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テトラクロノス  作者: 火とかげ
第1章 わたしがたとえ、目覚めなくても

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課外授業

「これって、遺物が鳴ってるんですよね?」


 セレナが手にした攻略読本から顔を上げ、天井を見上げるようにして言った。


「そうだよ。

 迷宮の構造が変容して、遺物同士の距離が縮まった時に起きる現象だね」


 リウレンがさらりと答える。


「遺物ってただ置いておくだけで揺れてるんですか?

 不思議ですね」


「不思議も何も……あの迷宮に収まってるのは神話の時代の力の残滓だ。

 おとなしくしてるのがそもそもおかしい、とも言える」


 ゼルが腕を組んで続ける。


「それぞれの揺れが互いを刺激して共鳴する。

 その波動が床下に格子状に張り巡らされた調律架に拾われ、集束・増幅されて共振機関へ送り込まれる。

 機関はその波動を動力に変換して、塔内のさまざまな設備を動かす。

 水道、農耕装置……ひととおり全部だ」


「じゃあ今まさに塔のどこかで水が動いたりしてるんですか?」


「そういうことになる。

 中央水柱が地下水脈から水を汲み上げて、屋上の貯水槽に送る。

 あとは重力と弁が仕事をして、各階に分配される。

 要するに俺たちが今飲んでる水も、突き詰めれば遺物のおかげってわけだ」


「……それって、すごいことを言ってませんか、今」


 セレナが小さく目を丸くする。


「割と本当にそうなんだよ」


 リウレンがおかしそうに笑った。


 塔の最下層である地下第四階層。

 その床下には上層に広がる地下迷宮の構造に沿って、「調律架」と呼ばれる金属板が格子状に組み込まれている。

 地下区画の中央は水脈と直結する主塔の中央水柱が貫いているが、その水柱を囲むように共振機関が据えられている。

 禁学の塔という小さな世界に動力を送る心臓と言えるだろう。


 遺物が生み出す波動は、塔の創設者たちによって緻密に設計されたものだ。

 遺物同士が生み出す共鳴の総量が塔の全設備を動かすのにちょうど足る出力となるよう、先人たちは気の遠くなるような計算を重ねた末に、この塔を設計したのだという。


「でも迷宮って、誰かが扉を開くたびに構造が変わるんですよね。

 それで出力が変わったりは……」


 セレナが首を傾けて問うと、ゼルとリウレンは顔を見合わせた。


「よく気がついたね」

「鋭いな、お前」


 二人が同時に言ったせいで、セレナは少し照れたように視線を手元に落とした。


「迷宮の変容には、見えない歯止めがかかってると考えられてる。

 構造がどう変わっても、共振機関が受け取る波動量が一定の範囲に収まるように。

 誰がどう仕込んだのかは、今となっては分からないんだが」


リウレンが顎に指を当てながら続ける。


「研究者の間ではね、迷宮そのものが生きているんじゃないかという説もある。

 遺物たちがお互いを調節し合っている、とでも言うか。

 ……まあ、証明はされてないけどね」


「気持ち悪いことを穏やかに言うな」


 ゼルが顔をしかめた。


「イルナフ先生、でも今夜その迷宮に入るんですよね?」


「だから何だ」


「こわくないんですか」


「こわいかこわくないかで言えば、まあ、こわいな」


 セレナが思わず吹き出した。

 リウレンも声を立てて笑った。


「なんだお前たち。

 正直に言ってやったのに」


「ごめんなさい、でも……なんか、それが一番イルナフ先生らしくて」


 セレナがまだ笑いながら言うと、ゼルはやれやれと首を振り、空になった椀を卓に置いた。


「怖かろうとなんだろうと、だ。

 俺が教師でなく学生だったとしても、共振監視みたいな退屈な仕事なんかよりは、探索代行を引き受けまくっただろうな」


「共振監視って、具体的に何をするんですか?ずっと機関を見てるだけ……?」


「ほとんどそうだよ。

 異常があれば技術者に伝える。

 ただ、それがめったに起きない」


「じゃあなんでルイルカ拾いの中でいちばん人気があるんですか。

 何もしないなら退屈じゃ」


「何もしないから人気なんだろうが」


 ゼルは肩をすくめる。


「考えてもみろ。

 農作業でも清掃でも配膳でもなく、ただ座って機関を眺めてればエルイル片がもらえるんだ。

 そういう仕事はどこでも取り合いになるに決まってる」


「なるほど……確かに」


