第十一話 帰り道 亜衣ちゃんって、普通の親友?
「お疲れ様でした」
次々に部室からひとが消えていく。柚希も荷物を持って、扉をあとにした。
「碧さん、帰るんですか?」
扉の近くに、先に出た碧の姿があった。
「うん。帰りに本屋さんに寄るけど」
「じゃ、途中まで一緒に帰りません?」
「いいよ」
今日の碧はポニーテールに、白いシュシュをつけている。うなじの産毛が、窓から差し込む夕日にあたって茶色く透けていた。
「名画制作、大変そうですね」
「うん。なにが大変って、被写体になってくれって頼むのが大変なんだよ」
「あ、それは確かにそうかも」
「写真部の学祭で展示するっていうと、断る子もいるし」
「うわーヤダな……」
それは困る。ただでさえ、被写体には不自由しているのに。
「でも面白がる子もいるよ。写真っていっても一枚一枚は証明写真みたいに小さいでしょ。だから、どこに自分の写真があるか、探して盛り上がったりするの。名画の集客率はなかなかのもんなんだよ」
「同じひとを何度も使えないんですよね?」
「そう。亜衣ちゃんにばっかり頼めないね」
鋭い指摘にため息が出た。
「あ、昨日はメール、ありがとうございました」
「ううん。内容もなにもないメールでしょ。友達にもよくいわれるんだ」
坂道を下っていく。背中から夕陽を受けて長い影ができていた。
「赤ちゃんの写真って、お母さんが一番上手に撮るんだよね。カメラの性能とか、技術とか関係ないの。いつも一緒にいて、一番かわいい瞬間を知ってるからなのかな」
「へー。でも、そういうの、あるかもしれませんね」
「亜衣ちゃんを一番上手に撮るのは、瀬戸さんかも」
「は? じゃあ、私が亜衣のお母さんですか?」
「お母さんじゃないなら、恋人?」
「お母さんも恋人もありえませんから」
「そりゃそーだよね。でも、昨日、メールもらったとき、画像に文庫本あったでしょ。奥に立ち上げたパソコン写ってて、亜衣ちゃんかなって思った。それを確かめたくて今日きたの」
あの短いレスには、そういう理由があったのかと納得した。不自然な返信だとは思っていたのだ。
「亜衣ちゃんって、普通の親友?」
「普通の親友って、なんかよくわからないけど、亜衣は普通じゃない親友かもしれないです」
「ふーん…」
夕日が急激に薄暗くなってきた。日が落ちそうになっている。暗くなり始めた光の中で、碧の横顔が沈んで見えた。表情だけではなく、顔色もあまりよくない気がしてきた。
「碧さん、なんか顔色悪くないですか?」
「そう? ちょっと貧血してるのかな。生理中だし」
「あ、すいません……」
「なにが?」
「いえ…」
変に動揺していることが不自然なのはわかっていたが、言葉がうまく繋がらない。
こんな会話は、いままで何度も経験してきたはずなのに。柚希が本当は男だと知っていても、こんな話題をしてくる友人はたくさんいて、その内容に共感はできなくても、笑って聞き流すことは難しくなかったのに。
碧にはうまく対応できなかった。まるで、痴漢にでもなったような気になる。
「…亜衣はナイチンゲールなんですよ」
「ナイチンゲール?」
「中一のとき、私パニック障害になったんですけど、そのときずっとそばにいてくれて、立ち直れたんです。いまでも、患者扱いしてくれてるのかも」
碧の言葉の端々に、亜衣を自分の恋愛対象ではないかと疑っている気配を感じた。
同性とキスをするような人間だから、亜衣が恋人ではないかと誤解されているかも、と不安になった。けれど、碧の気持ちが自分に向いていることを期待しているから、そんなふうに考えてしまうのかもしれない。
言い訳がましく聞こえていたら、不審に思われそうで気が滅入った。
「そっか……」
その頃の話をくわしく訊くでもなく、慰めるでもない。碧はただ静かに呟いた。
書店が見えてきた。
「また、メールしてもいい?」
「はい。私からもさせてください」
店に入っていく碧の背中を、引き止めたくなって困った。