第十話 部室 被写体、亜衣ちゃんが多いです
翌日、講義が終わって部室に行くと、松浦や部長をはじめ、かなりの人数が来ていた。碧の姿もある。
「すいません。遅れました?」
「いや、学祭の大物のことで話があったから、早めに来てただけだよ」
松浦が手招きして、隣に来るように机を指差した。
「大物?」
「それはあとで話すよ。とりあえず、柚希ちゃんの写真、見せて」
柚希はノートパソコンを開いた。最近撮った画像を表示させて、松浦に見せる。
「下手だなー」
開口一番、遠慮のない評価を下す松浦に、部員は吹き出した。
「初心者なんですよ。しょうがないでしょ」
「そりゃそーだよな。ま、下手はともかく、たとえばこの写真、ここをクリックすると、カメラの機種、モード、シャッター速度、露出、ISO感度と、いろいろ情報が出てくるんだよ」
「あ、ほんとだ。すごい」
「で、同じ場面で少しずつ露出を上げていってるのもわかるだろ」
「はい」
「ISO感度は変えなかったんだね。なんで?」
「前に、ISO感度あげて写したとき、ノイズがひどかったんです。それからは、ISO感度はほとんど触ってなくて」
「いくつまであげた?」
「えっと、確か1600。あ、これです」
問題の写真を、クリックして見せた。
「室内で外からの光だけか。なるほど。実際にその場でしてみないとわからないけど、露出やシャッター速度を工夫すれば、ISO800か600くらいでいけたと思うよ。きみのカメラは優秀だから」
「うーん、800か600…」
「それに、ノイズをうまく利用してもおもしろいし。そういうのは碧ちゃんが得意だよ」
「そうなんですか?」
柚希は碧のほうを振り返った。碧は、松浦の背後から、パソコンの画面を興味深そうに覗き込んでいた。
「得意ってわけじゃないけど、砂ぶっかけたみたいな質感は、わりと好きだよ」
クリアに写すことばかり考えていた柚希は、目からうろこが落ちた思いがした。
「……あ、去年の学祭の?」
「あれもノイズ入ってたけど、あれはデジカメじゃなくてフィルムなの」
「へぇ、そうだったんですか」
ずっと気になっていた写真のことが訊けて、嬉しかった。不思議な質感を感じさせる写真だったのだ。フィルムという、前身的な媒体からきたものだと訊かされて、妙に納得できた。
碧はぼんやりと、柚希のパソコンを眺めている。
思っていたよりずっと自然に接することができている自分に、ほっとした。
昨日のメールのことを口にしようかどうか迷う。他のひとに訊かれてまずいことなどないのに、なんとなくいいにくい。
「欠点も多いけど、技術的なことはどんどんよくなるし、この調子でやっていけばいいよ」
「わかりました。ありがとうございました」
「碧ちゃん、どう思う?」
「構図が新鮮でカッコイイ」
「あー、碧ちゃんもそう思う? 部長、どうですか?」
「いいね。大胆に目線の上を切ったり、画面の半分を空けたりしてる。こういう構図は習ってできるようにはならない。初心者はたいがい日の丸になるよ。碧ちゃんのノイズもそうだけど、持って生まれた感性だしな」
日の丸とは画面の中央に写したいものを配置する構図のことだ。
褒められれば素直に嬉しかった。自分では意識していなかったので、不思議なくすぐったさがある。
「碧ちゃん、ほかに気づいたことは?」
「被写体、亜衣ちゃんが多いです」
「確かに、人物はほとんど亜衣ちゃんだな」
松浦は碧の指摘に吹き出すように笑った。「よっぽど仲いいんだな」とからかうような口調で肩を叩かれた。
「はあ」
柚希は気の抜けた返事をした。よく一緒にいることが多いので、仲は確かにいいのだろう。…というより、被写体になってくれと、頼めるほどの友人が他にいないという方が正しい。
柚希がパソコンを片付けていると、部長が「ところで……」と、椅子に腰を掛けた。
「学祭の大物だが」
「パソコンで配置を指示するのは二年の佐々木がしてくれるんだよな」
松浦の問いかけに、佐々木は頷く。
「ええ、俺、そーゆーのは好きなんでやりますけど、肝心の名画が決まんないと」
「だよな。ねー部長、今日、一、二年人数揃ってるし、決めちゃわない?」
「そうだな。全員で多数決するような性質のもんでもないしな。決めよう」
柚希たち一年には、話がさっぱり見えてこない。呆然としていると、松浦が説明を始めてくれた。
「学祭には、個人の作品以外に、写真部で壁一面使って大物を展示するんだよ。部員が携帯で撮った写真千枚以上をつなぎ合わせて、一枚の名画にするっていう面倒なもんでさ」
「あ、見ました、去年。確かダビンチの『最後の晩餐』でしたよね」
柚希は去年の学祭を思い出した。
「正解。あれは、ほんとにやばかった」
「ハンパじゃなくやばかった」
「とんでもなくやばかった」
次々に部員が同意して頷くので、相当大変だったのだということは、伝わった。
「張り合わせていくうちに、写真が足りなくて、本当に間に合わないかと思ったんだよ。なんとかギリギリ間に合ったけど、何人かは大学に泊まり込んだしね」
「すごいですね」
「で、今年は三、四年が多いし、就活に入るからほぼ戦力外と思ってもらわないといけないんだ。だから、早めに取りかかることにしたってわけ」
なるほど、と一年生はようやく事態を飲み込めた。つまり、完成させる名画を今日、決めてしまおう、ということなのだ。つまり、この作業は実質、一、二年が受け持つことになる。千枚以上となれば一人最低、百枚近く写さなければならない。しかも、つなぎ合わせて名画にするなら、指定された色味の写真を撮らなければいけないのだ。
「で、名画選びだけど、だれが見てもわかる有名な名画で思いつくのは? 作者でも作品でもいいからあげてみて、一、二年」
「モナリザ」
「んー、ルノアール」
「ゴッホのひまわり」
「フェルメールってどうですか?」
「種をまく人は?」
「ドガの踊り子とか」
「ビーナス誕生、ってボッティチェリだっけ?」
顔を見合わせながら、記憶をたどって絞りだしていく。
「モナリザは一昨年やったから、アウトだな。それ以外は…ひまわりか。インパクトはあるな」
「でもあれ、ほとんど黄色だろう。黄色の写真は、数揃えんの、きついぞ」
「そうだよな。まだ茶色のほうがやりやすいよな。じゃ、種をまく人? 落ち葉拾いとかも同じ作家だっけ?」
「人物、小さいよりは大きいほうがいいかな。去年のこと思うと」
「肖像画みたいな構図の?」
「うん、モナリザ、やり易くなかった」
「最後の晩餐よりはかなり、やり易かったよな」
一昨年のこととなると、二年生でも話に入っていけない。
そのあと、かなり長い時間、いろいろと意見を出し合って、フェルメールの青いターバンの少女で、話は落ち着いた。佐々木がこの催し物の責任者になるので、携帯で連絡を取り合うことになる。
当面は大体の色味で撮った分を、佐々木のパソコンに転送するのだ。
できるだけ人物を入れること。服装の色と背景の色をできればそろえることが、注意点だった。