 セレナは妙に納得した顔で頷いた。


 そこでちょうど、フィノリアが注文の品を運んできた。

 リウレンの前には根菜と鶏肉の煮込みが湯気を立て、セレナには塔の菜園で採れた葉野菜の重ね焼きが置かれる。

 ゼルの皿には、厚切りの豚肩肉を炙ったものが載っていた。


 さっそくナイフを入れたゼルが、やや大げさに天を仰ぐ。


「おい、生焼けじゃねえか……」


 セレナが覗きこむと、たしかに厚みのまんなかに赤みが残っている。


「出し直してもらうにもこの混雑じゃなあ。

 ……よし」


 ゼルは皿の上の肉に手をかざし、低く、しかし淀みなく唱えた。


 「この卓に捧げられし獣を賞味せよ、焔の舌をもって——レジグナ」


 ゼルの瞳に黄金が灯り、生焼けだった肉を淡い炎が一瞬だけ包んだ。

 焦げた匂いはない。

 魔法。

 それもあまりに無頓着な。

 リウレンもまた天を仰いだ。


「生徒の前で気軽に使うのは感心しないね……」


「イルナフ先生は、レジグナの信仰者なんですね」


 セレナが口をはさむ。


「まあ、細かい教義は気にしたことないけどな。

 この髪だ、あちらさまも無碍にはなさるまいよ」


「ふふ。

 法衣を着てレジグナの像の前に立ったら、みんなこれぞ御神の生まれ変わりだって感動しちゃいますよ!」


 レジグナは炎を掲げ持つ神だ。

 なるほど、ゼルの燃えたつ赤毛は信徒の長を演じるにも申し分ないだろう。


「ああ、それもいいな。

 工房の鍛冶場をただで使い放題だ」


 レジグナは炎の神だから鍛冶と相性がいい。

 新しい鍬でも信徒に作らせるかもしれない。

 ゼルの畑仕事への傾倒ぶりを思い出し、リウレンとセレナは笑った。


「それにしても……」


 笑顔のままセレナが疑問を差し込んだ。


「詠唱、よくそんなにぱっと思いつきますね」


「こんなのは別になんだっていいんだよ。

 自分がやりたいことを思い描く助けになれば」


「……それについては異論を挟みたいね」


 教師としての本能が首をもたげたのか、リウレンが前のめりになる。


「魔法の行使には必ず、自分が最も信じる神の名を呼ぶこと。

 これは手順であると同時に、術者と神格との接続を意味する。

 詠唱はその接続を通じて、発現したい効果を世界に宣言する行為だよ。

 正しい語彙と美しい発音、神名に込める想いの強さ。

 初学者はとくに注意しないと、暴走の危険はぬぐいきれない」


 早口の終わりの絶妙な間合いで、ゼルが口を挟んだ。


「言うほどお前も魔法は得意じゃないだろ」


 意地悪な笑みを浮かべてリウレンの肩を叩く。


 そう。

 リウレンはこの世界の魔法の仕組みや、上級の使い手たちが心がける細部には一家言も二家言も懐に詰め合わせていた。

 だが実際の行使はゼルのほうが遥かに巧みだったのだ。


「……」


 押し黙ったリウレンをみて、ゼルはさらに上機嫌だ。


 そんな二人の様子にまた笑みをこぼしながら、セレナが言う。


「イルナフ先生は魔法もそんなに手慣れてるなら、冒険にも自信がおありなんでしょうね……剣のほうは正式に学ばれたことがあるんですか?

 ――あっ」


 何かに気づいたように、セレナは口をつぐんだ。

 だがゼルは気にするふうもなく、片手を軽くあげてみせた。


「いや、いいさ。

 お前たちにとっては、あまり愉快な話でもないと思って口にしなかっただけだ。

 ――隠すことでもない。

 塔に来る前、俺は軍にいたことがある」


 セレナを制したその片手にもう片方を合わせ、ゼルはゆっくりと頭上にかざす。

 まるで見えざる剣の柄を握るように。


「俺には、最前線で命を張って刃を交えるような才はなかった。

 だから――元々好きだった学問の道へ進んだ。

 ただ、それだけのことだ」


 ゼルはそこで言葉を切り、今度はゆっくりとリウレンを見つめた。

 その目に、普段は見せない真剣な光が宿る。


「こいつがさっき言っていたとおり、俺の両親はもともと北部の出だ。

 家族でティレムナに移ってきた経緯も、正直よくは知らない。

 だからこそ――この塔に籍を置くようになった今では、なおさら国と国との関係なんて、気に留めることもほとんどない。

 戦争の是非なんてものも、一兵士の立場じゃ測りようがないさ。

 ……それでも、これだけは言える」


 やがてゼルは呟くように言った。


「……アゼル・リュゼイン。

 あの男は――怪物だ」

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