、自分でいったんじゃなくて、親が学校に事情を話して、学校側が保護者に『性同一性障害の生徒がいます。本校では一般の女子生徒と同様に扱いますが、トイレは職員用を使用させ、体育の着替えの際は保健室を利用します。生徒の皆さんにも理解とご協力を、お願いします』とかなんとか説明があったんだよ」
「あ、そっか。大学ではカミングアウトも隠すのも個人の判断で、ってわけか」
「みたい。でも、いま思うと、よくいじめられなかったな、って思うよ。中学でも、高校でも。亜衣が庇ってくれてたんだよね」
「そうでもない。柚希はどう見ても女にしか見えなかったし、可愛かったから、みんな普通に友達になりたがってた。男の子がちょっと残ってるのも、ある意味、魅力的だったし」
「ふーん、わかんないな……。私が女だったら、そういう人種は気持ち悪いと思うか、遠ざけるけどな」
柚希は首を傾げた。
「いまどきの若者は、個性を尊重できるんだよ。柚希、古すぎる。昭和初期から生きてるんじゃないの?」
「あのねえ…」
ひどい言い草である。
「それより、松浦さん、どうすんの?」
「近いうちに、連絡取ってみる。どう考えても不自然だったし、なんか他に理由がある気がする」
「本気だったら、どうすんのよ?」
「ないって、絶対」
「根拠もないくせに、なんでそういい切れるわけ?」
「自分に対する熱い視線くらい感じ取れるよ。鈍感じゃないし。松浦さんはそんなんじゃない」
「ふーん。そんなもんかな。でも柚希って、鈍感なところもあるけどな」
鈍感と批評されて、柚希は口を噤んだ。いままでなら即座に否定できたはずなのに、否定しきれない事実に直面しているからだ。
碧に関しては、鈍感かもしれないと、最近感じ始めている。鈍感というより、理解しきれなくて、モヤモヤしている。
最後に会ったときの、言葉の意味を考える。
『努力してもどうにもできないことは、諦めなきゃいけないの?』
努力してもどうにもできないこととは、セックス依存症のことだろうか。それとも不感症のことだろうか。どっちにしても、性欲自体がない柚希には、近づくことさえできない領域の問題だ。
頭が痛い。
慰める方法もすべも持たないのに、戸籍だけが男だなんて、情けない。女同士として悩みを訊いてあげることもできないのだから、情けないどころじゃなかった。
それに、松浦が柚希の正体に行き着いたということは、碧の耳にも遠からず情報が届くだろう。
こんなことなら最初に、妊婦になったらヌード写真を撮らせくれ、といわれたとき、オカマだから無理だと告げておけばよかった。
「碧先輩と会うことある?」
「うん。たまに」
「気持ちの種類に決着ついた?」
「ついたよ。碧さんのこと、好きだよ」
亜衣がエスプレッソを吹き出しそうになった。ハンカチで口元をおさえながら、咳き込んでいる。
「驚いた?」
「普通、驚くよ。あー、でも、まあいいや。なんか、うん、ほっとした」
息が落ち着いてきた亜衣は、あっさりと微笑んだ。なんとも度量の広い友人だ。
「よかったね、柚希」
恋を知ることができて。そう続けた言葉は優しく、やわらかだ。
「でもなんか、にわかにややこしくなってきたね。どっちの松浦さんとくっついても同性愛っぽいんだけど、碧先輩の方がより同性愛っぽいのが面白いな」
すっかり冷静さを取り戻した亜衣は、笑いながら、とんでもないことをいってのけた。
度量の広さにも程がある。